福翁自伝 / 大阪修業・医家に砲術修業の願書
その時に母が、「お前は何をするのか。そんなに毎晩夜を更かして碌に寝もしないじゃないか。何の事だ。風邪でも引くと宜くない。勉強にも程のあったものだと喧しく云う。「なあに、おッ母さん、大丈夫だ。私は写本をして居るのです。この位の事で私の身体は何ともなるものじゃない。御安心下さい。決して煩いはしませぬと云うたことがありましたが、ソレカラ愈よ大阪に出ようとすると、茲に可笑しい事がある。今度出るには藩に願書を出さなければならぬ。可笑しいとも何とも云いようがない。是れまで私は部屋住だから外に出るからと云て届も願も要らぬ、颯々と出入したが、今度は仮初にも一家の主人であるから願書を出さなければならぬ。夫れから私は兼て母との相談が済んで居るから、叔父にも叔母にも相談は要りはしない。出抜けに蘭学の修業に参りたいと願書を出すと、懇意なその筋の人が内々知らせて呉れるに、「それはイケない。蘭学修業と云うことは御家に先例のない事だと云う。「そんなら如何すれば宜いかと尋れば、「左様さ。砲術修業と書いたならば済むだろうと云う。「けれども緒方と云えば大阪の開業医師だ。お医者様の処に鉄砲を習いに行くと云うのは、世の中に余り例のない事のように思われる。是れこそ却て不都合な話ではござらぬか。「イヤ、それは何としても御例のない事は仕方がない。事実相違しても宜しいから、矢張り砲術修業でなければ済まぬと云うから、「エー宜しい。如何でも為ましょうと云て、ソレカラ私儀大阪表緒方洪庵の許に砲術修業に罷越したい云々と願書を出して聞済になって、大阪に出ることになった。大抵当時の世の中の塩梅式が分るであろう、と云うのは是れは必ずしも中津一藩に限らず、日本国中悉く漢学の世の中で、西洋流など云うことは仮初にも通用しない。俗に云う鼻掴みの世の中に、唯ペルリ渡来の一条が人心を動かして、砲術だけは西洋流儀にしなければならぬと、云わば一線の血路が開けて、ソコで砲術修業の願書で穏に事が済んだのです。
書き下し
その時に母が、「お前は何をするのか。そんなに毎晩夜を更かして碌に寝もしないじゃないか。何の事だ。風邪でも引くと宜くない。勉強にも程のあったものだと喧しく云う。「なあに、おッ母さん、大丈夫だ。私は写本をして居るのです。この位の事で私の身体は何ともなるものじゃない。御安心下さい。決して煩いはしませぬと云うたことがありましたが、ソレカラ愈よ大阪に出ようとすると、茲に可笑しい事がある。今度出るには藩に願書を出さなければならぬ。可笑しいとも何とも云いようがない。是れまで私は部屋住だから外に出るからと云て届も願も要らぬ、颯々と出入したが、今度は仮初にも一家の主人であるから願書を出さなければならぬ。夫れから私は兼て母との相談が済んで居るから、叔父にも叔母にも相談は要りはしない。出抜けに蘭学の修業に参りたいと願書を出すと、懇意なその筋の人が内々知らせて呉れるに、「それはイケない。蘭学修業と云うことは御家に先例のない事だと云う。「そんなら如何すれば宜いかと尋れば、「左様さ。砲術修業と書いたならば済むだろうと云う。「けれども緒方と云えば大阪の開業医師だ。お医者様の処に鉄砲を習いに行くと云うのは、世の中に余り例のない事のように思われる。是れこそ却て不都合な話ではござらぬか。「イヤ、それは何としても御例のない事は仕方がない。事実相違しても宜しいから、矢張り砲術修業でなければ済まぬと云うから、「エー宜しい。如何でも為ましょうと云て、ソレカラ私儀大阪表緒方洪庵の許に砲術修業に罷越したい云々と願書を出して聞済になって、大阪に出ることになった。大抵当時の世の中の塩梅式が分るであろう、と云うのは是れは必ずしも中津一藩に限らず、日本国中悉く漢学の世の中で、西洋流など云うことは仮初にも通用しない。俗に云う鼻掴みの世の中に、唯ペルリ渡来の一条が人心を動かして、砲術だけは西洋流儀にしなければならぬと、云わば一線の血路が開けて、ソコで砲術修業の願書で穏に事が済んだのです。
