福翁自伝 / 幼少の時・厳ならずして家風正し
今申す通り私共の兄弟は、幼少のとき中津の人と言語風俗を殊にして、他人の知らぬ処に随分淋しい思いをしましたが、その淋しい間にも家風は至極正しい。厳重な父があるでもないが、母子睦じく暮して兄弟喧嘩など唯の一度もしたことがない。のみか、仮初にも俗な卑陋な事はしられないものだと育てられて、別段に教える者もない、母も決して喧しい六かしい人でないのに、自然に爾うなったのは、矢張り父の遺風と母の感化力でしょう。その事実に現われたことを申せば、鳴物などの一条で、三味線とか何とか云うものを、聞こうとも思わなければ何とも思わぬ。斯様なものは全体私なんぞの聞くべきものでない、矧や玩ぶべき者でないと云う考を持て居るから、遂ぞ芝居見物など念頭に浮んだこともない。例えば、夏になると中津に芝居がある。祭の時には七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするその時には、藩から布令が出る。芝居は何日の間あるが、藩士たるものは決して立寄ることは相成らぬ、住吉の社の石垣より以外に行くことならぬと云うその布令の文面は、甚だ厳重なようにあるが、唯一片の御布令だけの事であるから、俗士族は脇差を一本挟して頬冠りをして颯々と芝居の矢来を破て這入る。若しそれを咎めれば却て叱り飛ばすと云うから、誰も怖がって咎める者はない。町の者は金を払て行くに、士族は忍姿で却て威張て只這入て観る。然るに中以下俗士族の多い中で、その芝居に行かぬのは凡そ私のところ一軒位でしょう。決して行かない。此処から先きは行くことはならぬと云えば、一足でも行かぬ、どんな事があっても。私の母は女ながらも遂ぞ一口でも芝居の事を子供に云わず、兄も亦行こうと云わず、家内中一寸でも話がない。夏、暑い時の事であるから凉には行く。併しその近くで芝居をして居るからと云て見ようともしない、どんな芝居を遣て居るとも噂にもしない、平気で居ると云うような家風でした。
書き下し
今申す通り私共の兄弟は、幼少のとき中津の人と言語風俗を殊にして、他人の知らぬ処に随分淋しい思いをしましたが、その淋しい間にも家風は至極正しい。厳重な父があるでもないが、母子睦じく暮して兄弟喧嘩など唯の一度もしたことがない。のみか、仮初にも俗な卑陋な事はしられないものだと育てられて、別段に教える者もない、母も決して喧しい六かしい人でないのに、自然に爾うなったのは、矢張り父の遺風と母の感化力でしょう。その事実に現われたことを申せば、鳴物などの一条で、三味線とか何とか云うものを、聞こうとも思わなければ何とも思わぬ。斯様なものは全体私なんぞの聞くべきものでない、矧や玩ぶべき者でないと云う考を持て居るから、遂ぞ芝居見物など念頭に浮んだこともない。例えば、夏になると中津に芝居がある。祭の時には七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするその時には、藩から布令が出る。芝居は何日の間あるが、藩士たるものは決して立寄ることは相成らぬ、住吉の社の石垣より以外に行くことならぬと云うその布令の文面は、甚だ厳重なようにあるが、唯一片の御布令だけの事であるから、俗士族は脇差を一本挟して頬冠りをして颯々と芝居の矢来を破て這入る。若しそれを咎めれば却て叱り飛ばすと云うから、誰も怖がって咎める者はない。町の者は金を払て行くに、士族は忍姿で却て威張て只這入て観る。然るに中以下俗士族の多い中で、その芝居に行かぬのは凡そ私のところ一軒位でしょう。決して行かない。此処から先きは行くことはならぬと云えば、一足でも行かぬ、どんな事があっても。私の母は女ながらも遂ぞ一口でも芝居の事を子供に云わず、兄も亦行こうと云わず、家内中一寸でも話がない。夏、暑い時の事であるから凉には行く。併しその近くで芝居をして居るからと云て見ようともしない、どんな芝居を遣て居るとも噂にもしない、平気で居ると云うような家風でした。
現代語訳
今申すとおり、私たち兄弟は幼少のとき、中津の人と言語や風俗を異にして、他人の知らないところでずいぶん淋しい思いをしましたが、その淋しい間にも家風はたいへん正しいものでした。厳しい父がいるわけでもないのに、母と子は睦まじく暮らして、兄弟げんかなどただの一度もしたことがありません。それどころか、かりそめにも俗で卑しいことはできないものだと育てられ、とくに教える人もなく、母も決してやかましい難しい人ではないのに自然とそうなったのは、やはり父の遺風と母の感化力でしょう。その事実に現れたことを申せば、鳴り物などのことで、三味線とか何とかいうものを聞こうとも思わなければ何とも思わない。こんなものはそもそも私などの聞くべきものではない、まして遊ぶべきものではないという考えを持っているので、芝居見物など頭に浮かんだこともありません。たとえば、夏になると中津に芝居があります。祭りのときには七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするのですが、その時には藩から布令が出ます。芝居は何日の間ある、藩士たるものは決して立ち寄ってはならぬ、住吉の社の石垣より外へ行ってはならぬという布令の文面はたいへん厳重なようですが、ただ一片のお触れだけのことですから、俗な士族は脇差を一本差し、頬かむりをしてさっさと芝居の矢来を破って入る。もしそれをとがめれば、かえって叱り飛ばされるので、誰も怖がってとがめる者はありません。町の者は金を払って行くのに、士族は忍び姿でかえって威張って、ただで入って観る。ところが中以下の俗士族の多い中で、その芝居に行かないのは、おそらく私の家一軒くらいでしょう。決して行かない。ここから先へは行ってはならぬといえば、一歩も行かない、どんなことがあっても。私の母は女ながらも一言も芝居のことを子供にいわず、兄も行こうといわず、家中ちょっとでも話がない。夏の暑いときのことですから涼みには行きます。しかしその近くで芝居をしているからといって見ようともしない、どんな芝居をやっているとも噂にもしない、平気でいるという家風でした。
解説
この章句が説くこと
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