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福翁自伝 / 大阪修業・四十両の借金家財を売る

出るには金の始末をしなければならぬ。その金の始末と云うのは、兄の病気や勤番中の其れ是れの入費、凡そ四十両借金がある。この四十両と云うものは、その時代に私などの家に取ては途方心ない大借。これをこの儘にして置ては迚も始末が付かぬから、何でも片付けなければならぬ。如何しよう。外に仕方がない。何でも売るのだ。一切万物売るより外なしと考えて、聊か頼みがあると云うのは、私の父は学者であったから、藩中では中々蔵書を持て居る。凡そ冊数にして千五百冊ばかりもあって、中には随分世間に類の少ない本もある。例えば私の名を諭吉と云うその諭の字は天保五年十二月十二日の夜、私が誕生したその日に、父が多年所望して居た明律の上諭条例と云う全部六、七十冊ばかりの唐本を買取て、大造喜んで居る処に、その夜男子が出生して重ね/″\の喜びと云う所から、その上諭の諭の字を取て私の名にしたと母から聞いた事がある位で、随分珍らしい漢書があったけれども、母と相談の上、蔵書を始め一切の物を売却しようと云うことになって、先ず手近な物から売れるだけ売ろうと云うので、軸物のような物から売り始めて、目ぼしい物を申せば頼山陽の半切の掛物を金二分に売り、大雅堂の柳下人物の掛物を二両二分、徂徠の書、東涯の書もあったが、誠に値がない、見るに足らぬ。その他はごた/\した雑物ばかり。覚えて居るのは大雅堂と山陽。刀は天正祐定二尺五寸拵付、能く出来たもので四両。ソレカラ蔵書だ。中津の人で買う者はありはせぬ。如何したって何十両と云う金を出す藩士はありはせぬ。所で私の先生、白石と云う漢学の先生が、藩で何か議論をして中津を追出されて豊後の臼杵藩の儒者になって居たから、この先生に便って行けば売れるだろうと思て、臼杵まで態々出掛けて行て、先生に話をした処が、先生の世話で残らずの蔵書を代金十五両で臼杵藩に買て貰い、先ず一口に大金十五両が手に入り、その他有らん限り皿も茶碗も丼も猪口も一切売て、漸く四十両の金が揃い、その金で借金は奇麗に済だが、その蔵書中に易経集註十三冊に伊藤東涯先生が自筆で細々と書入をした見事なものがある。是れは亡父が存命中大阪で買取て殊の外珍重したものと見え、蔵書目録に父の筆を以て、この東涯先生書入の易経十三冊は天下稀有の書なり、子孫謹で福澤の家に蔵むべしと、恰も遺言のようなことが害いてある。私も之を見ては何としても売ることが出来ません。是れ丈けはと思うて残して置たその十三冊は今でも私の家にあります。夫れと今に残って居るのは唐焼の丼が二つある。是れは例の雑物売払のとき道具屋が直を付けて丼二つ三分と云うその三分とは中津の藩札で銭にすれば十八文のことだ。余り馬鹿々々しい、十八文ばかり有ても無くても同じことだと思うて売らなかったのが、その後四十何年無事で、今は筆洗になって居るのも可笑しい。

