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都鄙問答 / 卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段

他人ノ善事ヲ身ニウツシ、人ノ惡事ヲ見テハ、我ニモコノ惡事アランカト恐、己ヲ顧仁義ノ志シ有テ止ザルヲ、聖人ノ學問ト云、子曰、有顏回者好學、不遷怒、不貳過、不幸短命死矣、今則亡、未聞好學者ト、顏回ノ心ハ、鏡ノ物ヲ照ガ如シ、右ノ怒ヲ左ニ遷サズ、前ニ過コトヲ、後ニ復セズト、如是心ニ得テ身ニ行ヲ、德ニ至ルト云、故ニ文學ニ長ジタル子夏子游ヲ、好學トハノ玉ハズ、詩書六藝七十子、習テ通ゼザルニ非ズ、通ズレドモ文學ハ用ナリ、德トハイハズ、汝ノ云ヘル學者ハ、年久ク文字ヲ數テモ、書ノ心ヲ得ザルユヘニ、不孝ニシテ世ノ交リアシク、不義ノ類多シ、然レドモ文字サヘ讀バ德アリト思ヒテ、世間ニ取違ル所ナリ、誤ルベカラズ、

新字:他人ノ善事ヲ身ニウツシ、人ノ悪事ヲ見テハ、我ニモコノ悪事アランカト恐、己ヲ顧仁義ノ志シ有テ止ザルヲ、聖人ノ学問ト云、子曰、有顔回者好学、不遷怒、不貳過、不幸短命死矣、今則亡、未聞好学者ト、顔回ノ心ハ、鏡ノ物ヲ照ガ如シ、右ノ怒ヲ左ニ遷サズ、前ニ過コトヲ、後ニ復セズト、如是心ニ得テ身ニ行ヲ、徳ニ至ルト云、故ニ文学ニ長ジタル子夏子游ヲ、好学トハノ玉ハズ、詩書六芸七十子、習テ通ゼザルニ非ズ、通ズレドモ文学ハ用ナリ、徳トハイハズ、汝ノ云ヘル学者ハ、年久ク文字ヲ数テモ、書ノ心ヲ得ザルユヘニ、不孝ニシテ世ノ交リアシク、不義ノ類多シ、然レドモ文字サヘ読バ徳アリト思ヒテ、世間ニ取違ル所ナリ、誤ルベカラズ、

書き下し

他人の善事を身にうつし、人の悪事を見ては、我にもこの悪事あらんかと恐れ、己を顧み仁義の志し有りて止まざるを、聖人の学問と云ふ。子曰く、顔回といふ者有り、学を好む。怒りを遷さず、過ちを弐たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かずと。顔回の心は、鏡の物を照らすが如し。右の怒りを左に遷さず、前に過つことを、後に復せずと。是の如く心に得て身に行ふを、徳に至ると云ふ。故に文学に長じたる子夏子游を、好学とはの玉はず。詩書六芸七十子、習ひて通ぜざるに非ず。通ずれども文学は用なり、徳とはいはず。汝の云へる学者は、年久しく文字を数へても、書の心を得ざるゆへに、不孝にして世の交りあしく、不義の類多し。然れども文字さへ読めば徳ありと思ひて、世間に取り違ふる所なり。誤るべからず。

現代語訳

「他人のよい行いを自分に写し、人の悪事を見ては自分にもこの悪があるのではと恐れ、自らを顧みて仁義の志を持ち続けてやまないこと、これを聖人の学問と言います。孔子は『顔回という者がいて学問を好んだ。怒りを他に移さず、同じ過ちを二度しなかった。不幸にも短命で亡くなり、今はもういない。その後、学を好む者を聞かない』と言いました。顔回の心は鏡が物を映すようで、右で起きた怒りを左に移さず、前の過ちを後に繰り返しませんでした。このように心に得て身に行うことを、徳に至るというのです。だから孔子は、文学にすぐれた子夏や子游を好学とは言いませんでした。七十人の弟子たちも詩書六芸を習って通じていなかったわけではありません。通じていても文学は用であって、徳とは言わないのです。あなたの言う学者は、長年文字を数えても書の心を得ていないので、不孝で人づきあいが悪く、不義が多い。それなのに、文字さえ読めば徳があると思い込むのが、世間の取り違えです。誤ってはなりません。」

解説

『論語』雍也篇で、孔子が「学を好む」と認めたのは顔回だけでした。その理由は博識ではなく、「怒りを遷さず、過ちを弐たびせず」という心の働きでした。梅岩はこれを鏡にたとえ、文学にすぐれた子夏・子游でさえ好学とは呼ばれなかったと指摘します。知識は「用」、つまり道具であって徳そのものではない、という整理です。人の善を写し、人の悪を見て自分を省みる、という姿勢は、他人の失敗を自分の組織の点検に使う習慣として、今の現場でもそのまま生かせます。

この章句が説くこと

好学顔回論語過ち反省

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