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福翁自伝 / 緒方の塾風・不潔に頓着せず

塾員は不規則と云わんか不整頓と云わんか乱暴狼藉、丸で物事に無頓着。その無頓着の極は世間で云うように潔不潔、汚ないと云うことを気に止めない。例えば、塾の事であるから勿論桶だの丼だの皿などの、あろう筈はないけれども、緒方の塾生は学塾の中に居ながら七輪もあれば鍋もあって、物を煮て喰うと云うような事を不断遣て居る、その趣は恰も手鍋世帯の台所見たような事を机の周囲で遣て居た。けれども道具の足ると云うことのあろう筈はない。ソコで洗手盥も金盥も一切食物調理の道具になって、暑中など何処からか素麺を貰うと、その素麺を奥の台所で湯煮て貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥を持て来て、その中で冷素麺にして、汁を拵えるに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来、その外、肴を拵えるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、ソンナ事は少しも汚ないと思わなかった。 夫れ所ではない。虱は塾中永住の動物で、誰れ一人も之を免かれることは出来ない。一寸と裸体になれば五疋も十疋も捕るに造作はない。春先き少し暖気になると羽織の襟に匍出すことがある。或る書生の説に、ドウダ、吾々の虱は大阪の焼芋に似て居る。冬中が真盛りで、春になり夏になると次第に衰えて、暑中二、三箇月蚤と交代して引込み、九月頃新芋が町に出ると吾々の虱も復た出て来るのは可笑しいと云た事がある。私は一案を工風し、抑も虱を殺すに熱湯を用うるは洗濯婆の旧筆法で面白くない、乃公が一発で殺して見せようと云て、厳冬の霜夜に襦袢を物干に洒して虱の親も玉子も一時に枯らしたことがある。この工風は私の新発明ではない、曾て誰れかに聞たことがあるから遣て見たのです。

新字:塾員は不規則と云わんか不整頓と云わんか乱暴狼藉、丸で物事に無頓着。その無頓着の極は世間で云うように潔不潔、汚ないと云うことを気に止めない。例えば、塾の事であるから勿論桶だの丼だの皿などの、あろう筈はないけれども、緒方の塾生は学塾の中に居ながら七輪もあれば鍋もあって、物を煮て喰うと云うような事を不断遣て居る、その趣は恰も手鍋世帯の台所見たような事を机の周囲で遣て居た。けれども道具の足ると云うことのあろう筈はない。ソコで洗手盥も金盥も一切食物調理の道具になって、暑中など何処からか素麺を貰うと、その素麺を奥の台所で湯煮て貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥を持て来て、その中で冷素麺にして、汁を拵えるに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来、その外、肴を拵えるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、ソンナ事は少しも汚ないと思わなかった。 夫れ所ではない。虱は塾中永住の動物で、誰れ一人も之を免かれることは出来ない。一寸と裸体になれば五疋も十疋も捕るに造作はない。春先き少し暖気になると羽織の襟に匍出すことがある。或る書生の説に、ドウダ、吾々の虱は大阪の焼芋に似て居る。冬中が真盛りで、春になり夏になると次第に衰えて、暑中二、三箇月蚤と交代して引込み、九月頃新芋が町に出ると吾々の虱も復た出て来るのは可笑しいと云た事がある。私は一案を工風し、抑も虱を殺すに熱湯を用うるは洗濯婆の旧筆法で面白くない、乃公が一発で殺して見せようと云て、厳冬の霜夜に襦袢を物干に洒して虱の親も玉子も一時に枯らしたことがある。この工風は私の新発明ではない、曽て誰れかに聞たことがあるから遣て見たのです。

