洗心洞箚記 / 後自述
然而雖聖人一落言詮。則其弊必生焉。故後之浮文而無實者。假是文以爲口實矣。冥行而不著者。假是行以爲口實矣。忠信而不好學者。假是忠信以爲口實矣。而詩書執禮。亦各有弊矣。其至於是。而道德太虛之微乃隱。而聖人之意亦荒矣。夫聖人固知其弊盛乎將來矣。故曰。文勝質則史。文莫吾猶人也。躬行君子。則吾未之有得。是乃豫防其浮文之弊也。曰蓋有不知而作之者。我無是也。是乃豫防冥行之弊也。曰十室之邑。必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也。是乃豫防忠信而不好學者之弊也。而詩書執禮之弊。亦見乎戴記經解焉。吾故曰。雖聖人一落言詮。則其弊必生焉。以此也。
新字:然而雖聖人一落言詮。則其弊必生焉。故後之浮文而無実者。仮是文以為口実矣。冥行而不著者。仮是行以為口実矣。忠信而不好学者。仮是忠信以為口実矣。而詩書執礼。亦各有弊矣。其至於是。而道徳太虚之微乃隠。而聖人之意亦荒矣。夫聖人固知其弊盛乎将来矣。故曰。文勝質則史。文莫吾猶人也。躬行君子。則吾未之有得。是乃予防其浮文之弊也。曰蓋有不知而作之者。我無是也。是乃予防冥行之弊也。曰十室之邑。必有忠信如丘者焉。不如丘之好学也。是乃予防忠信而不好学者之弊也。而詩書執礼之弊。亦見乎戴記経解焉。吾故曰。雖聖人一落言詮。則其弊必生焉。以此也。
書き下し
然り而して聖人と雖も一たび言詮に落つれば、則ち其の弊必ず生ず。故に後の文を浮かべて実無き者は、是の文を仮りて以て口実と為す。冥行して著らかならざる者は、是の行を仮りて以て口実と為す。忠信にして学を好まざる者は、是の忠信を仮りて以て口実と為す。而して詩書執礼も亦各々弊有り。其の是に至りて、道徳太虚の微乃ち隠れ、而して聖人の意も亦荒る。夫れ聖人固より其の弊の将来に盛んなるを知る。故に曰く、文質に勝れば則ち史なり。文は吾猶ほ人のごときこと莫からんや。躬ら君子を行ふは、則ち吾未だ之を得る有らずと。是れ乃ち予め其の浮文の弊を防ぐなり。曰く、蓋し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなりと。是れ乃ち予め冥行の弊を防ぐなり。曰く、十室の邑、必ず忠信丘の如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなりと。是れ乃ち予め忠信にして学を好まざる者の弊を防ぐなり。而して詩書執礼の弊も、亦戴記の経解に見ゆ。吾故に曰く、聖人と雖も一たび言詮に落つれば、則ち其の弊必ず生ずと。此を以てなり。
現代語訳
しかし聖人であっても、いったん言葉で説けば、必ずその弊害が生じる。だから後世、文を飾るばかりで中身のない者は、この「文」を口実にし、わけもわからず行う者は「行」を口実にし、忠信ではあっても学を好まない者は「忠信」を口実にする。『詩』『書』と礼にも、それぞれ弊害がある。そこまで来ると、道徳太虚の奥深さは隠れ、聖人の意図も荒れはててしまう。聖人はもとよりその弊害が将来盛んになることを知っていた。だから「文が質に勝てば史(飾りばかりの書記)になる」「文については私も人並みだろう。身をもって君子を行うことは、私はまだできていない」と言った。これは文を浮かべる弊をあらかじめ防いだのである。「知りもせずに作る者がいるかもしれないが、私はそうではない」と言った。これは冥行の弊をあらかじめ防いだのである。「十軒ほどの村にも、私(丘)ほど忠信な者はきっといる。だが私ほど学を好む者はいない」と言った。これは忠信でも学を好まない弊をあらかじめ防いだのである。『詩』『書』と礼の弊害も『礼記』経解篇に見える。私が「聖人でもいったん言葉に落とせば必ず弊害が生じる」と言ったのは、このためである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、天下の善、如何なるをか最と為す、と。曰く、好学を最と為す。穎敏之に次ぎ、材幹又之に次ぐ。蓋し好学の益は、深くして測るべからず、高くして及ぶべからず。天下の材幹穎敏を極むと雖も、皆及ばざる所なり。故に好学は天下に優れり。孔門の諸子、聡明は顔子に若くは莫し。然れども夫子其の聡明を称せずして、特に其の好学を称す。中庸に曰く、舜は問ふことを好みて、好んで邇言を察す、と。孟子舜を称して曰く、耕稼陶漁より以て帝と為るに至るまで、人に取るに非ざる者無し、と。又曰く、一善言を聞き、一善行を見るに及びては、江河を決するが若く、沛然として之を能く禦ぐ莫きなり、と。子思・孟子皆其の聖を称せずして、一は問ふを好むを称し、一は人に取るに非ざる者無きを称す。好学の天下に優れるを見るべし。人皆聡明の貴ぶべきを知りて、好学の功、聡明に倍すること実に万万なるを知らざるなり。聡明の人に如かざるを患へんよりは、自ら其の好学の志を篤くするに如かざるなり。
