易経 / 象伝
山下出泉,蒙;君子以果行育德。
新字:山下出泉,蒙;君子以果行育徳。
書き下し
山下に泉出づるは蒙なり、君子は以て行いを果たし徳を育つ。
現代語訳
山のふもとから泉がわき出る、これが蒙の形である。君子はこれにならい、行いを果断に実行し、そうして徳を養い育てる。
解説
蒙は下に水、上に山を置き、山のふもとから泉がわき出る形です。わき出たばかりの泉は細く、どちらへ流れるかも定まっていません。ここから蒙は、まだ何も知らない子どものような状態、蒙昧を表します。象伝は、君子はこれを見て「行いを果たし徳を育つ」と言います。泉がやがて確かな流れとなって海に至るように、人もためらいを断って行動を重ね、その積み重ねの中で徳が育っていくという見方です。知識を頭に入れることだけが教育ではありません。やってみて、間違えて、直す。その反復こそが人を育てます。新人の育成でも、自分自身の学び直しでも同じでしょう。完全に理解してから動こうとすると、泉はよどんで濁ります。小さくてよいから実際にやらせてみる、やってみる。決断と実行を先に置き、徳と力は後からついてくると考えるのが蒙の知恵です。
この章句が説くこと
蒙果行育徳人材育成易経
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