書き下し

塾員は不規則と云わんか不整頓と云わんか乱暴狼藉、丸で物事に無頓着。その無頓着の極は世間で云うように潔不潔、汚ないと云うことを気に止めない。例えば、塾の事であるから勿論桶だの丼だの皿などの、あろう筈はないけれども、緒方の塾生は学塾の中に居ながら七輪もあれば鍋もあって、物を煮て喰うと云うような事を不断遣て居る、その趣は恰も手鍋世帯の台所見たような事を机の周囲で遣て居た。けれども道具の足ると云うことのあろう筈はない。ソコで洗手盥も金盥も一切食物調理の道具になって、暑中など何処からか素麺を貰うと、その素麺を奥の台所で湯煮て貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥を持て来て、その中で冷素麺にして、汁を拵えるに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来、その外、肴を拵えるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、ソンナ事は少しも汚ないと思わなかった。 夫れ所ではない。虱は塾中永住の動物で、誰れ一人も之を免かれることは出来ない。一寸と裸体になれば五疋も十疋も捕るに造作はない。春先き少し暖気になると羽織の襟に匍出すことがある。或る書生の説に、ドウダ、吾々の虱は大阪の焼芋に似て居る。冬中が真盛りで、春になり夏になると次第に衰えて、暑中二、三箇月蚤と交代して引込み、九月頃新芋が町に出ると吾々の虱も復た出て来るのは可笑しいと云た事がある。私は一案を工風し、抑も虱を殺すに熱湯を用うるは洗濯婆の旧筆法で面白くない、乃公が一発で殺して見せようと云て、厳冬の霜夜に襦袢を物干に洒して虱の親も玉子も一時に枯らしたことがある。この工風は私の新発明ではない、曾て誰れかに聞たことがあるから遣て見たのです。

現代語訳

塾員は、不規則と言おうか不整頓と言おうか、乱暴狼藉で、まるで物事に無頓着です。その無頓着の極みは、世間で言うように潔不潔、汚いということを気に留めないことでした。たとえば、塾のことですから、もちろん桶だの丼だの皿だのがあるはずはありませんが、緒方の塾生は学塾の中にいながら七輪もあれば鍋もあって、物を煮て食べるということを普段やっています。その様子は、あたかも手鍋世帯の台所のようなことを机の周囲でやっていたのです。けれども道具が足りるということはありえません。そこで、洗手盥も金盥も一切が食物調理の道具になりました。暑中など、どこからか素麺をもらうと、その素麺を奥の台所で湯がいてもらい、その素麺を冷やすには、毎朝顔を洗う洗手盥を持って来て、その中で冷素麺にして、汁をこしらえるのに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来です。そのほか、肴をこしらえるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、そんなことは少しも汚いと思いませんでした。 それどころではありません。虱は塾中永住の動物で、誰一人としてこれを免れることはできません。ちょっと裸になれば五匹も十匹も捕るのにわけはありません。春先に少し暖気になると、羽織の襟に這い出すことがあります。ある書生の説に、「どうだ、我々の虱は大阪の焼芋に似ている。冬中が真っ盛りで、春になり夏になると次第に衰えて、暑中の二、三箇月は蚤と交代して引っ込み、九月頃に新芋が町に出ると、我々の虱もまた出て来るのはおかしい」と言ったことがあります。私は一案を工夫し、そもそも虱を殺すのに熱湯を用いるのは洗濯婆の古い筆法で面白くない、俺が一発で殺して見せようと言って、厳冬の霜の夜に襦袢を物干しに晒して、虱の親も卵も一時に枯らしたことがあります。この工夫は私の新発明ではなく、かつて誰かに聞いたことがあるので、やってみたのです。

解説

塾生は洗面用の盥で素麺を冷やし、虱は永住の動物と笑い合っていました。衛生観念が今とは大きく違い、無頓着が学塾の日常だったことが分かります。しかし福沢は虱退治で、霜の夜に襦袢を晒すという案を出しました。人から聞いた工夫を試す実践力と、それを自分の発明とは言わない正直さが同居しています。不便な環境でも、知恵で状況を改善する発想は、現代の制約下の仕事にもそのまま使えます。

この章句が説くこと

無頓着盥虱工夫衛生素麺

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