易経 / 臨卦
咸臨貞吉,志行正也。 咸臨,吉无不利;未順命也。 甘臨,位不當也。既憂之,咎不長也。 至臨无咎,位當也。 大君之宜,行中之謂也。 敦臨之吉,志在內也。
新字:咸臨貞吉,志行正也。 咸臨,吉无不利;未順命也。 甘臨,位不当也。既憂之,咎不長也。 至臨无咎,位当也。 大君之宜,行中之謂也。 敦臨之吉,志在内也。
書き下し
咸じて臨む、貞にして吉とは、志正を行うなり。咸じて臨む、吉にして利ろしからざる无しとは、未だ命に順わざるなり。甘くして臨むとは、位当たらざればなり。既に之を憂うれば、咎長からざるなり。至りて臨む、咎无しとは、位当たればなり。大君の宜しきとは、中を行うの謂なり。敦くして臨むの吉は、志内に在るなり。
現代語訳
「感じ合って臨み、正しさを守れば吉」とは、志が正しさを行うことである。「感じ合って臨み、吉で不利がない」とは、ただ上の命にやみくもに従うのではないということである。「甘い言葉で臨む」とは、位がふさわしくないからである。それを憂えて改めれば、とがめは長く続かない。「真心を尽くして臨み、とがめがない」とは、位がふさわしいからである。「大君にふさわしいあり方」とは、中庸を行うことをいう。「手厚い真心で臨んで吉」とは、志が内にあることである。
解説
臨の爻辞に象伝が理由を添えた部分です。要になるのは六三と六五です。甘い言葉で臨むのは「位当たらざればなり」とされ、ふさわしくない立場を口先で補おうとする姿を示しますが、「既に之を憂うれば、咎長からざるなり」と、気づいて改めれば咎は長く続かないと励まします。六五の「大君の宜しき」は「中を行うの謂なり」、偏らない中庸を行うことだと説きます。人の上に立つとき、甘さで取り繕ったと気づいたら早く改め、偏らずに臨むことが信頼を築きます。
この章句が説くこと
統率中庸改める甘さ
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