慎思録 / 巻之六
濟時之艱危。須用才志兼備者。人無才則不濟得事。然而無志。則雖有才。不能濟事。有志。則濟事有力。而才亦生。朱子曰。張子之於程先生。論其所至。竊意。其猶伯夷伊尹於孔子。又曰。橫渠之學。乃是致曲。篤信謂。張子之所學極嚴密。可謂得道之一隅也。是其致曲處。未如二程之具體也。是乃猶伯夷伊尹於孔子歟。
新字:済時之艱危。須用才志兼備者。人無才則不済得事。然而無志。則雖有才。不能済事。有志。則済事有力。而才亦生。朱子曰。張子之於程先生。論其所至。窃意。其猶伯夷伊尹於孔子。又曰。横渠之学。乃是致曲。篤信謂。張子之所学極厳密。可謂得道之一隅也。是其致曲処。未如二程之具体也。是乃猶伯夷伊尹於孔子歟。
書き下し
時の艱危を済ふには、須らく才志兼備の者を用ゐるべし。人才無ければ則ち事を済し得ず。然り而して志無ければ、則ち才有りと雖も、事を済すこと能はず。志有れば、則ち事を済すに力有りて、才も亦生ず。朱子曰く、張子の程先生に於けるや、其の至る所を論ずれば、窃かに意ふに、其れ猶ほ伯夷・伊尹の孔子に於けるがごときかと。又曰く、横渠の学は、乃ち是れ致曲なりと。篤信謂へらく、張子の学ぶ所は極めて厳密にして、道の一隅を得たりと謂ふべきなり。是れ其の致曲の処、未だ二程の具体に如かざるなり。是れ乃ち猶ほ伯夷・伊尹の孔子に於けるがごときか。
現代語訳
時代の危難を救うには、才能と志を兼ね備えた人を用いなければなりません。人に才能がなければ事を成し遂げられません。しかし志がなければ、才能があっても事を成し遂げることはできません。志があれば、事を成すのに力が出て、才能もまた生まれてきます。朱子は「張載と程先生を比べれば、その到達したところは、ひそかに思うに伯夷・伊尹と孔子の関係のようなものだ」と言い、また「横渠の学は致曲(一方面を推し極めること)である」と言いました。私篤信が思うに、張子の学んだところはきわめて厳密で、道の一隅を得たものと言えます。これがその致曲のところであり、二程の全体をそなえた学には及ばないのです。これがつまり伯夷・伊尹と孔子の関係のようなものなのでしょう。
解説
この章句が説くこと
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