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『洗心洞箚記』後自述嗚呼、之を総ぶるに、忠信の人と雖も、然も学を好まざれば、則ち孔子の坊を潰決するに庶し。而るを況んや浮文冥行の人をや。況んや徒に詩書執礼を学ぶ者をや。而して其の好学の二字は、一つは則ち孔子自ら言ひ、一つは則ち顔子を称するに之を以てし、而して未だ嘗て之を其の余の人に許さず。則ち其の重きこと知るべし。是の故に人孔門の四教を奉遵して、以て詩書執礼に従事すと雖も、然も其の好学の訣を知らざれば、則ち将に其の性の近き所に従ひて入らんとして、却つて其の性の近き所に偏り、以て道徳太虚の微を窺ふを得ず、遂に浮文冥行忠信にして学を好まざるの窠臼に墜ちて、一生頭を出だし身を跳らすこと能はず。古往今来、其の人数ふるに堪へず。是れ豈に惜しむべからざらんや。故に後進者は、好学の訣を知らざるべからざるなり。
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『弁名』智苟も先王の教へに遵ひ、其の事を習ふことの久しきに非ざれば、則ち知る所は皆世俗の知なり。何を以て能く仁の尚ぶべきを知らんや。故に孔子の所謂礼を知り言を知り道を知り命を知り人を知るは、皆先王の道を以て之を言ふ者なり。宋儒の所謂格物究理、是を是とし非を非とするの類は、皆世俗の智を以て之を言ふ者なり。祇だ小人は力を役し、君子は心を役す。是を以て世の君子の喜んで自ら其の智を用ひて先王の道に遵ふを肯ぜざる者、比比として皆然り。故に孔子毎に仁を好み徳を好み礼を好み義を好むを称して、未だ嘗て智を好むを称せざる者は、是が為の故なり。又曰く、「学を好むは知に近し」と。先王の道に遵はざれば則ち其の智を成すこと能はざるを見るべし。学者其れ諸を思へ。
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『童子問』卷上但だ其の生質の美は、観るべしと曰ふと雖も、然れども微にして未だ著れず、小にして未だ充たず。故に聖人教へを立て学を設け、人に書を読み文を学ぶことを教へて、以て其の微なる者を著し、其の小なる者を充たすのみ。然れども天下の同じく然る所に出でて、一毫も其の間に増加する所無し。故に中庸に曰く、「道を修むる之を教へと謂ふ」と。蓋し生質の美は善なりと雖も、然れども拡めて之を充たすに非ざれば、則ち以て徳を成すに足らず。故に曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。道は聖人と雖も、固より知らず能はざる所有り。然れども其の本は、則ち夫婦の愚不肖も与に知り能く行ふ所にして、知り難く行ひ難き者無きなり。学者真に能く此の理を識得して、而る後以て学を為すべきなり。知るべし、向に所謂至貴至高、流俗に出で、人情に遠く、甚だ高くして行ひ難き者の道に非ざることを。
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『慎思録』巻之一学者の講学勤業は、皆時日の力を以てす。故に志士は日の短きを惜しむ。今日重ねて来たらず。是を以て学者は最も時日を惜しむことを要す。今人無益を作して有益を害し、時を廃し日を曠しくす。惜しむべきかな。辞は体要を尚ぶ。蓋し言を発するは、須らく主意専一にして支れず、論説明詳にして煩ならざることを要すべし。苟も言談繁重にして、且つ冗長なれば、則ち要用の語無くして、意旨明らかならず。聞く者厭倦す。是れ本幹を軽んじて枝葉を重んずるなり。言を発するの戒めと為すべし。
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『文武訓』文訓上之末一文字知らぬ人は、つねの言語にもあやまり多く、かたことありて聞きにくし。又、書状の詞もつたなくして、理もきこえず。かくの如くなれば、つねの才行よりも、はるかに人に見くだされ、人に笑はれて、弁の人にすぐれたるも、貌のうるはしきも、むなしくなるこそあさましけれ。又世に行はるる通用の文字言語の字、諸物の名の文字を知らざれば、世事にうとく、事ゆかざること多し。世間通用の文字をもつとめて知るべし。経史の文字を知るにくらぶれば、きはめてたやすきことなり。少し心にかくべし。それだに知らざるは、むげにいやしむべし。
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