武士道 / 第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる
而して又た爰に予の更に此問題に就きて、一引證を加ふることを許せ。されば近時獨逸皇帝の、コブレンツに於てせる演說の一句を擧げん乎。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而して特り、造物主に對して、甚大なる責務を有し、人も大臣も國會も君王をして、能く此れより免れしむること能はず』と仁は溫和なる德なり、母の心なり。端正なる節義、嚴厲な端正なる節義、嚴厲なる公正を以て男性的なりとせば仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べき乎。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るゝは人の深く誠むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば、固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と仁は美はしくて又た遍し。
新字:而して又た爰に予の更に此問題に就きて、一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げん乎。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而して特り、造物主に対して、甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も君王をして、能く此れより免れしむること能はず』と仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲な端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べき乎。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るゝは人の深く誠むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば、固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と仁は美はしくて又た遍し。
書き下し
而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
現代語訳
さてここで、この問題についてもう一つ引証を加えることをお許しください。近ごろドイツ皇帝がコブレンツで行った演説の一句を挙げましょう。こう言います。神の恩によって王である者には、それに伴う重大な責任がある。そしてただ創造主に対して甚大な責務を負い、人も大臣も国会も、君主をこれから免れさせることはできない、と。仁は温和な徳であり、母の心です。端正な節義、厳しい公正を男性的とするなら、仁愛が柔和で人を従わせるのは女性的と言えるでしょうか。しかし仁愛に正義を加えずして、みだりにそれに流れるのは人が深く戒めるべきところで、伊達政宗の言葉にもこれがあります。義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる、と。仁は美しく、また行き渡るものです。
解説

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『弁名』義「君臣義有り」と曰ふが如きは、臣を主として之を言ふ。蓋し君は其の全を統ぶる者なり。先王の道は民を安んずるに在り。是を以て仁人に非ずんば則ち道に任ずること能はず。故に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。臣も亦た先王の道に任ずる者なり。然れども君は其の全を統べて、臣は其の分に任ず。各〻官守有り、各〻事とする所有り、千差万別、義に非ずんば則ち能はず。故に義を以て臣の道と為すなり。「子を教ふるに義方を以てす」の如きも、亦た臣の道を教ふるを謂ふなり。各〻官守有りて、彼は此に通ぜず、是れ之を方と謂ふ。唯だ義のみ爾りと為す。論語に曰く、「君子の仕ふるや、其の義を行ふなり」と。又曰く、「義を行ひて以て其の道を達す」と。仕へて以て其の学ぶ所の先王の義を行ふを謂ふなり。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「君仁なれば仁ならざる莫く、君義なれば義ならざる莫し。」
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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『童子問』卷中問ふ。仁義を孔孟学問の宗旨と為すは、何ぞや。曰く、孟子の書は、論語の旨を述ぶる者なり。而して仁義の二字は、是れ開巻第一義なり。七篇の書、言言句句、仁義の功を説くに非ざるは莫し。其の性善を言ふは、仁義の実に己に有るを明らかにするなり。浩然の気を言ふは、仁義の功用を論ずるなり。千言万語至つて多端なりと雖も、仁義の二字に総括せざるは莫し。親を親しむより之を充てて、朋友・郷党・識る所の疎薄の人に至り、慈愛の心、周遍浹洽して、底らざる所無く、而して一毫残忍忮害の念無き者、之を仁と謂ふ。一取舎の間より之を充てて、辨別分明、苟も其の義に非ざれば、則ち之に禄するに天下を以てすとも顧みざる者、之を義と謂ふ。他の卓行偉績、取るべき有りと雖も、然れども少しく仁に於て闕くること有れば、則ち皆徳と為すに足らず。義に於て欠くこと有れば、亦之を称するに足らず。智とは、斯の二者を知りて去らざる、是れなり。礼とは、斯の二者を節文する、是れなり。皆仁義の推なり。仁義の孔孟学問の宗旨たる所以は、此を以てなり。