淮南子 / 繆稱訓
勇士一呼,三軍皆辟,其出之也誠。故倡而不和,意而不戴,中心必有不合者也。故舜不降席而王天下者,求諸己也。故上多故,則民多詐矣,身曲而景直者,未之聞也。說之所不至者,容貌至焉;容貌之所不至者,感忽至焉。感乎心,明乎智,發而成形,精之至也。可以形勢接,而不可以昭誋。戎、翟之馬,皆可以馳驅,或近或遠,唯造父能盡其力;三苗之民,皆可使忠信,或賢或不肖,唯唐、虞能齊其美。必有不傳者。中行繆伯手搏虎,而不能生也,蓋力優而克不能及也。用百人之所能,則得百人之力;舉千人之所愛,則得千人之心。辟若伐樹而引其本,千枝萬葉則莫得弗從也。
新字:勇士一呼,三軍皆辟,其出之也誠。故倡而不和,意而不戴,中心必有不合者也。故舜不降席而王天下者,求諸己也。故上多故,則民多詐矣,身曲而景直者,未之聞也。説之所不至者,容貌至焉;容貌之所不至者,感忽至焉。感乎心,明乎智,発而成形,精之至也。可以形勢接,而不可以昭誋。戎、翟之馬,皆可以馳駆,或近或遠,唯造父能尽其力;三苗之民,皆可使忠信,或賢或不肖,唯唐、虞能斉其美。必有不伝者。中行繆伯手搏虎,而不能生也,蓋力優而克不能及也。用百人之所能,則得百人之力;舉千人之所愛,則得千人之心。辟若伐樹而引其本,千枝万葉則莫得弗従也。
書き下し
勇士 一たび呼びて、三軍 皆な辟くは、其の之を出だすや誠なればなり。故に倡えて和せず、意して戴かざるは、中心に必ず合わざる者有ればなり。故に舜 席を降らずして天下に王たる者は、諸を己に求むればなり。故に上に故多ければ、則ち民に詐多し。身 曲がりて景 直き者は、未だ之を聞かざるなり。說の至らざる所の者は、容貌 焉に至る。容貌の至らざる所の者は、感忽 焉に至る。心に感じ、智に明らかに、發して形を成すは、精の至れるなり。形勢を以て接す可くして、昭誋を以てす可からず。戎・翟の馬は、皆な以て馳驅す可し。或いは近く或いは遠きは、唯だ造父のみ能く其の力を盡くせばなり。三苗の民は、皆な忠信ならしむ可し。或いは賢に或いは不肖なるは、唯だ唐・虞のみ能く其の美を齊しくすればなり。必ず傳えざる者有り。中行繆伯 手ずから虎を搏つも、生かす能わざりしは、蓋し力 優れて克つこと及ぶ能わざればなり。百人の能くする所を用うれば、則ち百人の力を得。千人の愛する所を舉ぐれば、則ち千人の心を得。辟えば樹を伐りて其の本を引くが若し。千枝萬葉、則ち從わざるを得る莫きなり。
現代語訳
勇士がひとたび叫ぶと三軍がみな道を開けるのは、その出し方に誠があるからである。だから唱えても和されず、思いを示しても担がれないのは、心の中に合っていないものが必ずあるからだ。だから舜が席を降りないまま天下に王たりえたのは、自分に求めたからである。上に企みが多ければ、民には偽りが多い。身が曲がっていて影がまっすぐだったという話は聞いたことがない。言葉が届かないところには、姿かたちが届く。姿かたちが届かないところには、ふとした感じが届く。心に感じ、知恵に明らかで、発してかたちを成すのは、精の極まったものである。それは形と勢いによって伝わるのであって、言い聞かせることではできない。戎や翟の馬はみな走らせられる。近くまでしか行けないか遠くまで行けるかが分かれるのは、造父だけがその力を出し切らせられるからである。三苗の民もみな忠信にならせられる。賢くなるか劣ったままかが分かれるのは、堯と舜だけがその美点を揃えられるからである。必ず、伝えられないものがある。中行繆伯は素手で虎を打ったが、生け捕りにできなかった。力は優れていても、押さえ切ることが及ばなかったのだろう。百人ができることを用いれば百人の力を得る。千人が愛するものを取り上げれば千人の心を得る。たとえば木を伐るのに根を引くようなもので、千の枝も万の葉も、ついてこないものはない。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
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『弁名』誠又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
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