新字:出るには金の始末をしなければならぬ。その金の始末と云うのは、兄の病気や勤番中の其れ是れの入費、凡そ四十両借金がある。この四十両と云うものは、その時代に私などの家に取ては途方心ない大借。これをこの儘にして置ては迚も始末が付かぬから、何でも片付けなければならぬ。如何しよう。外に仕方がない。何でも売るのだ。一切万物売るより外なしと考えて、聊か頼みがあると云うのは、私の父は学者であったから、藩中では中々蔵書を持て居る。凡そ冊数にして千五百冊ばかりもあって、中には随分世間に類の少ない本もある。例えば私の名を諭吉と云うその諭の字は天保五年十二月十二日の夜、私が誕生したその日に、父が多年所望して居た明律の上諭条例と云う全部六、七十冊ばかりの唐本を買取て、大造喜んで居る処に、その夜男子が出生して重ね/″\の喜びと云う所から、その上諭の諭の字を取て私の名にしたと母から聞いた事がある位で、随分珍らしい漢書があったけれども、母と相談の上、蔵書を始め一切の物を売却しようと云うことになって、先ず手近な物から売れるだけ売ろうと云うので、軸物のような物から売り始めて、目ぼしい物を申せば頼山陽の半切の掛物を金二分に売り、大雅堂の柳下人物の掛物を二両二分、徂徠の書、東涯の書もあったが、誠に値がない、見るに足らぬ。その他はごた/\した雑物ばかり。覚えて居るのは大雅堂と山陽。刀は天正祐定二尺五寸拵付、能く出来たもので四両。ソレカラ蔵書だ。中津の人で買う者はありはせぬ。如何したって何十両と云う金を出す藩士はありはせぬ。所で私の先生、白石と云う漢学の先生が、藩で何か議論をして中津を追出されて豊後の臼杵藩の儒者になって居たから、この先生に便って行けば売れるだろうと思て、臼杵まで態々出掛けて行て、先生に話をした処が、先生の世話で残らずの蔵書を代金十五両で臼杵藩に買て貰い、先ず一口に大金十五両が手に入り、その他有らん限り皿も茶碗も丼も猪口も一切売て、漸く四十両の金が揃い、その金で借金は奇麗に済だが、その蔵書中に易経集註十三冊に伊藤東涯先生が自筆で細々と書入をした見事なものがある。是れは亡父が存命中大阪で買取て殊の外珍重したものと見え、蔵書目録に父の筆を以て、この東涯先生書入の易経十三冊は天下稀有の書なり、子孫謹で福沢の家に蔵むべしと、恰も遺言のようなことが害いてある。私も之を見ては何としても売ることが出来ません。是れ丈けはと思うて残して置たその十三冊は今でも私の家にあります。夫れと今に残って居るのは唐焼の丼が二つある。是れは例の雑物売払のとき道具屋が直を付けて丼二つ三分と云うその三分とは中津の藩札で銭にすれば十八文のことだ。余り馬鹿々々しい、十八文ばかり有ても無くても同じことだと思うて売らなかったのが、その後四十何年無事で、今は筆洗になって居るのも可笑しい。

書き下し

出るには金の始末をしなければならぬ。その金の始末と云うのは、兄の病気や勤番中の其れ是れの入費、凡そ四十両借金がある。この四十両と云うものは、その時代に私などの家に取ては途方心ない大借。これをこの儘にして置ては迚も始末が付かぬから、何でも片付けなければならぬ。如何しよう。外に仕方がない。何でも売るのだ。一切万物売るより外なしと考えて、聊か頼みがあると云うのは、私の父は学者であったから、藩中では中々蔵書を持て居る。凡そ冊数にして千五百冊ばかりもあって、中には随分世間に類の少ない本もある。例えば私の名を諭吉と云うその諭の字は天保五年十二月十二日の夜、私が誕生したその日に、父が多年所望して居た明律の上諭条例と云う全部六、七十冊ばかりの唐本を買取て、大造喜んで居る処に、その夜男子が出生して重ね/″\の喜びと云う所から、その上諭の諭の字を取て私の名にしたと母から聞いた事がある位で、随分珍らしい漢書があったけれども、母と相談の上、蔵書を始め一切の物を売却しようと云うことになって、先ず手近な物から売れるだけ売ろうと云うので、軸物のような物から売り始めて、目ぼしい物を申せば頼山陽の半切の掛物を金二分に売り、大雅堂の柳下人物の掛物を二両二分、徂徠の書、東涯の書もあったが、誠に値がない、見るに足らぬ。その他はごた/\した雑物ばかり。覚えて居るのは大雅堂と山陽。刀は天正祐定二尺五寸拵付、能く出来たもので四両。ソレカラ蔵書だ。中津の人で買う者はありはせぬ。如何したって何十両と云う金を出す藩士はありはせぬ。所で私の先生、白石と云う漢学の先生が、藩で何か議論をして中津を追出されて豊後の臼杵藩の儒者になって居たから、この先生に便って行けば売れるだろうと思て、臼杵まで態々出掛けて行て、先生に話をした処が、先生の世話で残らずの蔵書を代金十五両で臼杵藩に買て貰い、先ず一口に大金十五両が手に入り、その他有らん限り皿も茶碗も丼も猪口も一切売て、漸く四十両の金が揃い、その金で借金は奇麗に済だが、その蔵書中に易経集註十三冊に伊藤東涯先生が自筆で細々と書入をした見事なものがある。是れは亡父が存命中大阪で買取て殊の外珍重したものと見え、蔵書目録に父の筆を以て、この東涯先生書入の易経十三冊は天下稀有の書なり、子孫謹で福澤の家に蔵むべしと、恰も遺言のようなことが害いてある。私も之を見ては何としても売ることが出来ません。是れ丈けはと思うて残して置たその十三冊は今でも私の家にあります。夫れと今に残って居るのは唐焼の丼が二つある。是れは例の雑物売払のとき道具屋が直を付けて丼二つ三分と云うその三分とは中津の藩札で銭にすれば十八文のことだ。余り馬鹿々々しい、十八文ばかり有ても無くても同じことだと思うて売らなかったのが、その後四十何年無事で、今は筆洗になって居るのも可笑しい。

