易経 / 噬嗑卦
屨校滅趾,不行也。 噬膚滅鼻,乘剛也。 遇毒,位不當也。 利艱貞吉,未光也。 貞厲无咎,得當也。 何校滅耳,聰不明也。
新字:屨校滅趾,不行也。 噬膚滅鼻,乗剛也。 遇毒,位不当也。 利艱貞吉,未光也。 貞厲无咎,得当也。 何校滅耳,聰不明也。
書き下し
校を屨きて趾を滅るとは、行かざるなり。膚を噬みて鼻を滅すとは、剛に乗ればなり。毒に遇うとは、位当たらざればなり。艱貞に利ろし、吉とは、未だ光いならざるなり。貞なれども厲し、咎无しとは、当を得ればなり。校を何いて耳を滅るとは、聡明らかならざるなり。
現代語訳
「足かせをはめられて足の指が隠れる」とは、それ以上悪事に進ませないことである。「柔らかい肉にかみついて鼻まで埋まる」とは、剛い初九の上に乗っているからである。「毒にあたる」とは、位がふさわしくないからである。「苦しみの中で正しさを守るのがよく、吉」とは、まだ徳が輝いて広がっていないからである。「正しくても危ういが、とがめはない」とは、当を得ているからである。「首かせを負わされて耳が隠れる」とは、耳が聞こえず道理が分からないからである。
解説
噬嗑の爻辞に象伝が理由を添えた部分です。初九の足かせは「行かざるなり」、小さな罰によってそれ以上悪事に進ませないことだと説きます。対して上九が首かせで耳まで隠れる凶は「聡明らかならざるなり」、つまり聞く耳を持たず道理がわからなかった報いだといいます。罰は早く軽いうちに効き、忠告を聞き入れない者ほど重い結末を招くのです。職場でも、小さな注意を素直に受け止めて行いを改める人は大きく崩れず、耳をふさぐ人ほど取り返しのつかない所まで進んでしまいます。
この章句が説くこと
戒め忠告聞く耳早期対応
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