童子問 / 卷下
問。異端之語。亦有可取者歟。曰有。老子云。天道好旋。又曰。天網恢恢。疎而不失。至言哉。可入于詩書之中矣。
書き下し
問ふ、異端の語も、亦取るべき者有るか。曰く、有り。老子云ふ、天道は好んで旋ると。又曰く、天網恢恢、疎にして失はずと。至言なるかな。詩書の中に入るべし。
現代語訳
問う。異端の言葉にも、取るべきものがあるか。答える。ある。老子は「天の道はめぐって元に返るのを好む」と言い、また「天の網は広大で、目は粗いが取り逃がすことはない」と言う。至言である。詩経・書経の中に入れてもよいほどだ。
解説
老荘を異端として厳しく批判する仁斎も、取るべき言葉ははっきり認める。挙げられるのは老子の「天道は好んで旋る」と「天網恢恢、疎にして失はず」で、詩書の中に入れてもよい至言だという。(通行の老子では「其の事好んで還る」であり、底本は旋に作る。)どちらも行いの報いは必ずめぐってくるという趣旨で、前の知命の章で説いた天の必然の理と響き合う。立場の違う相手の言葉でも、正しいものは正しいと認める公平さが、第二章の「全非の書無し」という読書法とも一貫している。対立する部署や競合の主張の中にも学ぶべき一言があると認められる人は、議論を前に進められる。
この章句が説くこと
異端老子天道報い公平道
関連する章句
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『楽訓』巻之中・節序一すべて一年の内、月日のめぐり、四時の行はれ、百物のなれるついで、年ごとにたがはず。万古より末の世までかはらざること、天道の誠いたつて貴ぶべし。しづかにして是を感ずる人は、其楽深かるべし。もしよく此理を知れらん人は、即道を知れる人なるべし。
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