童子問 / 卷下
問。禪有宗派之圖。儒有道統之圖。然儒者之道統。不如禪林祖祖的傳。相付授之正。曰。道統圖。近世陋儒做宗派圖而所作。非聖人之意也。若禪家的傳。是私天下之道。而爲一家之物者也。夫道之在人。猶日月之繫天。有目皆能觀。豈得爲己之物。而私相付授乎。中庸曰。文武之政。布在方策。其人存。則其政擧。其人亡。則其政息。又曰。君子之道。費而隱。夫婦之愚。可以與知焉。夫婦之不肖。可以能行焉。子貢曰。文武之道。未墜於地。在人。賢者識其大者。不賢者識其小者。莫不有文武之道。夫道之流行也。無時不然。無處不在。有隱顯。而無斷續。有可付囑之語而無可付囑之物。謂祖祖的傳者。非也。韓子曰。堯以是傳之舜。舜以是傳之禹。禹以是傳之湯。湯以是傳之文武周公。文武周公傳之孔子。孔子傳之孟軻。軻之死。不得其傳焉。夫道之浩浩。極天罔墜。其曰軻之死而其傳泯者。誤矣。韓子葢見孟子篇末歷叙堯舜禹湯文武周公孔子之事。而爲此言。謂必有所見。則非也。
新字:問。禅有宗派之図。儒有道統之図。然儒者之道統。不如禅林祖祖的伝。相付授之正。曰。道統図。近世陋儒做宗派図而所作。非聖人之意也。若禅家的伝。是私天下之道。而為一家之物者也。夫道之在人。猶日月之繋天。有目皆能観。豈得為己之物。而私相付授乎。中庸曰。文武之政。布在方策。其人存。則其政挙。其人亡。則其政息。又曰。君子之道。費而隠。夫婦之愚。可以与知焉。夫婦之不肖。可以能行焉。子貢曰。文武之道。未墜於地。在人。賢者識其大者。不賢者識其小者。莫不有文武之道。夫道之流行也。無時不然。無処不在。有隠顕。而無断続。有可付囑之語而無可付囑之物。謂祖祖的伝者。非也。韓子曰。堯以是伝之舜。舜以是伝之禹。禹以是伝之湯。湯以是伝之文武周公。文武周公伝之孔子。孔子伝之孟軻。軻之死。不得其伝焉。夫道之浩浩。極天罔墜。其曰軻之死而其伝泯者。誤矣。韓子葢見孟子篇末歴叙堯舜禹湯文武周公孔子之事。而為此言。謂必有所見。則非也。
書き下し
問ふ、禅に宗派の図有り、儒に道統の図有り。然れども儒者の道統は、禅林の祖祖的伝、相付授するの正しきに如かず、と。曰く、道統の図は、近世の陋儒、宗派の図に倣ひて作る所にして、聖人の意に非ず。禅家の的伝の若きは、是れ天下の道を私して、一家の物と為す者なり。夫れ道の人に在るは、猶日月の天に繋るがごとし。目有れば皆能く観る。豈に己の物と為して、私に相付授するを得んや。中庸に曰く、文武の政は、布きて方策に在り。其の人存すれば、則ち其の政挙がり、其の人亡ぶれば、則ち其の政息む、と。又曰く、君子の道は費にして隠なり。夫婦の愚も、以て与り知るべし。夫婦の不肖も、以て能く行ふべし、と。子貢曰く、文武の道、未だ地に墜ちずして人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文武の道有らざること莫し、と。夫れ道の流行するや、時として然らざる無く、処として在らざる無し。隠顕有りて断続無し。付嘱すべきの語有りて、付嘱すべきの物無し。祖祖的伝と謂ふ者は非なり。韓子曰く、堯は是を以て之を舜に伝へ、舜は是を以て之を禹に伝へ、禹は是を以て之を湯に伝へ、湯は是を以て之を文武周公に伝へ、文武周公は之を孔子に伝へ、孔子は之を孟軻に伝ふ。軻の死して、其の伝を得ず、と。夫れ道の浩浩たる、天を極めて墜つること罔し。其の軻の死して其の伝泯ぶと曰ふ者は誤れり。韓子は蓋し孟子の篇末に堯舜禹湯文武周公孔子の事を歴叙するを見て、此の言を為す。必ず見る所有りと謂ふは、則ち非なり。
現代語訳
問う。禅には宗派の系図があり、儒には道統の図がある。しかし儒者の道統は、禅林で祖師から祖師へと確かに伝え、互いに授け受ける正しさには及ばない。答える。道統の図は、近世の見識の狭い儒者が禅の宗派図をまねて作ったもので、聖人の意図ではない。禅家の嫡々相承などは、天下の道を私物化して一家の持ち物にするものである。そもそも道が人にあるのは、太陽や月が天にかかっているようなもので、目のある者は誰でも見ることができる。どうして自分の物として、ひそかに授け受けすることができようか。中庸に「文王・武王の政治は記録に載って残っている。その人がいればその政治は行われ、その人がいなくなればその政治は止む」とある。また「君子の道は広く用いられながら、その本体は目に見えない。愚かな夫婦でも知ることができ、不肖の夫婦でも行うことができる」とある。子貢は「文王・武王の道はまだ地に落ちず人々の中にある。賢い者はその大きなところを覚え、賢くない者はその小さなところを覚えている。文王・武王の道をもっていない者はない」と言った。そもそも道が世に行われるさまは、いつでもそうであり、どこにでもある。現れたり隠れたりはしても、途切れることはない。授けるべき言葉はあっても、授けるべき物はない。祖師から祖師へ確かに伝えるなどと言うのは誤りである。韓愈は「堯はこれを舜に伝え、舜はこれを禹に伝え、禹はこれを湯に伝え、湯はこれを文王・武王・周公に伝え、文王・武王・周公はこれを孔子に伝え、孔子はこれを孟軻に伝えた。孟軻が死んでその伝えは絶えた」と言った。そもそも道は広大で、天のある限り墜ちることはない。孟軻が死んでその伝えが滅んだと言うのは誤りである。韓愈はおそらく『孟子』の巻末に堯・舜・禹・湯・文王・武王・周公・孔子の事跡が順に述べられているのを見て、この言葉を作ったのであろう。韓愈に何か確かな見識があったと考えるのは誤りである。
解説
この章句が説くこと
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