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童子問 / 卷下

問朱陸之異同。曰。以朱陸辨朱陸。則不得朱陸之是非。以孔孟辯朱陸。則朱陸之是非判然矣。聖人明天下古今所同然之道。而尊天下古今所同然之德。使人由焉而行。所謂仁義禮智。是已。忠信以爲地。篤敬以守之。恕以行之。皆所以修夫仁義也。所謂立人之道。曰仁與義。是也。二公之學。雖有煩簡頓漸之不同。然自聖門之學而觀之。則其差道一也。何哉。聖人未甞特曰心又未甞特曰理。其所謂心者。皆指仁義之良心而言。非虛靈知覺之心。其所謂理者。皆以事之有條理者而言。非無聲無臭之理。與後來之所稱夐別。晦翁之學雖博。然大要以爲。人之所以爲學者。心與理而已矣。象山曰。此心之靈。此理之明。可見二公皆不求由天下所同然之道德。而專求之於己之心與事物之理。此其所以不能無詭于孔孟也。夫人之於學問。少疎則不及。過密則過。二公之學。皆坐講理過密。是學者之深戒也。

新字:問朱陸之異同。曰。以朱陸弁朱陸。則不得朱陸之是非。以孔孟弁朱陸。則朱陸之是非判然矣。聖人明天下古今所同然之道。而尊天下古今所同然之徳。使人由焉而行。所謂仁義礼智。是已。忠信以為地。篤敬以守之。恕以行之。皆所以修夫仁義也。所謂立人之道。曰仁与義。是也。二公之学。雖有煩簡頓漸之不同。然自聖門之学而観之。則其差道一也。何哉。聖人未甞特曰心又未甞特曰理。其所謂心者。皆指仁義之良心而言。非虚霊知覚之心。其所謂理者。皆以事之有条理者而言。非無声無臭之理。与後来之所称夐別。晦翁之学雖博。然大要以為。人之所以為学者。心与理而已矣。象山曰。此心之霊。此理之明。可見二公皆不求由天下所同然之道徳。而専求之於己之心与事物之理。此其所以不能無詭于孔孟也。夫人之於学問。少疎則不及。過密則過。二公之学。皆坐講理過密。是学者之深戒也。

書き下し

問ふ、朱陸の異同。曰く、朱陸を以て朱陸を弁ずれば、則ち朱陸の是非を得ず。孔孟を以て朱陸を弁ずれば、則ち朱陸の是非判然たり。聖人は天下古今の同じく然る所の道を明らかにして、天下古今の同じく然る所の徳を尊び、人をして由つて行はしむ。所謂仁義礼智、是れなり。忠信以て地と為し、篤敬以て之を守り、恕以て之を行ふ。皆夫の仁義を修むる所以なり。所謂人の道を立つ、曰く仁と義と、是れなり。二公の学、煩簡頓漸の同じからざる有りと雖も、然れども聖門の学より之を観れば、則ち其の道に差ふこと一なり。何ぞや。聖人未だ嘗て特に心と曰はず、又未だ嘗て特に理と曰はず。其の所謂心とは、皆仁義の良心を指して言ふ。虚霊知覚の心に非ず。其の所謂理とは、皆事の条理有る者を以て言ふ。無声無臭の理に非ず。後来の称する所と夐かに別なり。晦翁の学は博しと雖も、然れども大要以為へらく、人の学を為す所以の者は、心と理とのみと。象山曰く、此の心の霊、此の理の明と。見るべし、二公皆天下の同じく然る所の道徳に由ることを求めずして、専ら之を己の心と事物の理とに求むることを。此れ其の孔孟に詭くこと無きこと能はざる所以なり。夫れ人の学問に於ける、少しく疎なれば則ち及ばず、過密なれば則ち過ぐ。二公の学、皆理を講ずること過密なるに坐す。是れ学者の深戒なり。

現代語訳

問う。朱子と陸象山の異同について。答える。朱陸の物差しで朱陸を論じても、朱陸の是非はわからない。孔孟の物差しで朱陸を論じれば、朱陸の是非ははっきりする。聖人は天下古今に共通する道を明らかにし、天下古今に共通する徳を尊んで、人がそれに従って行うようにした。いわゆる仁義礼智がそれである。忠信を土台とし、篤敬によって守り、恕によって行う。みな仁義を修めるための手立てである。易に「人の道を立てて仁と義という」とあるのがそれである。朱子と陸象山の学には、煩雑と簡約、漸進と頓悟の違いがあるけれども、聖門の学から見れば、道から外れている点では同じである。なぜか。聖人はことさらに「心」と言ったことも、ことさらに「理」と言ったこともない。聖人のいう心とは、みな仁義の良心を指して言ったもので、虚霊知覚の心ではない。聖人のいう理とは、みな物事の筋道のことを言ったもので、声も匂いもない形而上の理ではない。後世の人々の言うものとは、はるかに異なる。朱子の学は博いけれども、その大要は、人が学問をするのは心と理のためにほかならないとするものである。陸象山は「この心の霊妙さ、この理の明らかさ」と言う。ここから、二人とも天下に共通する道徳に従うことを求めず、もっぱら自分の心と事物の理とにそれを求めていることがわかる。これが孔孟に背かざるをえないゆえんである。そもそも人が学問をするにあたって、少し粗ければ及ばず、細かすぎれば行き過ぎる。二人の学は、どちらも理を講じることが細かすぎるという点で誤っている。これは学ぶ者が深く戒めるべきことである。

解説

朱子と陸象山の論争を、仁斎は当事者の物差しで裁くことを拒む。孔孟を基準にすれば、二人の違いは煩簡頓漸の程度差にすぎず、どちらも聖人の道からずれている点で一つだという。聖人は心や理をことさらに言わず、心といえば仁義の良心、理といえば事の条理のことだった。ところが二公は天下古今に通じる道徳ではなく、自分の心と事物の理に道を求めたというのである。忠信を地とし篤敬で守り恕で行うという要約は、仁斎の学問観をよく示している。社内の対立も、当事者の論理の中で裁こうとすると決着しない。双方の外にある共通の目的に照らしてはじめて、是非が見えてくる。

この章句が説くこと

朱子学心学仁義忠信恕理

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