童子問 / 卷下
問。今時學者。何志于聖學者之少。而好雜學者之多邪。曰。豪傑者少。而庸材者多。古今皆然。予聞養鷹者說。鷹捷者。必先擊鶴最大者。其不捷者。必見鶴小者。而擊之。鷹最神俊者。號海東靑。產于建酋。海內不可得。好韓歐古文者既少。志于伊洛之學者益少。況志于孔孟之正學者。千萬人中之一人耳。其好韓歐古文者。擊鶴稍小者之類也。志于伊洛之學者。鷹捷者也。志于孔孟之正學者。建酋之海東靑也。其好雜學詞章記誦之類者。亦小隼擊麻雀鶉鷃之類耳。不足貴焉。子其可不知所自勵乎。
新字:問。今時学者。何志于聖学者之少。而好雑学者之多邪。曰。豪傑者少。而庸材者多。古今皆然。予聞養鷹者説。鷹捷者。必先撃鶴最大者。其不捷者。必見鶴小者。而撃之。鷹最神俊者。号海東青。産于建酋。海内不可得。好韓欧古文者既少。志于伊洛之学者益少。況志于孔孟之正学者。千万人中之一人耳。其好韓欧古文者。撃鶴稍小者之類也。志于伊洛之学者。鷹捷者也。志于孔孟之正学者。建酋之海東青也。其好雑学詞章記誦之類者。亦小隼撃麻雀鶉鷃之類耳。不足貴焉。子其可不知所自励乎。
書き下し
問ふ、今時の学者、何ぞ聖学に志す者の少なくして、雑学を好む者の多きや、と。曰く、豪傑なる者は少なくして、庸材なる者は多し。古今皆然り。予養鷹者の説を聞く。鷹の捷き者は、必ず先づ鶴の最も大なる者を撃つ。其の捷からざる者は、必ず鶴の小なる者を見て之を撃つ。鷹の最も神俊なる者を、海東青と号す。建酋に産し、海内には得べからず、と。韓欧の古文を好む者既に少なく、伊洛の学に志す者益々少なし。況んや孔孟の正学に志す者は、千万人中の一人のみ。其の韓欧の古文を好む者は、鶴の稍小なる者を撃つの類なり。伊洛の学に志す者は、鷹の捷き者なり。孔孟の正学に志す者は、建酋の海東青なり。其の雑学・詞章・記誦の類を好む者は、亦小隼の麻雀鶉鷃を撃つの類のみ。貴ぶに足らず。子其れ自ら励む所を知らざるべけんや。
現代語訳
問う。今の学者は、どうして聖人の学に志す者が少なく、雑多な学問を好む者が多いのか。答える。豪傑は少なく、凡庸な者は多い。古今みなそうである。私は鷹を飼う者の話を聞いたことがある。「すばやい鷹は、必ずまず最も大きな鶴を襲う。すばやくない鷹は、必ず小さな鶴を見て襲う。鷹の中で最も神がかって優れたものを海東青と呼ぶ。建州の地に産し、国内では得られない」という。韓愈・欧陽脩の古文を好む者がすでに少なく、程子・朱子の伊洛の学に志す者はさらに少ない。まして孔孟の正しい学に志す者は、千万人の中の一人にすぎない。韓欧の古文を好む者は、やや小さな鶴を襲う類である。伊洛の学に志す者は、すばやい鷹である。孔孟の正学に志す者は、建州の海東青である。雑学や詩文、暗記の類を好む者は、小さな隼が雀やうずらを襲う類にすぎない。貴ぶに足りない。きみは自ら励むべきところを知らないでいられようか。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之二・為学下一博学にして経書に通じ、義理を説く人も、其心術行迹あしくして、俗人におとれるもあり。是道に志なくして、道を我が心に得ざればなり。口に読みならひ、目に見おぼえても、其理を心に得ざれば益なし。たとへば美食芳樽前に多くつらなれども、これを飲みくらはざれば、食にもあく事なく、酒にゑふ事もなきが如し。書を読んで行あしき人あるをうたがふ人あり。これを以て疑をはらすべし。書をよみても道に志なくば、文字を知れるのみにて、心において益なし。是無用の学なり。ここを以て、学をするにはまづ志を本とすべし。
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問はまづ志を立つるを以て本とす。志とは心のゆく所なり。道を知り行ひて、君子に至らんと思ふ心常におこたりなく、念々やまざるを、志を立つると云ふ。志たたざれば学ぶこと成就せず。故に古人も、志ある者は其事つひになるといひ、又志たつは学の半なりといへり。たとへば弓いる者の、的に志し、道ゆく者の、宿に志すが如し。よろづの事、まづ本をつとむべし。志を立つるは学問の本なり。志を立つるには勇猛なるべし。柔弱にして怠るべからず。おこたれば験なくしてはかゆかず。道を求むるにせちなる志は、たとへば飢ゑて食を求め、渇きて湯水を求むるが如くなるべしわづかに悠々としておこたれば、志すたる。唯此道に心を一すぢにすべし。
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