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童子問 / 卷下

問。唐裴相國白樂天宋蘇東坡呂原明之儔。皆高明博學之士也。何故亦好禪乎。曰。高明易得。博學不可恃。唯得中庸爲難。故孔子稱顏子曰。回之爲人也。擇乎中庸焉。此顏子之所以爲大賢亞聖也。高明而不中。不得不自入于異端。博學而不正。亦不得不雜異端。皆其所以自陷。固不足怪。又有一種心多憂戚。或世事違忤。强欲排遣。而不能。忽聞禪莊之說。悅其廣大包容事事無礙。不覺自陷于其窠臼者。若平正通明。心下泰然者。雖有眞佛出爲之說法。亦不爲動。況有道之士乎。夫理之於是非。其猶黑白之相反。東西之自定。有目者皆能辨之。有知者皆能識之。至於迷之甚焉。則以黑爲白。認西爲東。顚倒錯亂。不可以言語云喩。非徒愚者爲然。至於賢智者。則益甚。自守甚確。自信甚深。雖有聖人者。爲之抽鐵解縛。卒不能回首改轍。吁夫迷之不遠者。或得還家。迷於千里之外者。終身不得歸。愚者之惑淺矣。猶迷之不遠者也。賢智者之迷深矣。猶迷於千里之外者也。吾不爲愚者憂。而深爲賢智者懼焉。

新字:問。唐裴相国白楽天宋蘇東坡呂原明之儔。皆高明博学之士也。何故亦好禅乎。曰。高明易得。博学不可恃。唯得中庸為難。故孔子称顔子曰。回之為人也。択乎中庸焉。此顔子之所以為大賢亜聖也。高明而不中。不得不自入于異端。博学而不正。亦不得不雑異端。皆其所以自陥。固不足怪。又有一種心多憂戚。或世事違忤。強欲排遣。而不能。忽聞禅荘之説。悦其広大包容事事無礙。不覚自陥于其窠臼者。若平正通明。心下泰然者。雖有真仏出為之説法。亦不為動。況有道之士乎。夫理之於是非。其猶黒白之相反。東西之自定。有目者皆能弁之。有知者皆能識之。至於迷之甚焉。則以黒為白。認西為東。顛倒錯乱。不可以言語云喩。非徒愚者為然。至於賢智者。則益甚。自守甚確。自信甚深。雖有聖人者。為之抽鉄解縛。卒不能回首改轍。吁夫迷之不遠者。或得還家。迷於千里之外者。終身不得帰。愚者之惑浅矣。猶迷之不遠者也。賢智者之迷深矣。猶迷於千里之外者也。吾不為愚者憂。而深為賢智者懼焉。

書き下し

問ふ、唐の裴相国・白楽天、宋の蘇東坡・呂原明の儔、皆高明博学の士なり。何故に亦禅を好むや。曰く、高明は得易く、博学は恃むべからず。唯中庸を得るを難しと為す。故に孔子顔子を称して曰く、回の人と為りや、中庸を択ぶと。此れ顔子の大賢亜聖為る所以なり。高明にして中ならざれば、自ら異端に入らざることを得ず。博学にして正しからざれば、亦異端を雑へざることを得ず。皆其の自ら陥る所以にして、固より怪しむに足らず。又一種、心に憂戚多く、或は世事違忤して、強ひて排遣せんと欲して能はず、忽ち禅荘の説を聞いて、其の広大包容事事無礙なるを悦び、覚えずして自ら其の窠臼に陥る者有り。平正通明にして、心下泰然たる者のごときは、真仏出でて之が為に法を説くこと有りと雖も、亦為に動かず。況んや有道の士をや。夫れ理の是非に於けるは、其れ猶黒白の相反し、東西の自ら定まるがごとし。目有る者は皆能く之を弁じ、知有る者は皆能く之を識る。迷ひの甚だしきに至つては、則ち黒を以て白と為し、西を認めて東と為し、顚倒錯乱して、言語を以て云ひ喩すべからず。徒に愚者のみ然りと為すに非ず。賢智者に至つては、則ち益甚だし。自ら守ること甚だ確く、自ら信ずること甚だ深し。聖人なる者有りて、之が為に鉄を抽き縛を解くと雖も、卒に首を回らし轍を改むること能はず。吁、夫れ迷ひの遠からざる者は、或は家に還ることを得。千里の外に迷ふ者は、終身帰ることを得ず。愚者の惑ひは浅し。猶迷ひの遠からざる者のごとし。賢智者の迷ひは深し。猶千里の外に迷ふ者のごとし。吾は愚者の為に憂へずして、深く賢智者の為に懼る。

現代語訳

問う。唐の裴休・白楽天、宋の蘇東坡・呂原明(呂希哲)といった人々は、みな見識が高く博学な人物である。なぜ彼らもまた禅を好んだのか。答える。見識の高さは得やすく、博学は頼みにならない。ただ中庸を得ることこそが難しい。だから孔子は顔回を称えて「回の人となりは、中庸を選び取る」と言った。これが顔子が大賢・亜聖とされるゆえんである。見識が高くても中を得なければ、おのずと異端に入らざるをえない。博学でも正しくなければ、やはり異端を混ぜざるをえない。いずれも自ら陥ったのであって、もとより怪しむに足りない。また別の一種として、心に憂いや悲しみが多く、あるいは世の中の事が思いどおりにならず、無理に払いのけようとしてもできないでいるところに、ふと禅や荘子の説を聞いて、その広大で何でも包み込み、何事にもとらわれないところを喜び、知らず知らずその型にはまり込む者がいる。平正で物事に明るく、心が落ち着いている者なら、たとえ本物の仏が現れて説法しても心を動かされない。まして道を体得した人ならなおさらである。そもそも理における是非は、黒と白が相反し、東と西がおのずと定まっているようなものである。目のある者はみな見分けられ、知恵のある者はみな認識できる。ところが迷いがひどくなると、黒を白とし、西を東と思い込み、ひっくり返って混乱して、言葉で言い聞かせることもできなくなる。それは愚かな者だけではない。賢く知恵のある者はますますひどい。自分を守ることがきわめて固く、自分を信じることがきわめて深い。聖人が現れて、そのために釘を抜き縄をほどいてやっても、ついに振り返って進む道を改めることができない。ああ、迷いが遠くない者は、あるいは家に帰ることができる。千里の外に迷った者は、一生帰ることができない。愚かな者の惑いは浅く、遠くまで迷っていない者のようだ。賢く知恵のある者の迷いは深く、千里の外に迷った者のようだ。私は愚かな者のためには憂えず、賢く知恵のある者のためにこそ深く恐れるのである。

解説

裴休や白楽天、蘇東坡のような優れた人物がなぜ禅に傾いたのか。仁斎は、高明は得やすく博学は頼みにならず、中庸を得ることだけが難しいと答える。さらに世事がうまくいかず憂いを抱えた人が、何事にも礙りのない禅荘の説に救いを見いだして型にはまることもあると、心の動きにまで目を配る。圧巻は結びで、愚者の迷いは浅いが、賢智者は自信が深いぶん千里の外まで迷い込んで帰れないという。聖人が縛りを解いても引き返せないのは、頭の良い人ほど自分を守る理屈を持っているからである。経験と実績を積んだ人ほど、自分の判断を疑い、立ち返る道を残しておく謙虚さが要る。

この章句が説くこと

中庸迷い賢智異端禅自信

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