童子問 / 卷下
問五經與論孟異同淺深。曰。論異同。而勿論淺深。雖其辭有艱澁平穩之異。然理則一也。人皆以謂。易春秋深奧難通。論語孟子平易易知。非也。五經猶天地萬物自有。而不知長養。論孟猶聖人裁成輔相天地之道。以左右民也。制禮作樂。立敎垂範。以建中正之極。以定人倫之法。使萬世君臣父子夫婦朋友昆弟各得其所。而不爲禽獸者。皆聖人之功也。雖有天地。然非得聖人爲之敎育焉。則天地亦不能爲天地。論孟之於五經。亦猶如是。吾故以論語爲宇宙第一書。而孟子亞論語者。爲此也。此論孟之所以與五經異也。
新字:問五経与論孟異同浅深。曰。論異同。而勿論浅深。雖其辞有艱渋平穏之異。然理則一也。人皆以謂。易春秋深奥難通。論語孟子平易易知。非也。五経猶天地万物自有。而不知長養。論孟猶聖人裁成輔相天地之道。以左右民也。制礼作楽。立教垂範。以建中正之極。以定人倫之法。使万世君臣父子夫婦朋友昆弟各得其所。而不為禽獣者。皆聖人之功也。雖有天地。然非得聖人為之教育焉。則天地亦不能為天地。論孟之於五経。亦猶如是。吾故以論語為宇宙第一書。而孟子亜論語者。為此也。此論孟之所以与五経異也。
書き下し
問ふ、五経と論孟との異同浅深。曰く、異同を論じて、浅深を論ずること勿れ。其の辞に艱渋平穏の異有りと雖も、然れども理は則ち一なり。人皆以謂へらく、易・春秋は深奥にして通じ難く、論語・孟子は平易にして知り易しと。非なり。五経は猶天地のごとく、万物自ら有りて長養することを知らず。論孟は猶聖人の天地の道を裁成輔相して、以て民を左右するがごとし。礼を制し楽を作り、教を立て範を垂れて、以て中正の極を建て、以て人倫の法を定め、万世の君臣・父子・夫婦・朋友・昆弟をして各其の所を得て、禽獣と為らざらしむる者は、皆聖人の功なり。天地有りと雖も、然れども聖人の之が為に教育するを得るに非ざれば、則ち天地も亦天地為ること能はず。論孟の五経に於けるも、亦猶是くのごとし。吾故に論語を以て宇宙第一の書と為して、孟子は論語に亜ぐ者は、此れが為なり。此れ論孟の五経と異なる所以なり。
現代語訳
問う。五経と論語・孟子との異同と深浅について。答える。異同を論じるのはよいが、深浅を論じてはならない。言葉に難解と平易の違いはあっても、道理は一つである。人はみな、易経や春秋は深遠で通じにくく、論語・孟子は平易で知りやすいと思っている。それは誤りである。五経はたとえば天地のようなもので、万物はおのずから存在するが、それを育て養うことは知らない。論語・孟子はたとえば聖人が天地の道を整え助けて、民を導き助けるようなものである。礼を制定し楽を作り、教えを立て模範を示して、中正の極みを打ち立て、人倫の法を定め、万世の君臣・父子・夫婦・朋友・兄弟がそれぞれのあるべき所を得て、禽獣とならないようにしたのは、みな聖人の功績である。天地があっても、聖人がそのために教え育てるのでなければ、天地もまた天地たりえない。論語・孟子の五経に対する関係も、またこのようなものである。私が論語を宇宙第一の書とし、孟子を論語に次ぐものとするのは、このためである。これが論語・孟子が五経と異なるゆえんである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、五経の理。曰く、五経は是れ宛然たる天地万物人情世変の図子のみ。天下の書、論説に非ざる靡し。唯六経のみ論説に属せずして、万理畢く具はり、変化方無く、取るに随つて在るに随ふ。之に順へば則ち治まり、之に逆へば則ち乱れ、之に従へば則ち存し、之に悖れば則ち亡ぶ。皆人をして思うて之を得しむ。論孟の章章句句各其の義有りて、他義を兼ぬること能はざるに比せざるなり。故に論語は宇宙第一の書たりと雖も、然れども猶有るべし。六経は有るべからず。其の故何ぞや。倘し世に孔子有らば、自ら当に論語の書有るべし。六経のごときは、則ち唐虞以来周末に至るまでの一世界有りて、其の間に又極治極乱の時、許多の人情世変備はるに非ざれば、則ち有るべからざるなり。孔子と雖も亦作ること能はず。此れ六経の有るべからざる所以なり。