都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
曰、古歌ニ、コヽロノトハヾイカヾコタヘント有ゴトク、心ニ問バヤスキニハ非ズ、人ガトヘバ、儒者ナドハ、奉祿渡世ノコトヲ思フ者ニテモナシ、元來天ヨリ來テ天ニ歸ルト、潔白ニイヘドモ、實潔白ナラズ、心ハ糞土ニ蓋ヲシテ置ヤウニテ、不安苦ムナリ、然リトイヘドモ、如何トモスベキヤウナシ、是ハ儒者計ニテモナク、佛者モ前ニイヘル如クナレバ、世間並ナリト思フ、尤佛者ハ、廣コトナレバ、千人ニ一人、得心ノ僧モアルベケレド、儒者ハ數モ少ケレバ、彌罕ナルベシ、
新字:曰、古歌ニ、コヽロノトハヾイカヾコタヘント有ゴトク、心ニ問バヤスキニハ非ズ、人ガトヘバ、儒者ナドハ、奉禄渡世ノコトヲ思フ者ニテモナシ、元来天ヨリ来テ天ニ帰ルト、潔白ニイヘドモ、実潔白ナラズ、心ハ糞土ニ蓋ヲシテ置ヤウニテ、不安苦ムナリ、然リトイヘドモ、如何トモスベキヤウナシ、是ハ儒者計ニテモナク、仏者モ前ニイヘル如クナレバ、世間並ナリト思フ、尤仏者ハ、広コトナレバ、千人ニ一人、得心ノ僧モアルベケレド、儒者ハ数モ少ケレバ、弥罕ナルベシ、
書き下し
曰く、古歌に、こゝろのとはゞいかゞこたへんと有ごとく、心に問ばやすきには非ず。人がとへば、儒者などは、奉禄渡世のことを思ふ者にてもなし、元来天より来て天に帰ると、潔白にいへども、実は潔白ならず。心は糞土に蓋をして置やうにて、安からず苦むなり。然りといへども、如何ともすべきやうなし。是は儒者計にてもなく、仏者も前にいへる如くなれば、世間並なりと思ふ。尤仏者は、広ことなれば、千人に一人、得心の僧もあるべけれど、儒者は数も少ければ、弥罕なるべし。
現代語訳
問う人「古歌に『心が問うたらどう答えよう』とあるように、心に問われると平気ではいられません。人に問われれば、儒者などは俸禄や渡世のことを思う者ではない、もともと天から来て天に帰るのだと潔白に言いますが、本当は潔白ではありません。心は糞土にふたをして置いているようなもので、落ち着かず苦しいのです。そうはいっても、どうしようもありません。これは儒者だけでなく、仏者も前に言ったとおりですから、世間並みだと思っています。もっとも仏者は数が多いので、千人に一人くらいは得心した僧もいるでしょうが、儒者は数も少ないので、いよいよまれでしょう。」
解説

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