淮南子 / 繆稱訓
聖人在上,則民樂其治;在下,則民慕其意。小人在上位,如寢關曝纊,不得須臾寧。故《易》曰:「乘馬班如,泣血漣如。」言小人處非其位,不可長也。物莫無所不用,天雄烏喙,藥之凶毒也,良醫以活人;侏儒鼓師,人之困慰者也,人主以備樂。是故聖人制其剟材,無所不用矣。
新字:聖人在上,則民楽其治;在下,則民慕其意。小人在上位,如寝関曝纊,不得須臾寧。故《易》曰:「乗馬班如,泣血漣如。」言小人処非其位,不可長也。物莫無所不用,天雄烏喙,薬之凶毒也,良医以活人;侏儒鼓師,人之困慰者也,人主以備楽。是故聖人制其剟材,無所不用矣。
書き下し
聖人 上に在れば、則ち民 其の治を樂しむ。下に在れば、則ち民 其の意を慕う。小人 上位に在れば、寢關曝纊のごとく、須臾も寧きを得ず。故に『易』に曰く、「馬に乘りて班如たり、泣血 漣如たり」と。小人 其の位に非ざるに處れば、長かる可からざるを言うなり。物 用いる所無き莫し。天雄烏喙は、藥の凶毒なるも、良醫 以て人を活かす。侏儒鼓師は、人の困慰なる者なるも、人主 以て樂を備う。是の故に聖人は其の剟材を制して、用いざる所無し。
現代語訳
聖人が上にいれば民はその治めを楽しみ、下にいれば民はその心を慕う。小人が上の位にいれば、閂を枕にし綿を日にさらすように落ち着かず、わずかの間も安らげない。だから『易』に言う、「馬に乗ってためらい、血の涙が流れ落ちる」。小人がふさわしくない位置にいれば、長くは続かないということである。物には使い道のないものはない。天雄や烏喙は薬のうちでも猛毒だが、良医はそれで人を生かす。背の低い者や太鼓打ちは、人として不自由を抱えた者だが、君主はそれで楽を整える。だから聖人は素材を切り分けて用い、使えないものがない。
解説
位置が合っていない人は、本人がまず落ち着かない。「小人 上位に在れば、寢關曝纊のごとく、須臾も寧きを得ず」。閂を枕に寝るような居心地の悪さ、と。そのあとが、使い道の話に転じます。トリカブトは猛毒でも良医は薬に使い、体に不自由のある者も楽人として立つ。「物 用いる所無き莫し」。使えるかどうかではなく、どこで使うかだけの問題だ、という並べ方です。
この章句が説くこと
聖人上に在れば則ち民其の治を楽しむ小人上位に在れば寝関曝纊のごとく須臾も寧きを得ず小人其の位に非ざるに処れば長かる可からず天雄烏喙は薬の凶毒なるも良医以て人を活かす聖人は其の剟材を制して用いざる所無し適所
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