現代語訳

出るには金の始末をしなければなりません。その金の始末というのは、兄の病気や勤番中のあれこれの費用で、およそ四十両の借金があります。この四十両は、その時代の私などの家にとっては途方もない大借金です。これをこのままにしてはとても始末が付かないから、何でも片付けなければならない。どうしよう。ほかに仕方がない。何でも売るのだ。一切万物、売るよりほかなしと考えました。いささか頼みがあるというのは、私の父は学者だったので、藩中ではなかなか蔵書を持っていたことです。冊数でおよそ千五百冊ばかりもあり、中には世間に類の少ない本もあります。たとえば私の名を諭吉といい、その諭の字は、天保五年十二月十二日の夜、私が誕生したその日に、父が多年欲しがっていた『明律』の上諭条例という全部六、七十冊ばかりの唐本を買い取って大喜びしているところに、その夜男の子が生まれて重ね重ねの喜びというところから、その上諭の諭の字を取って私の名にしたと母から聞いたことがあるほどで、ずいぶん珍しい漢書がありました。 けれども母と相談の上、蔵書をはじめ一切の物を売却しようということになり、まず手近な物から売れるだけ売ろうと、掛け軸のような物から売り始めました。目ぼしい物を言えば、頼山陽の半切の掛け物を金二分に売り、大雅堂の柳下人物の掛け物を二両二分、徂徠の書、東涯の書もありましたが、たいへん値が付かず、見るに足りません。そのほかはごたごたした雑物ばかり。覚えているのは大雅堂と山陽です。刀は天正祐定の二尺五寸拵え付き、よくできたもので四両。 それから蔵書です。中津の人で買う者はありません。どうしたって何十両という金を出す藩士はいません。ところで私の先生の白石という漢学の先生が、藩で何か議論をして中津を追い出され、豊後の臼杵藩の儒者になっていたので、この先生を頼って行けば売れるだろうと思い、臼杵までわざわざ出かけて行って先生に話をしたところ、先生の世話で残らずの蔵書を代金十五両で臼杵藩に買ってもらい、まず一度に大金十五両が手に入りました。その他ありったけの皿も茶碗も丼も猪口も一切売って、ようやく四十両の金が揃い、その金で借金はきれいに済みました。 しかしその蔵書の中に、『易経集註』十三冊で、伊藤東涯先生が自筆で細かく書き入れをした見事なものがありました。これは亡き父が存命中に大阪で買い取って殊のほか珍重したものと見え、蔵書目録に父の筆で、この東涯先生書き入れの易経十三冊は天下稀有の書なり、子孫謹んで福沢の家に蔵むべし、と、あたかも遺言のようなことが書いてあります。私もこれを見ては、何としても売ることができません。これだけはと思って残しておいたその十三冊は、今でも私の家にあります。それと今に残っているのは、唐焼の丼が二つあります。これは例の雑物売り払いの時、道具屋が値を付けて丼二つで三分と言ったのです。その三分とは、中津の藩札で、銭にすれば十八文のことです。あまりばかばかしい、十八文ばかりあってもなくても同じことだと思って売らなかったものが、その後四十何年無事で、今は筆洗になっているのもおかしい。

解説

出発の前に福沢が行ったのは、借金四十両の清算でした。蔵書や掛け軸、刀、食器まで売り払い、すべてを整理して身軽になります。千五百冊の蔵書は、臼杵藩に十五両で売れました。それでも父が遺言のように書き残した『易経集註』十三冊だけは残します。何を手放し何を残すか。金額では測れない価値を見極める目が、ここに表れています。事業の整理でも、資産を売る際の基準は価格だけでは決まらない、と気づかされます。

この章句が説くこと

借金蔵書売却父易経整理

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