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童子問 / 卷下

問。孔門有博文博學之訓。似與今所說大異。如何。曰。亦無異。夫子曰。賜也女以予爲多學而識之者與。對曰然。非與。曰非也。予一以貫之。一與多學對。貫與識對。一者。不二之稱。主道而不他。之謂一。用志而不分。之謂一。所謂博文博學者。便一以貫之之謂。與多學相反。不啻雪壤之殊而已。

新字:問。孔門有博文博学之訓。似与今所説大異。如何。曰。亦無異。夫子曰。賜也女以予為多学而識之者与。対曰然。非与。曰非也。予一以貫之。一与多学対。貫与識対。一者。不二之称。主道而不他。之謂一。用志而不分。之謂一。所謂博文博学者。便一以貫之之謂。与多学相反。不啻雪壤之殊而已。

書き下し

問ふ、孔門に博文博学の訓有り。今説く所と大いに異なるに似たり。如何、と。曰く、亦異なること無し。夫子曰く、賜や、女予を以て多く学びて之を識る者と為すか、と。対へて曰く、然り。非なるか、と。曰く、非なり。予は一以て之を貫く、と。一と多学と対し、貫と識と対す。一とは、不二の称なり。道を主として他にせざる、之を一と謂ふ。志を用ひて分かたざる、之を一と謂ふ。所謂博文博学とは、便ち一以て之を貫くの謂にして、多学と相反すること、啻に雪壌の殊なるのみならず。

現代語訳

問う。孔子の門には「広く文を学べ」「広く学べ」という教えがある。先生がいま説いていることと大きく違うように思われるが、どうか。答える。少しも違わない。孔子は「賜(子貢)よ、おまえは私を、多くを学んでそれを覚えている者だと思うか」と言った。子貢は「そうです。違うのですか」と答えた。孔子は「違う。私は一つのことでそれらを貫いているのだ」と言った。「一」は「多学」と対になり、「貫く」は「覚える」と対になっている。「一」とは二つとないことをいう。道を主として他に向かわないこと、これを一という。志を用いて分散させないこと、これを一という。いわゆる博文・博学とは、まさに一つのことで貫くことをいうのであって、多学とは正反対であり、その違いは雪と土ほどの違いどころではない。

解説

前章で多岐を戒めたことに対し、論語には「博学」の教えがあるではないかと問われる。仁斎は論語衛霊公篇の子貢との問答を引き、孔子自身が「多く学びて識る者」であることを否定し、「一以て之を貫く」と述べたことを示す。仁斎によれば、一と多学、貫くと識るが対になっており、博学とは一つの道を主として志を分けない学び方なのである。広く学ぶことと散らばって学ぶことは、似て非なるものとして峻別される。知識の量を誇るより、一本の筋が通っているかを問う姿勢は、情報があふれる時代に働く人にこそ必要な見方だろう。

この章句が説くこと

博学一貫多学学問志論語

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