童子問 / 卷下
問。伏犧神農黃帝少昊顓頊高辛。皆上古之聖神。夫子奚以不取。曰。夫子不明言其不取之之意。今不可得而詳焉。孟子曰。堯舜之道。孝弟而已矣。又曰。規矩方員之至也。聖人人倫之至也。欲爲君盡君道。欲爲臣盡臣道。二者皆法堯舜而已矣。又曰。舜明於庶物。察於人倫。由仁義行。非行仁義也。由是觀之。三皇三帝之道。豈其有不宜人倫日用之道者。而黜之歟。漢孔安國尙書序曰。伏義神農黃帝之書。謂之三墳。言大道也。少昊顓頊高辛唐虞之書。謂之五典。言常道也。孔子討論墳典。斷自唐虞。以下訖于周。觀其曰言大道。則三皇之道。專尙磅礴廣大無爲自化。而實有不宜人倫常道者。可知矣。吁。天下豈有大於常道者乎哉。其爲出於常道之上。而別有大道焉。則其道豈非磅礴廣大。不宜人倫日用。而有與堯舜之道差異者耶。磅礡廣大無爲自化之道。乃方外高逹之士之所必藉口以託其說。而邪說暴行之所由興也。然則。夫子之不取也。其意可知矣。
新字:問。伏犠神農黄帝少昊顓頊高辛。皆上古之聖神。夫子奚以不取。曰。夫子不明言其不取之之意。今不可得而詳焉。孟子曰。堯舜之道。孝弟而已矣。又曰。規矩方員之至也。聖人人倫之至也。欲為君尽君道。欲為臣尽臣道。二者皆法堯舜而已矣。又曰。舜明於庶物。察於人倫。由仁義行。非行仁義也。由是観之。三皇三帝之道。豈其有不宜人倫日用之道者。而黜之歟。漢孔安国尚書序曰。伏義神農黄帝之書。謂之三墳。言大道也。少昊顓頊高辛唐虞之書。謂之五典。言常道也。孔子討論墳典。断自唐虞。以下訖于周。観其曰言大道。則三皇之道。専尚磅礴広大無為自化。而実有不宜人倫常道者。可知矣。吁。天下豈有大於常道者乎哉。其為出於常道之上。而別有大道焉。則其道豈非磅礴広大。不宜人倫日用。而有与堯舜之道差異者耶。磅礡広大無為自化之道。乃方外高逹之士之所必藉口以託其説。而邪説暴行之所由興也。然則。夫子之不取也。其意可知矣。
書き下し
問ふ、伏犧・神農・黄帝・少昊・顓頊・高辛は、皆上古の聖神なり。夫子奚を以て取らざるや、と。曰く、夫子は其の之を取らざるの意を明言せず。今得て詳らかにすべからず。孟子曰く、堯舜の道は孝弟のみ、と。又曰く、規矩は方員の至りなり。聖人は人倫の至りなり。君たらんと欲せば君の道を尽くし、臣たらんと欲せば臣の道を尽くす。二者は皆堯舜に法るのみ、と。又曰く、舜は庶物に明らかにして、人倫に察らかなり。仁義に由りて行ふ。仁義を行ふに非ざるなり、と。是に由りて之を観れば、三皇三帝の道、豈に其れ人倫日用の道に宜しからざる者有りて、之を黜けたるか。漢の孔安国の尚書序に曰く、伏羲・神農・黄帝の書、之を三墳と謂ふ、大道を言ふなり。少昊・顓頊・高辛・唐虞の書、之を五典と謂ふ、常道を言ふなり。孔子墳典を討論して、断つに唐虞よりし、以下周に訖る、と。其の大道を言ふと曰ふを観れば、則ち三皇の道は、専ら磅礴広大・無為自化を尚びて、実に人倫常道に宜しからざる者有ること、知るべし。吁、天下豈に常道より大なる者有らんや。其れ常道の上に出でて、別に大道有りと為せば、則ち其の道豈に磅礴広大にして、人倫日用に宜しからず、而して堯舜の道と差異有る者に非ずや。磅礴広大・無為自化の道は、乃ち方外高達の士の必ず藉口して以て其の説を託する所にして、邪説暴行の由りて興る所なり。然らば則ち夫子の取らざるや、其の意知るべし。
現代語訳
問う。伏犠・神農・黄帝・少昊・顓頊・高辛は、みな上古の神聖な聖人である。孔子はどうしてこれらを取らなかったのか。答える。孔子はそれらを取らなかった意図を明言していない。いまとなっては詳しく知ることはできない。孟子は「堯舜の道は孝弟にほかならない」と言った。また「定規とコンパスは四角と円の極みである。聖人は人倫の極みである。君になろうとするなら君の道を尽くし、臣になろうとするなら臣の道を尽くす。この二つはどちらも堯舜にのっとるだけである」と言った。また「舜は万物に明らかで、人倫をよく察した。仁義によって行ったのであって、仁義を(外から)行ったのではない」と言った。これによって見れば、三皇三帝の道には、人倫日用の道にそぐわないところがあって、孔子はそれを退けたのではなかろうか。漢の孔安国の「尚書序」に「伏羲・神農・黄帝の書を三墳といい、大道を述べたものである。少昊・顓頊・高辛・唐・虞の書を五典といい、常道を述べたものである。孔子は墳典を検討して、唐虞から始め、以下周で終えた」とある。それが大道を述べたものだと言っているのを見れば、三皇の道はもっぱら広大無辺で、何もしなくてもおのずから化するということを尊び、実際に人倫の常道にそぐわないところがあったことがわかる。ああ、天下に常道より大きなものがあろうか。常道の上に出て、別に大道があるとするなら、その道は広大無辺で人倫日用にそぐわず、堯舜の道と食い違うものではないか。広大無辺で無為自化の道は、世俗の外にいる高尚ぶった人々が必ず口実にして自説を託するものであり、邪説暴行が起こるもとである。そうであれば、孔子がそれらを取らなかった意図はわかるであろう。
解説
この章句が説くこと
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