童子問 / 卷下
殊不知其孤明歷歷。萬劫無盡者。乃虛見。而非實理。彼微塵天地。天地何曾微塵。夢幻人世。人世何曾夢幻。天是天。地是地。古是古。今是今。晝是晝。夜是夜。生是生。死是死。夢是夢。幻是幻。有者自有無者自無。明明白白。無所復容疑。萬古之前如此。萬古之後亦如此。聖人有還其有。無還其無。亦不容一毫智慧於其間。本無可愕。亦無可讃。以予見之。二氏之敎。皆出其意想造作。而非自然之正道。夫人之所當修焉者。人倫而已矣。人之所當務焉者。人事而已矣。天下非仁不親。非義不行。故外人倫而無道。外仁義而無敎。萬世之遠。四海之廣。不得一日離。故居仁由義。則雖不坐禪不面壁。然身自修。家自齊。國自治。天下自平。無往而不可矣。苟不居仁由義。則設其心如明鏡。如止水。無一毫人欲之私。無益。此聖人之道。所以度越諸子百家。而宇宙之間爲獨尊也。
新字:殊不知其孤明歴歴。万劫無尽者。乃虚見。而非実理。彼微塵天地。天地何曽微塵。夢幻人世。人世何曽夢幻。天是天。地是地。古是古。今是今。昼是昼。夜是夜。生是生。死是死。夢是夢。幻是幻。有者自有無者自無。明明白白。無所復容疑。万古之前如此。万古之後亦如此。聖人有還其有。無還其無。亦不容一毫智慧於其間。本無可愕。亦無可讃。以予見之。二氏之教。皆出其意想造作。而非自然之正道。夫人之所当修焉者。人倫而已矣。人之所当務焉者。人事而已矣。天下非仁不親。非義不行。故外人倫而無道。外仁義而無教。万世之遠。四海之広。不得一日離。故居仁由義。則雖不坐禅不面壁。然身自修。家自斉。国自治。天下自平。無往而不可矣。苟不居仁由義。則設其心如明鏡。如止水。無一毫人欲之私。無益。此聖人之道。所以度越諸子百家。而宇宙之間為独尊也。
書き下し
殊に知らず、其の孤明歴歴、万劫尽くること無き者は、乃ち虚見にして実理に非ざることを。彼は天地を微塵にすれども、天地何ぞ曾て微塵ならん。人世を夢幻にすれども、人世何ぞ曾て夢幻ならん。天は是れ天、地は是れ地、古は是れ古、今は是れ今、昼は是れ昼、夜は是れ夜、生は是れ生、死は是れ死、夢は是れ夢、幻は是れ幻。有る者は自ら有り、無き者は自ら無し。明明白白、復た疑ひを容るる所無し。万古の前も此くの如く、万古の後も亦此くの如し。聖人は有は其の有に還し、無は其の無に還し、亦一毫の智慧を其の間に容れず。本より愕くべき無く、亦讃むべき無し。予を以て之を見れば、二氏の教へは、皆其の意想造作より出でて、自然の正道に非ず。夫れ人の当に修むべき所の者は、人倫のみ。人の当に務むべき所の者は、人事のみ。天下は仁に非ざれば親しまず、義に非ざれば行はれず。故に人倫を外にして道無く、仁義を外にして教へ無し。万世の遠き、四海の広き、一日も離るるを得ず。故に仁に居り義に由れば、則ち坐禅せず面壁せずと雖も、然も身自ら修まり、家自ら斉ひ、国自ら治まり、天下自ら平らかにして、往くとして可ならざる無し。苟も仁に居り義に由らざれば、則ち設ひ其の心明鏡の如く、止水の如く、一毫の人欲の私無きも、益無し。此れ聖人の道の、諸子百家に度越して、宇宙の間に独尊たる所以なり。
現代語訳
彼らは、その孤独に明らかで永劫に尽きないというものが、じつは虚しい見かけであって実の理ではないことをまったく知らない。彼らは天地を微塵とみなすが、天地がいったいいつ微塵であったか。人の世を夢幻とみなすが、人の世がいったいいつ夢幻であったか。天は天、地は地、古は古、今は今、昼は昼、夜は夜、生は生、死は死、夢は夢、幻は幻である。有るものはおのずから有り、無いものはおのずから無い。明々白々で、もはや疑いを差しはさむ余地はない。万古の昔もこのとおりであり、万古の後もまたこのとおりである。聖人は、有るものは有るままに、無いものは無いままに返し、その間にわずかの知恵も差しはさまない。もともと驚くべきこともなく、ほめたたえるべきこともない。私から見れば、仏・老二氏の教えは、みな頭の中の思いつきでこしらえたものであって、自然の正しい道ではない。そもそも人が修めるべきものは人倫だけであり、人が務めるべきものは人事だけである。天下は仁がなければ親しみ合わず、義がなければ行われない。だから人倫を外れて道はなく、仁義を外れて教えはない。万世の遠い時にも、四海の広い所にも、一日たりとも離れることはできない。だから仁に身を置き義に従えば、坐禅をせず壁に向かわなくても、身はおのずから修まり、家はおのずから整い、国はおのずから治まり、天下はおのずから平らかになって、どこへ行ってもうまくいかないことはない。もし仁に身を置き義に従わなければ、たとえその心が明鏡のように、止水のように、わずかの私欲もなかったとしても、何の益もない。これこそ聖人の道が諸子百家を超え出て、宇宙の間でただ独り尊い理由である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
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司馬法・仁本古者(いにしえ)は仁を以て本と為し、義を以てこれを治め、これを治めて正と為す。
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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