福翁自伝 / 大阪修業・築城書を盗写す(2)
生れてから泥坊をしたことはないが、泥坊の心配も大抵こんなものであろうと推察しながら、とう/\写し終りて、図が二枚あるその図も写して仕舞て、サア出来上った。出来上ったが読合せに困る。是れが出来なくては大変だと云うと、妙な事もあるもので、中津に和蘭のスペルリングの読めるものが只た一人ある。それは藤野啓山と云う医者で、この人は甚だ私の処に縁がある、と云うのは私の父が大阪に居る時に、啓山が医者の書生で、私の家に寄宿して、母も常に世話をして遣たと云う縁故からして、固より信じられる人に違いないと見抜いて、私は藤野の処に行て、「大秘密をお前に語るが、実は斯う/\云うことで、奥平の原書を写して仕舞た。所が困るのはその読合せだが、お前はどうか原書を見て居て呉れぬか、私が写したのを読むから。実は昼遣りたいが、昼は出来られない。ヒョッと分っては大変だから、夜分私が来るから御苦労だが見て居て呉れよと頼んだら、藤野が宜しいと快く請合って呉れて、ソレカラ私は其処の家に三晩か四晩読合せに行て、ソックリ出来て仕舞た。モウ連城の璧を手に握ったようなもので、夫れから原書は大事にしてあるから如何にも気遣はない。しらばくれて奥平壹岐の家に行て、「誠に難有うございます。お蔭で始めてこんな兵書を見ました。斯う云う新舶来の原書が翻訳にでもなりましたら、嘸マア海防家には有益の事でありましょう。併しこんな結構なものは貧書生の手に得らるゝものでない。有難うございました。返上致しますと云て奇麗に済んだのは嬉しかった。この書を写すに幾日かゝったか能く覚えないが、何でも二十日以上三十日足らずの間に写して仕舞うて、原書の主人に毛頭疑うような顔色もなく、マンマとその宝物の正味を偸み取て私の物にしたのは、悪漢が宝蔵に忍び入たようだ。
新字:生れてから泥坊をしたことはないが、泥坊の心配も大抵こんなものであろうと推察しながら、とう/\写し終りて、図が二枚あるその図も写して仕舞て、サア出来上った。出来上ったが読合せに困る。是れが出来なくては大変だと云うと、妙な事もあるもので、中津に和蘭のスペルリングの読めるものが只た一人ある。それは藤野啓山と云う医者で、この人は甚だ私の処に縁がある、と云うのは私の父が大阪に居る時に、啓山が医者の書生で、私の家に寄宿して、母も常に世話をして遣たと云う縁故からして、固より信じられる人に違いないと見抜いて、私は藤野の処に行て、「大秘密をお前に語るが、実は斯う/\云うことで、奥平の原書を写して仕舞た。所が困るのはその読合せだが、お前はどうか原書を見て居て呉れぬか、私が写したのを読むから。実は昼遣りたいが、昼は出来られない。ヒョッと分っては大変だから、夜分私が来るから御苦労だが見て居て呉れよと頼んだら、藤野が宜しいと快く請合って呉れて、ソレカラ私は其処の家に三晩か四晩読合せに行て、ソックリ出来て仕舞た。モウ連城の璧を手に握ったようなもので、夫れから原書は大事にしてあるから如何にも気遣はない。しらばくれて奥平壱岐の家に行て、「誠に難有うございます。お蔭で始めてこんな兵書を見ました。斯う云う新舶来の原書が翻訳にでもなりましたら、嘸マア海防家には有益の事でありましょう。併しこんな結構なものは貧書生の手に得らるゝものでない。有難うございました。返上致しますと云て奇麗に済んだのは嬉しかった。この書を写すに幾日かゝったか能く覚えないが、何でも二十日以上三十日足らずの間に写して仕舞うて、原書の主人に毛頭疑うような顔色もなく、マンマとその宝物の正味を偸み取て私の物にしたのは、悪漢が宝蔵に忍び入たようだ。
書き下し
