童子問 / 卷下
問。承朱陸之學皆非天下古今所同然之道。然則。古人不求之於己之心與事物之理歟。曰。古人何甞不求于己之心。亦何不講明物理。但與宋諸老。夐然自異。居仁由義。忠信以守之。敬恕以行之。此古人之所以求于己之心也。後世學問。非不講議聖賢之書。然至其所以自爲學。則別立一段名目。以爲學問之宗旨。若無欲主靜持敬致良知之說。是已。若講究物理。古人亦不廢。但古人以修己治人爲學。而至講究物理自爲其餘事。而不專用力於此。後世以格物窮理。爲最初入門之功夫。自天文地理律曆兵刑農圃醫。以至於一艸一木之微。莫不鑽研講磨。以求其理。其言曰。不讀一書。則闕一書之理。不窮一事。則闕一事之理。夫天下之書。不勝其多。天下之事。不堪其繁。如欲一一通曉其理。則惟日不足。至於修己治人之術。自不能不置之度外矣。近世諸大儒。亦多以此糜爛許多歲月。可惜。
新字:問。承朱陸之学皆非天下古今所同然之道。然則。古人不求之於己之心与事物之理歟。曰。古人何甞不求于己之心。亦何不講明物理。但与宋諸老。夐然自異。居仁由義。忠信以守之。敬恕以行之。此古人之所以求于己之心也。後世学問。非不講議聖賢之書。然至其所以自為学。則別立一段名目。以為学問之宗旨。若無欲主静持敬致良知之説。是已。若講究物理。古人亦不廃。但古人以修己治人為学。而至講究物理自為其余事。而不専用力於此。後世以格物窮理。為最初入門之功夫。自天文地理律暦兵刑農圃医。以至於一艸一木之微。莫不鑽研講磨。以求其理。其言曰。不読一書。則闕一書之理。不窮一事。則闕一事之理。夫天下之書。不勝其多。天下之事。不堪其繁。如欲一一通暁其理。則惟日不足。至於修己治人之術。自不能不置之度外矣。近世諸大儒。亦多以此糜爛許多歳月。可惜。
書き下し
問ふ、承る、朱陸の学は皆天下古今の同じく然る所の道に非ずと。然らば則ち古人は之を己の心と事物の理とに求めざるか。曰く、古人何ぞ嘗て己の心に求めざらん。亦何ぞ物理を講明せざらん。但宋の諸老と夐然として自ら異なり。仁に居り義に由り、忠信以て之を守り、敬恕以て之を行ふ。此れ古人の己の心に求むる所以なり。後世の学問、聖賢の書を講議せざるに非ず。然れども其の自ら学を為す所以に至つては、則ち別に一段の名目を立てて、以て学問の宗旨と為す。無欲・主静・持敬・致良知の説のごとき、是れなり。物理を講究するがごときは、古人も亦廃せず。但古人は己を修め人を治むるを以て学と為して、物理を講究するに至つては自ら其の余事と為して、専ら力を此れに用ひず。後世は格物窮理を以て最初入門の功夫と為し、天文・地理・律暦・兵刑・農圃・医より、以て一艸一木の微に至るまで、鑽研講磨して以て其の理を求めざる莫し。其の言に曰く、一書を読まざれば、則ち一書の理を闕き、一事を窮めざれば、則ち一事の理を闕くと。夫れ天下の書は其の多きに勝へず、天下の事は其の繁きに堪へず。如し一一其の理に通暁せんと欲せば、則ち惟日も足らず。己を修め人を治むるの術に至つては、自ら之を度外に置かざること能はず。近世の諸大儒も、亦多く此れを以て許多の歳月を糜爛す。惜しむべし。
現代語訳
問う。朱陸の学はどちらも天下古今に共通する道ではないと伺った。それなら古人は、道を自分の心と事物の理とに求めなかったのか。答える。古人がどうして自分の心に求めなかったことがあろうか。また事物の理を講じ明らかにしなかったことがあろうか。ただ宋の諸先生とははるかに異なっている。仁に身を置き義に従い、忠信によって守り、敬と恕によって行う。これが古人が自分の心に求めたやり方である。後世の学問も聖賢の書を講じ論じないわけではない。しかし自分が学問をするやり方となると、別に一つの名目を立てて学問の宗旨とする。無欲・主静・持敬・致良知といった説がそれである。事物の理を探究することは、古人もやめはしなかった。ただ古人は己を修め人を治めることを学問とし、事物の理の探究はおのずと余事として、もっぱらそれに力を注ぐことはしなかった。後世は格物窮理を最初の入門の工夫とし、天文・地理・音律暦法・兵法刑法・農業園芸・医術から、一草一木のわずかなものに至るまで、掘り下げ磨いてその理を求めないものはない。その言い分は「一冊の書を読まなければ一冊の書の理が欠け、一つの事を窮めなければ一つの事の理が欠ける」というものである。しかし天下の書は数えきれないほど多く、天下の事は耐えきれないほど繁雑である。もし一つ一つその理に通じようとすれば、日がいくらあっても足りない。己を修め人を治める術に至っては、おのずと度外視せざるをえなくなる。近世の大儒たちも、多くはこれによって長い歳月を浪費してしまった。惜しいことだ。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之六吾が夫子は文行忠信を以て教へと為し、且つ屢忠信を主とすることを言ふ。蓋し学問の道は、文を学びて以て道を明らかにし、力行して以て善を為し、忠信を主として以て誠を立つ。此の三者、一を闕くべからず。蓋し文行に非ずば、則ち理を窮め善を為すこと能はず。忠信に非ずば、則ち文行も亦進益を得ず、皆虚妄なるのみ。蓋し人道は只忠信に在り。忠信ならずば徳を立つるの基無し。故に易に曰く、忠信は徳に進む所以なりと。郷里の常人と雖も、苟も忠信無くば、則ち世に立つべからず。況んや君子の道をや。此の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。
