童子問 / 卷下
問。然則。孔子之所以賢於堯舜者。果何在。曰。此是古今未了大公案。學者之於道。其知與不知。得與不得。總決於此。非一言之所能悉也。學者眞能知高遠廣大難知難行之說卽邪說暴行。而人倫日用平常可行之道實爲至極。而後自知其所以賢於堯舜之實也。今且以事實明告夫源愈深。則流愈遠矣。根愈大。則樹愈盛矣。故見其敎之遠被。則知其道之本大。見其化之遠及。則知其德之甚廣。堯舜天子也。宜其聲敎之遠曁。而餘澤之久流。然治績不過于九州。子孫襲封亦不及後世。仲尼匹夫也。旅人也。然道德遠曁。不可限量。以地。則自鄒魯之鄕。不問海之内外。至四夷之遠。凡有文字國。莫不尊崇夫子之敎。以禮。則身被天子服裳。用天子禮樂。春秋二仲。天子親臨雍。上自大學。下至州縣學。延及夷服之地。各修釋奠禮。惟謹。以時。則自夫子時到今。既二千餘年。猶一日也。其子孫。亦相襲封爵。到今不絕。猗嗟盛哉。
新字:問。然則。孔子之所以賢於堯舜者。果何在。曰。此是古今未了大公案。学者之於道。其知与不知。得与不得。総決於此。非一言之所能悉也。学者真能知高遠広大難知難行之説即邪説暴行。而人倫日用平常可行之道実為至極。而後自知其所以賢於堯舜之実也。今且以事実明告夫源愈深。則流愈遠矣。根愈大。則樹愈盛矣。故見其教之遠被。則知其道之本大。見其化之遠及。則知其徳之甚広。堯舜天子也。宜其声教之遠曁。而余沢之久流。然治績不過于九州。子孫襲封亦不及後世。仲尼匹夫也。旅人也。然道徳遠曁。不可限量。以地。則自鄒魯之郷。不問海之内外。至四夷之遠。凡有文字国。莫不尊崇夫子之教。以礼。則身被天子服裳。用天子礼楽。春秋二仲。天子親臨雍。上自大学。下至州県学。延及夷服之地。各修釈奠礼。惟謹。以時。則自夫子時到今。既二千余年。猶一日也。其子孫。亦相襲封爵。到今不絶。猗嗟盛哉。
書き下し
問ふ、然らば則ち孔子の堯舜より賢れる所以の者は、果たして何くに在りや、と。曰く、此れは是れ古今未了の大公案なり。学者の道に於ける、其の知ると知らざると、得ると得ざるとは、総て此に決す。一言の能く悉くす所に非ざるなり。学者真に能く高遠広大・難知難行の説の即ち邪説暴行にして、人倫日用平常行ふべきの道の実に至極たることを知りて、而る後に自ら其の堯舜より賢れる所以の実を知るなり。今且く事実を以て明らかに告げん。夫れ源愈々深ければ、則ち流れ愈々遠く、根愈々大なれば、則ち樹愈々盛んなり。故に其の教への遠く被るを見れば、則ち其の道の本の大なるを知り、其の化の遠く及ぶを見れば、則ち其の徳の甚だ広きを知る。堯舜は天子なり。宜なり其の声教の遠く曁び、余沢の久しく流るること。然れども治績は九州に過ぎず、子孫の襲封も亦後世に及ばず。仲尼は匹夫なり、旅人なり。然れども道徳遠く曁びて、限量すべからず。地を以てすれば、則ち鄒魯の郷より、海の内外を問はず、四夷の遠きに至るまで、凡そ文字有るの国は、夫子の教へを尊崇せざる莫し。礼を以てすれば、則ち身に天子の服裳を被り、天子の礼楽を用ふ。春秋の二仲、天子親ら雍に臨み、上は大学より、下は州県の学に至り、延いて夷服の地に及ぶまで、各々釈奠の礼を修めて、惟れ謹む。時を以てすれば、則ち夫子の時より今に到るまで、既に二千余年、猶一日のごときなり。其の子孫も亦相襲ひて封爵せられ、今に到るまで絶えず。猗嗟盛んなるかな。
現代語訳
問う。それでは、孔子が堯舜より優れている理由は、いったいどこにあるのか。答える。これは古今いまだ決着していない大きな問題である。学ぶ者が道について知るか知らないか、得るか得ないかは、すべてここで決まる。一言で言い尽くせることではない。学ぶ者が、高遠広大で知りがたく行いがたい説こそ邪説暴行であり、人倫日用の平常で行いやすい道こそ実に至極であることを本当に知って、初めて自ら孔子が堯舜より優れている実際を知るのである。いましばらく事実によってはっきりと告げよう。そもそも源が深ければ深いほど流れは遠くまで及び、根が大きければ大きいほど樹は盛んになる。だからその教えが遠くまで行き渡っているのを見れば、その道の根本が大きいことがわかり、その感化が遠くまで及んでいるのを見れば、その徳がきわめて広いことがわかる。堯舜は天子である。その声望と教化が遠くまで及び、恵みが長く流れたのは当然である。しかしその治績は九州(中国全土)を出ず、子孫が領地を受け継ぐことも後世までは及ばなかった。孔子は一介の庶民であり、旅人である。しかしその道徳は遠くまで及んで、限りがない。土地でいえば、鄒魯の郷里から、海の内外を問わず、四方の異民族の遠い地に至るまで、およそ文字のある国で孔子の教えを尊び崇めないところはない。礼でいえば、天子の衣裳を身に着け、天子の礼楽を用いて祀られる。春と秋の仲月には、天子が自ら辟雍に臨み、上は大学から下は州県の学校に至り、さらに辺境の地にまで及んで、それぞれ釈奠の礼を行い、謹んでいる。時でいえば、孔子の時から今に至るまで、すでに二千年余り、まるで一日のようである。その子孫もまた代々封爵を受け継ぎ、今に至るまで絶えていない。ああ、なんと盛んなことか。
解説
この章句が説くこと
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