生れてから泥坊をしたことはないが、泥坊の心配も大抵こんなものであろうと推察しながら、とう/\写し終りて、図が二枚あるその図も写して仕舞て、サア出来上った。出来上ったが読合せに困る。是れが出来なくては大変だと云うと、妙な事もあるもので、中津に和蘭のスペルリングの読めるものが只た一人ある。それは藤野啓山と云う医者で、この人は甚だ私の処に縁がある、と云うのは私の父が大阪に居る時に、啓山が医者の書生で、私の家に寄宿して、母も常に世話をして遣たと云う縁故からして、固より信じられる人に違いないと見抜いて、私は藤野の処に行て、「大秘密をお前に語るが、実は斯う/\云うことで、奥平の原書を写して仕舞た。所が困るのはその読合せだが、お前はどうか原書を見て居て呉れぬか、私が写したのを読むから。実は昼遣りたいが、昼は出来られない。ヒョッと分っては大変だから、夜分私が来るから御苦労だが見て居て呉れよと頼んだら、藤野が宜しいと快く請合って呉れて、ソレカラ私は其処の家に三晩か四晩読合せに行て、ソックリ出来て仕舞た。モウ連城の璧を手に握ったようなもので、夫れから原書は大事にしてあるから如何にも気遣はない。しらばくれて奥平壹岐の家に行て、「誠に難有うございます。お蔭で始めてこんな兵書を見ました。斯う云う新舶来の原書が翻訳にでもなりましたら、嘸マア海防家には有益の事でありましょう。併しこんな結構なものは貧書生の手に得らるゝものでない。有難うございました。返上致しますと云て奇麗に済んだのは嬉しかった。この書を写すに幾日かゝったか能く覚えないが、何でも二十日以上三十日足らずの間に写して仕舞うて、原書の主人に毛頭疑うような顔色もなく、マンマとその宝物の正味を偸み取て私の物にしたのは、悪漢が宝蔵に忍び入たようだ。
現代語訳
生まれてから泥棒をしたことはありませんが、泥棒の心配もだいたいこんなものだろうと推察しながら、とうとう写し終わり、図が二枚あるその図も写してしまって、さあ出来上がりました。出来上がったが、読み合わせに困ります。これができなくては大変だと思うと、妙なこともあるもので、中津にオランダ語のスペリングが読める者がただ一人いました。それは藤野啓山という医者で、この人は私の家と縁が深く、私の父が大阪にいる時に、啓山が医者の書生で私の家に寄宿しており、母も常に世話をしてやったという縁があって、もちろん信頼できる人に違いないと見抜いて、私は藤野の所へ行き、「大秘密をお前に語るが、実はこうこういうことで、奥平の原書を写してしまった。ところが困るのは読み合わせだが、お前はどうか原書を見ていてくれないか、私が写したのを読むから。実は昼にやりたいが、昼はできない。もし分かっては大変だから、夜分私が来る。ご苦労だが見ていてくれ」と頼んだら、藤野が「よろしい」と快く引き受けてくれました。 それから私はそこの家に三晩か四晩、読み合わせに行って、そっくり出来てしまいました。もう連城の璧を手に握ったようなもので、それから原書は大事にしてあるのでまったく気遣いはありません。しらばくれて奥平壱岐の家に行き、「まことにありがとうございます。おかげで初めてこんな兵書を見ました。こういう新舶来の原書が翻訳にでもなりましたら、さぞ海防家には有益なことでありましょう。しかしこんな結構なものは貧しい書生の手に入るものではありません。ありがとうございました。返上いたします」と言って、きれいに済んだのは嬉しかった。この書を写すのに何日かかったかよく覚えていませんが、何でも二十日以上、三十日足らずの間に写してしまい、原書の主人には少しも疑う顔色もなく、まんまとその宝物の中身を盗み取って私の物にしたのは、悪漢が宝蔵に忍び入ったようです。
解説
この章句が説くこと
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