易経 / 咸卦
咸其拇,志在外也。 雖凶,居吉,順不害也。 咸其股,亦不處也。志在隨人,所執下也。 貞吉悔亡,未感害也。憧憧往來,未光大也。 咸其脢,志末也。 咸其輔,頰,舌,滕口說也。
新字:咸其拇,志在外也。 雖凶,居吉,順不害也。 咸其股,亦不処也。志在随人,所執下也。 貞吉悔亡,未感害也。憧憧往来,未光大也。 咸其脢,志末也。 咸其輔,頬,舌,滕口説也。
書き下し
其の拇に咸ずとは、志外に在るなり。凶なりと雖も、居れば吉とは、順えば害あらざるなり。其の股に咸ずとは、亦処らざるなり。志人に随うに在り、執る所下なり。貞なれば吉にして悔い亡ぶとは、未だ感じて害あらざるなり。憧憧として往来すとは、未だ光大ならざるなり。其の脢に咸ずとは、志末なり。其の輔頰舌に咸ずとは、口説を滕ぐるなり。
現代語訳
「足の親指に感じる」とは、志が外に向いていることである。「凶であるが、じっとしていれば吉」とは、道に順っていれば害がないということである。「股に感じる」とは、やはりじっとしていられないことである。志が人に従うことにあるのは、固執するところが低いからである。「正しさを守れば吉で、悔いが消える」とは、まだ私心に感じて害を受けていないからである。「心が落ち着かずに行き来する」とは、まだその感応が輝いて大きくなっていないからである。「背中の肉に感じる」とは、志が末のほうにとどまっていることである。「あご・頬・舌に感じる」とは、口先の弁舌をふるうことである。
解説
咸の爻辞に象伝が理由を添えた部分です。九四の、心が落ち着かずに行き来することを「未だ光大ならざるなり」と説き、下心をもって動く感応は大きく輝かないとします。そして上六のあご・頬・舌に感じることを「口説を滕ぐるなり」、口先の弁舌をふるうことだと断じ、言葉だけで人を動かそうとする軽さを戒めます。九三の股に感じるのも、人に従うことに固執して自分の足で立たないからです。人を動かすのは弁舌ではなく、打算のない誠で感じ合うことだと心に留めたいところです。
この章句が説くこと
感応誠口先打算
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