易経 / 震卦
震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,后有則也。 震來厲,乘剛也。 震蘇蘇,位不當也。 震遂泥,未光也。 震往來厲,危行也。其事在中,大无喪也。 震索索,中未得也。雖凶无咎,畏鄰戒也。
新字:震来虩虩,恐致福也。笑言唖唖,后有則也。 震来厲,乗剛也。 震蘇蘇,位不当也。 震遂泥,未光也。 震往来厲,危行也。其事在中,大无喪也。 震索索,中未得也。雖凶无咎,畏鄰戒也。
書き下し
震の来るとき虩虩たりとは、恐れて福を致すなり。笑言啞啞たりとは、后に則有るなり。震の来ること厲ふしとは、剛に乗ればなり。震ひて蘇蘇たりとは、位当らざればなり。震ひて遂に泥むとは、未だ光いならざるなり。震往来厲ふしとは、危ふくして行くなり。其の事中に在り、大いに喪ふこと无きなり。震ひて索索たりとは、中未だ得ざればなり。凶なりと雖も咎无しとは、隣を畏れて戒むればなり。
現代語訳
雷が来るとおそれおののくとは、恐れ慎むことでかえって福を招くのである。笑い声が和やかに響くとは、恐れた後に守るべき法ができるのである。雷が激しく来て危ういとは、剛強なものの上に乗っているからである。雷に震えてうろたえるとは、位がふさわしくないからである。雷に震えてついに泥にはまるとは、まだ大きく輝いていないのである。雷が行き来して危ういとは、危うい中を進んで行くのである。なすべき事は中の位にあり、大いに失うことはないのである。雷に震えて気力が失せるとは、まだ中の道を得ていないからである。凶ではあるが咎がないとは、隣の災いを恐れて自ら戒めるからである。
解説
震の爻辞に象伝が理由を添えた部分です。雷に震え上がるのは「恐れて福を致すなり」、恐れて身を慎むからこそ福を招くのだと説き、後で笑って語れるのは「后に則有るなり」、慎んだ後に守るべき法を得たからだと言います。上六には「隣を畏れて戒むればなり」とあり、災いが隣に落ちた段階で自らを戒めれば、凶の中でも咎はないと確かめます。恐れは悪いものではなく、慎みに変えれば力になります。他人の失敗を対岸の火事とせず、自分のこととして備えを見直したいものです。
この章句が説くこと
恐れ慎み危機戒め
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