現代語訳
その時母が、「お前は何をするのか。そんなに毎晩夜を更かして、ろくに寝もしないじゃないか。何事だ。風邪でも引くとよくない。勉強にも程があるものだ」とやかましく言います。「なあに、おっ母さん、大丈夫です。私は写本をしているのです。この位のことで私の身体は何ともなりません。ご安心ください。決して患いはしません」と言ったことがありました。 それからいよいよ大阪に出ようとすると、ここにおかしいことがあります。今度出るには藩に願書を出さなければならない。おかしいとも何とも言いようがありません。これまで私は部屋住みでしたから、外に出るからといって届けも願いも要らず、さっさと出入りしていましたが、今度はかりそめにも一家の主人であるので、願書を出さなければなりません。それから私はかねて母との相談が済んでいるので、叔父にも叔母にも相談は要りません。出し抜けに蘭学の修業に参りたいと願書を出すと、懇意なその筋の人がこっそり知らせてくれました。「それはいけない。蘭学修業ということは御家に先例のないことだ。」「それならどうすればよいか」と尋ねると、「そうさ。砲術修業と書いたなら済むだろう」と言います。「けれども緒方といえば大阪の開業医師だ。お医者様の所に鉄砲を習いに行くというのは、世の中にあまり例のないことのように思われる。これこそかえって不都合な話ではござらぬか。」「いや、それはどうしても御例のないことは仕方がない。事実が相違してもよいから、やはり砲術修業でなければ済まない。」「ええ、よろしい。どうでもしましょう」と言って、それから私儀、大阪表緒方洪庵の許に砲術修業に罷り越したい云々と願書を出して許可され、大阪に出ることになりました。 だいたい当時の世の中の様子が分かるでしょう。これは必ずしも中津一藩に限らず、日本中ことごとく漢学の世の中で、西洋流などということはかりそめにも通用しません。俗に言う鼻つまみの世の中に、ただペリー渡来の一件が人心を動かして、砲術だけは西洋流にしなければならないと、いわば一筋の血路が開けたので、砲術修業の願書で穏やかに事が済んだのです。
解説
この章句が説くこと
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人物志・八觀虚義に処すれば則ち色厲しく、利欲を顧みれば則ち内荏なるは、是れ厲にして剛ならざる者なり。
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『政談』妾を隱し物とする事妾と云ふものはなくて叶はさる者なり、当時は妾をは隠し者のやうにすること習はしの悪しきなり、古は天子諸侯ともに一娶る女とて姪娣八人付き来る、皆な妾なり、何れも其の后の親類にて、而かも家来の娘なり、卿大夫のことは見えす、古は世官にてなけれは其の法なきなるへし、されとも子なけれは妾を置くことは通法なり、今の世は表向き一妻一妾と高下共に立て置き候故、妾は隠し者になりて却て色々の悪事生するなり、
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、然らば売物に利を取らず、元金に売り渡すことを教ゆるや。習ふ者、外には利を取らぬことを学び、内証にては利を取れば、実の教にあらずして、反りて詐りを教ゆると云ふ者なり。如何となれば、元来ならぬことを強ふるによりて、かやうに前後合はざることあり。商人利欲なくしてすむことは、終に聞かざることなり。
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『韓非子』亡徵第十五大利を見て趨かず、禍端を聞きて備えず、爭守の事に淺薄にして、務めて仁義を以て自ら飾る者は、亡ぶ可きなり。
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