童子問 / 卷下
問。孟子曰。夫子賢於堯舜遠矣。程子曰。語聖則不異。事功則有異。夫子賢於堯舜。語事功也。此說頗似牽合。如何。曰。聖人亦人焉耳。安得人人皆同。雖天地之化。有豐年。有歉歲。年年不同。歲歲相異。雖經千歲之遠。不得一歲同焉。奚獨於聖人疑之。程子專以理字懸斷。而不知視其實故也。予以謂。孟子之後識道者。莫程子若。然猶有悅高遠之意。故於孔孟之旨。所齟齬者間多。孟子只曰賢於堯舜。而不曰其所以賢於堯舜者如何。則未必可定爲以事功言之。王陽明以萬鎰金譬堯舜。以九千鎰金譬孔子。尤非也。可以供知道者之大噱。故實知孟子之本指。而後能知孔子之所以爲孔子。知孔子之所以爲孔子。而後眞知其所以賢於堯舜矣。
新字:問。孟子曰。夫子賢於堯舜遠矣。程子曰。語聖則不異。事功則有異。夫子賢於堯舜。語事功也。此説頗似牽合。如何。曰。聖人亦人焉耳。安得人人皆同。雖天地之化。有豊年。有歉歳。年年不同。歳歳相異。雖経千歳之遠。不得一歳同焉。奚独於聖人疑之。程子専以理字懸断。而不知視其実故也。予以謂。孟子之後識道者。莫程子若。然猶有悦高遠之意。故於孔孟之旨。所齟齬者間多。孟子只曰賢於堯舜。而不曰其所以賢於堯舜者如何。則未必可定為以事功言之。王陽明以万鎰金譬堯舜。以九千鎰金譬孔子。尤非也。可以供知道者之大噱。故実知孟子之本指。而後能知孔子之所以為孔子。知孔子之所以為孔子。而後真知其所以賢於堯舜矣。
書き下し
問ふ、孟子曰く、夫子は堯舜より賢れること遠し、と。程子曰く、聖を語れば則ち異ならず、事功は則ち異なる有り。夫子の堯舜より賢れるは、事功を語るなり、と。此の説頗る牽合に似たり。如何、と。曰く、聖人も亦人なるのみ。安んぞ人人皆同じきを得ん。天地の化と雖も、豊年有り、歉歳有り、年年同じからず、歳歳相異なる。千歳の遠きを経と雖も、一歳も同じきを得ず。奚ぞ独り聖人に於て之を疑はん。程子は専ら理の字を以て懸断して、其の実を視ることを知らざるが故なり。予以謂へらく、孟子の後、道を識る者は、程子に若くは莫し。然れども猶高遠を悦ぶの意有り。故に孔孟の旨に於て、齟齬する所の者間々多し。孟子は只堯舜より賢れりと曰ひて、其の堯舜より賢れる所以の者如何を曰はず。則ち未だ必ずしも定めて事功を以て之を言ふと為すべからず。王陽明は万鎰の金を以て堯舜に譬へ、九千鎰の金を以て孔子に譬ふ。尤も非なり。以て道を知る者の大噱に供すべし。故に実に孟子の本指を知りて、而る後に能く孔子の孔子たる所以を知る。孔子の孔子たる所以を知りて、而る後に真に其の堯舜より賢れる所以を知る。
現代語訳
問う。孟子は「孔子は堯や舜よりはるかに優れている」と言った。程子は「聖人であることを言えば違いはないが、事業の功績には違いがある。孔子が堯舜より優れているというのは、事業の功績を言うのである」と言った。この説はかなりこじつけのように思われる。どうか。答える。聖人もまた人にすぎない。どうして人がみな同じであることがあろうか。天地の造化でさえ、豊作の年もあれば凶作の年もあり、年ごとに同じでなく、歳ごとに異なる。千年の長きを経ても、一年として同じ年はない。どうして聖人についてだけ、それを疑うのか。程子はもっぱら「理」の字で頭ごなしに決めつけ、その実際を見ることを知らなかったからである。私が思うに、孟子の後で道を知る者としては、程子に及ぶ者はいない。しかしなお高遠を好む気持ちがあった。だから孔孟の趣旨と食い違うところがときどき多い。孟子はただ「堯舜より優れている」と言っただけで、堯舜より優れている理由がどうであるかは言っていない。だから必ずしも事業の功績について言ったものと決めることはできない。王陽明は一万鎰の金を堯舜にたとえ、九千鎰の金を孔子にたとえた。これはいっそう誤りである。道を知る者の大笑いの種にしかならない。だから本当に孟子の本旨を知って、初めて孔子が孔子である理由を知ることができる。孔子が孔子である理由を知って、初めて本当に孔子が堯舜より優れている理由を知るのである。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・理を推して是れ視る時勢を以て理を低昂する者は、眾人なり。理を以て時勢を低昂する者は、賢人なり。理を推して是れ視、低昂する所無き者は、聖人なり。
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『呻吟語』外篇・品藻・惟だ其の理のみ勢の為す可からずして猶ほ之を為す者有るは、惟だ其の理のみ。此を知らば則ち三仁は五臣と事功を比す可く、孔子は堯・舜と政治を較ぶ可し。
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『呻吟語』内篇・談道・勢は帝王の權、理は聖人の權公卿朝に爭議するに、天子に命有りと曰へば、則ち屏然として敢へて屈直せず。師儒學に相辯ずるに、孔子に言有りと曰へば、則ち寂然として敢へて異同せず。故に天地の間、惟だ理と勢とを最尊と為す。然りと雖も、理は又尊の尊なり。廟堂の上に理を言へば、則ち天子も勢を以て相奪ふを得ず。即し相奪ふとも、理は則ち常に天下萬世に伸ぶ。故に勢は、帝王の權なり。理は、聖人の權なり。帝王に聖人の理無くんば、則ち其の權時有りて屈す。然らば則ち理なる者は、又勢の恃みて以て存亡を為す所なり。莫大の權を以て僭竊の禁無し。此れ儒者の辭せずして敢へて斯道の南面に任ずる所以なり。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、汝は理を直ちに命と云ふ、是大いに誤れり。理は玉の理なり。又総て物の理なれば、通るまでのことにて死物なり。命は、書経にも、惟れ命は常に于てせずと云へり。天の降せる命なれば、活物の性なり。斯くのごとく別なり。然るを、死活を以て一致とするは如何なることぞ。
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