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『翁問答』下卷之本次第に書物多くなりて、孔子の時には六経みな備はりたり、孔門の教へ文と行と忠と信との四なり、文は六経の文なり、行は性にしたがふ道の行ひなり、忠信は自満の心根をたちすてゝ誠の道を求め、明徳を明にする工夫なり、此四に本末衡鑑の差別あり、忠信は根本なり行は幹梢なり、文は忠信と行との鑑なり、六経の文をよみその本意を講明してかゞみと定め、根本幹梢の工夫をよくつとめて、明徳の宝珠をみがくものなり、聖人のましまして直におしへ給ふにさへ、かくの如し、まして末代聖賢のましまさぬ時に、鑑とさだむる聖経賢伝をすてゝ講ぜず、暗く迷ひたる心まかせて学問したるが、よきなといへるは、灯をすてゝ暗室に物をたずぬる如し。
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『童子問』卷上問ふ、忠信は固より美徳たり。然れども信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊なり。則ち又未だ必ずしも蔽無からず。曰く、然り。語に曰く、「信、義に近ければ、言復むべし」と。孟子曰く、「大人は、言必ずしも信ならず、行ひ必ずしも果ならず、唯義の在る所のままにす」と。蓋し徒に信を好みて義に合はざれば、必ず道を害す。然れども十分に通徹し、必ず忠に必ず信にして、而る後に以て此の言を為すべし。若し内に忠信を尽くさず、少しの疎漏有れば、則ち先づ義を併せて之を失ふ。何の学問か之有らん。蓋し物に接するの間、欺かず詐らず、十分真実にして、堅く執りて回らざる、忠信の謂なり。千変万化、機に臨みて宜しきを制し、取捨失はざる、義の功なり。忠信は万事の根本、義は学問の大用なり。故に学者は当に忠信を以て基と為して、義以て之を制すべし。故に曰く、「忠信を主とし義に従ふは、徳を崇くするなり」と。夫子も亦嘗て曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。忠信は固より美徳たり、然れども学びて以て之を成さざれば、則ち善と為すに足らざるを言ふなり。此れ亦学者の当に慮りを弾くすべき所なり。
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『囲炉夜話』第百五十四則・生資の高きは忠信に在り生資の高きは忠信に在り、機巧に關はるに非ず。學業の美は德行に於いてし、僅かに文章のみならず。
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『童子問』卷上問ふ、先生屢々道の易知易行を明らかにす。然るに今儒を業とする者、皆其の入り難きに苦しむは、何ぞや。曰く、人の学問に於ける、之を視て以て一種至貴至高、流俗に出で、人情に遠き、甚だ高くして行ひ難きの事と為す。此れ其の人を苦難せしむる所以なり。夫れ聖人の教へを設くるや、人に因りて以て教へを立て、教へを立てて以て人を駆らず。造作する所無く、添飾する所無く、人心の同じく然る所に出でて、強ふる所有るに非ざるなり。夫の孝弟忠信の人の若きは、天下皆以て善と為し、皆以て美と為して、敢へて議する者無し。此れ即ち是れ学なり。此の外に更に所謂学問なる者無きなり。村畝の野夫、商販奴隷の賤も、或いは孝友廉直天性に出でて、士人の及ばざる所の者有り。或いは学問に由らずして、信義遜譲、澹泊自ら治め、慷慨義に赴く者、亦往往之有り。此れ反つて是れ学問の基本なり。所謂学問とは、此を充たすのみ。
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『童子問』卷上但だ其の生質の美は、観るべしと曰ふと雖も、然れども微にして未だ著れず、小にして未だ充たず。故に聖人教へを立て学を設け、人に書を読み文を学ぶことを教へて、以て其の微なる者を著し、其の小なる者を充たすのみ。然れども天下の同じく然る所に出でて、一毫も其の間に増加する所無し。故に中庸に曰く、「道を修むる之を教へと謂ふ」と。蓋し生質の美は善なりと雖も、然れども拡めて之を充たすに非ざれば、則ち以て徳を成すに足らず。故に曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。道は聖人と雖も、固より知らず能はざる所有り。然れども其の本は、則ち夫婦の愚不肖も与に知り能く行ふ所にして、知り難く行ひ難き者無きなり。学者真に能く此の理を識得して、而る後以て学を為すべきなり。知るべし、向に所謂至貴至高、流俗に出で、人情に遠く、甚だ高くして行ひ難き者の道に非ざることを。
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