淮南子 / 繆稱訓
慈父之愛子,非為報也,不可內解於心;聖人之養民,非求用也,性不能已。若火之自熱,冰之自寒。夫有何修焉!及恃其力,賴其功者,若失火舟中。故君子見始,其知終矣。媒妁譽人,而莫之德也;取庸而強飯之,莫之愛也。雖親父慈母,不加於此,有以為,則恩不接矣。故送往者,非所以迎來也;施死者,非專為生也。誠出於己,則所動者遠矣。錦繡登廟,貴文也;圭璋在前,尚質也。文不勝質,之謂君子。故終年為車,無三寸之鎋,不可以驅馳;匠人斫戶,無一尺之楗,不可以閉藏。故君子行斯乎其所結。心之精者,可以神化,而不可以導人;目之精者,可以消澤,而不可以昭誋。在混冥之中,不可諭於人。故舜不降席而天下治,桀不下陛而天下亂,蓋情甚乎叫呼也。無諸己,求諸人,古今未之聞也。
新字:慈父之愛子,非為報也,不可内解於心;聖人之養民,非求用也,性不能已。若火之自熱,冰之自寒。夫有何修焉!及恃其力,頼其功者,若失火舟中。故君子見始,其知終矣。媒妁誉人,而莫之徳也;取庸而強飯之,莫之愛也。雖親父慈母,不加於此,有以為,則恩不接矣。故送往者,非所以迎来也;施死者,非専為生也。誠出於己,則所動者遠矣。錦繡登廟,貴文也;圭璋在前,尚質也。文不勝質,之謂君子。故終年為車,無三寸之鎋,不可以駆馳;匠人斫戸,無一尺之楗,不可以閉蔵。故君子行斯乎其所結。心之精者,可以神化,而不可以導人;目之精者,可以消沢,而不可以昭誋。在混冥之中,不可諭於人。故舜不降席而天下治,桀不下陛而天下乱,蓋情甚乎叫呼也。無諸己,求諸人,古今未之聞也。
書き下し
慈父の子を愛するは、報を為すに非ず。內に心を解く可からざればなり。聖人の民を養うは、用を求むるに非ず。性 已む能わざればなり。火の自ら熱く、冰の自ら寒きが若し。夫れ何をか修めん。其の力を恃み、其の功を賴むに及びては、火を舟中に失うが若し。故に君子は始めを見て、其の終わりを知るなり。媒妁 人を譽むるも、之を德とする莫し。庸を取りて強いて之に飯するも、之を愛する莫し。親父慈母と雖も、此に加えず。以て為す有れば、則ち恩 接せざればなり。故に往く者を送るは、來たるを迎うる所以に非ず。死者に施すは、專ら生の為にするに非ず。誠 己より出づれば、則ち動かす所の者 遠し。錦繡 廟に登るは、文を貴べばなり。圭璋 前に在るは、質を尚べばなり。文 質に勝たざる、之を君子と謂う。故に終年 車を為るも、三寸の鎋無ければ、以て驅馳す可からず。匠人 戶を斫るも、一尺の楗無ければ、以て閉藏す可からず。故に君子は斯に其の結ぶ所を行う。心の精なる者は、以て神化す可くして、以て人を導く可からず。目の精なる者は、以て消澤す可くして、以て昭誋す可からず。混冥の中に在りて、人に諭す可からず。故に舜 席を降らずして天下 治まり、桀 陛を下らずして天下 亂るるは、蓋し情 叫呼よりも甚だしければなり。諸を己に無くして、諸を人に求むるは、古今 未だ之を聞かざるなり。
現代語訳
慈しみ深い父が子を愛するのは、見返りのためではない。内から心をほどくことができないからである。聖人が民を養うのは、使うためではない。性としてやめられないからである。火がおのずと熱く、氷がおのずと冷たいようなものだ。そこに何を修めることがあろう。その力を頼み、その功を当てにするようになれば、舟の中で火を出したようなものだ。だから君子は始めを見て、その終わりを知る。仲人が人を褒めても、それを恩に感じる者はいない。雇い人を雇って無理に飯を食わせても、それを愛と思う者はいない。実の父や慈母であっても、そこに加わるものはない。目的があってのことなら、恩は通わないからである。だから去る者を送るのは、来る者を迎えるためではない。死者に施すのは、生きている者のためだけではない。誠が自分から出れば、動かす範囲は遠くまで及ぶ。錦の刺繍が廟に上がるのは文を貴ぶからであり、玉の器が前に置かれるのは質を尊ぶからである。文が質に勝たないのを君子という。だから一年かけて車を作っても、三寸の楔がなければ走らせられない。職人が戸を削っても、一尺のかんぬきがなければ閉ざせない。だから君子は、その結び目にあたるところを行う。心の精なるものは、おのずと化することはできても、人を導くことはできない。目の精なるものは、潤して溶かすことはできても、言い聞かせることはできない。混沌の中にあって、人に説き明かすことができない。だから舜は席を降りずに天下が治まり、桀は階を降りずに天下が乱れた。情のほうが叫び声よりも強いからである。自分に無いものを人に求めた例は、古今に聞いたことがない。
解説
この章句が説くこと
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「博く學びて詳かに之を說くは、將に以て反って約を說かんとすればなり。」 <解説> 孔子の教学の要旨とされている、「博文約礼」について述べられた節である。『論語』第六雍也篇に「君子博く文を学びて、之を約するに禮を以てせば、亦た以て畔かざるべきか。」とある。この文章の趣旨と合わせて、この節を理解すべきである。
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『韓非子』難言第三多言繁稱にして、類を連ね物を比ぶれば
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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