易経 / 漸卦
小子之厲,義无咎也。 飲食衎衎,不素飽也。 夫征不復,離群丑也。婦孕不育,失其道也。利用禦寇,順相保也。 或得其桷,順以巽也。 終莫之勝,吉;得所愿也。 其羽可用為儀,吉;不可亂也。
新字:小子之厲,義无咎也。 飲食衎衎,不素飽也。 夫征不復,離群丑也。婦孕不育,失其道也。利用禦寇,順相保也。 或得其桷,順以巽也。 終莫之勝,吉;得所愿也。 其羽可用為儀,吉;不可乱也。
書き下し
小子の厲ふきは、義として咎无きなり。飲食衎衎たりとは、素(むな)しく飽かざるなり。夫征きて復らずとは、群丑(なかま)を離るるなり。婦孕みて育はずとは、其の道を失ふなり。用て寇を禦ぐに利ありとは、順にして相保つなり。或いは其の桷を得とは、順にして以て巽へばなり。終に之に勝つ莫し、吉とは、願ふ所を得るなり。其の羽用て儀と為すべし、吉とは、乱るべからざるなり。
現代語訳
若い者が危ういのは、道理として咎がないのである。飲み食いして和やかに楽しむとは、何もせずにただ食べて満ちているのではない。夫が出征して帰らないとは、仲間から離れるのである。妻が身ごもっても育てられないとは、その道を失うのである。外敵を防ぐのによいとは、素直に互いを守り合うのである。平らな枝を得るとは、素直にへりくだるからである。最後には誰もこれに勝てず吉とは、願うところを得るのである。その羽は儀式の飾りとして用いられて吉とは、その秩序を乱すことができないのである。
解説
漸の爻辞に象伝が理由を添えた部分です。六二の岩の上で和やかに食べる姿を「素しく飽かざるなり」と説き、働きもせずに禄を食んでいるのではないと確かめます。九三の夫が出て帰らないのは「群丑を離るるなり」、仲間を離れて先を急いだからです。上九の羽が手本になるのは「乱るべからざるなり」、順を踏んで進んだ者の姿は乱すことができないからだと結びます。一足飛びに進もうとして仲間から離れていないか、今の持ち場で実のある働きをしているかを省みたいものです。
この章句が説くこと
段階仲間手本成長
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