易経 / 復卦
不遠之復,以修身也。 休復之吉,以下仁也。 頻復之厲,義无咎也。 中行獨復,以從道也。 敦復无悔,中以自考也。 迷復之凶,反君道也。
新字:不遠之復,以修身也。 休復之吉,以下仁也。 頻復之厲,義无咎也。 中行独復,以従道也。 敦復无悔,中以自考也。 迷復之凶,反君道也。
書き下し
遠からずして復るは、以て身を修むるなり。休く復るの吉は、以て仁に下るなり。頻りに復るの厲ふきは、義として咎无きなり。中行して独り復るは、以て道に従ふなり。敦く復りて悔无きは、中以て自ら考(な)すなり。復るに迷ふの凶は、君道に反すればなり。
現代語訳
遠くへ行かないうちに戻るとは、それによって身を修めることである。よい形で戻って吉とは、仁ある者にへりくだって従うからである。しきりに戻って危ういとは、道義としては咎がないということである。仲間の中ほどを行きながらただ一人戻るとは、それによって道に従うことである。手厚く戻って悔いがないとは、中庸を保って自分を省みて成し遂げることである。戻る道に迷って凶とは、君主の道に背くからである。
解説
復の爻辞に象伝が理由を添えた部分です。初九の、遠くへ行かないうちに戻ることを「以て身を修むるなり」と説き、過ちから早く立ち返ることこそ修養そのものだとします。六三の、しきりに戻る危うさにも「義として咎无きなり」と、何度つまずいても戻り続ける者を認めます。一方、上六の戻る道に迷う凶は「君道に反すればなり」とされます。人は過ちを避けきれませんが、気づいたら小さなうちに引き返し、何度でもやり直す姿勢が、身を立てる力になります。
この章句が説くこと
修身立ち返る過ちやり直し
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