然れども本甚だしき異義無し。異義を求むれば、則ち是ならず。詩は民巷の歌謡、書は先王の政事、易は陰陽消長の変、春秋は魯史簡牘の文、本何の異義か有らん。但其の理自ら深遠なるのみ。古来六経に註する者、皆議論を作して之を解す。浅し。晋の陶潜、夏日に方つて北牕の下に高臥し、自ら以為へらく犠皇上世の人なりと。其の見固より高し。然れども猶北牕の涼を待つこと有り。論語に曰く、斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なりと。苟も六経の理に邃ければ、則ち今日即ち唐虞三代の時、斯の身即ち唐虞三代の民にして、固より外に待つこと無し。余嘗て題壁の詩有りて云ふ、天空海濶小茅堂、四序悠悠として春色長し、笑殺す淵明卓識無きを、北牕何ぞ必ずしも犠皇を慕はんと。竊かに此の意を述ぶ。
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『童子問』卷上故に論語一書は、実に最上至極宇宙第一の書たり。而して孔子の聖、生民より以来未だ嘗て有らずして、堯舜より賢れること遠しと為す所以の者は、此を以てなり。而して孟子の書は、又論語に亜ぎて、孔子の旨を発明する者なり。其の言に曰く、堯舜の道は孝弟のみと。又其の難知難行・高遠にして及ぶべからざるの説を斥けて、以て邪説と為し暴行と為し、痛く之を拒絶して、専ら仁義の旨を唱ふ。蓋し論語の義疏なり。故に学者実に斯の理を知得して、而る後に当に論孟二書を読むべし。然らずんば、則ち字解句釈、精なること蚕糸の若く、密なること牛毛の若しと雖も、実に論孟を侮る者なり。豈に之を尊信すと謂ふべけんや。従前の学者、皆論語を以て、徒らに孔門一時問答の語と為して、其の六経の上に高出することを知らず。道の天下後世に明らかならず行はれざる所以の者は、職として此に之れ由る。学者審らかにせざるべからず。
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『童子問』卷下夫れ人倫有れば、則ち天地立ち、人倫無ければ、則ち天地立たず。大凡天下の君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友、親ら夫子の書を読み、夫子の教へに服せずと雖も、然も夫の人の仁義を善しとし、忠孝を崇び、君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友の倫を失はざる者は、其れ誰の力ぞや。夫子の道の肌膚に浹り、骨髄に淪みて、永く自ら冥冥の中に行はるるに非ずんば、豈に能く然らんや。昔夫子管仲の仁を称して曰く、民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ髪を被り衽を左にせん、と。夫子の徳の盛んなるが若きは、之を管仲に視ぶれば、奚ぞ翅に万万のみならん。止だ天地の道を裁成輔相すと謂ふのみに非ず、仲尼は即ち天地なり。故に中庸之を賛して曰く、声名中国に洋溢し、施きて蛮貊に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆ふ所、地の載する所、日月の昭らす所、霜露の隊つる所、凡そ血気有る者は、尊親せざる莫し。故に天に配すと曰ふ、と。夫子の堯舜より賢れる所以の実、略々知るべし。故に孔子を最上至極宇宙第一の聖人と為し、論語を最上至極宇宙第一の書と為す。所謂生民より以来、未だ孔子より盛んなるは有らざるなり。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん。難いかな難いかな。
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『童子問』卷上問ふ、論語は平易にして知り易く、六経は深奥にして読み難し。今論語の理六経の上に高出すと説く。審らかならず、如何と。曰く、程子云はずや、論孟既に明らかなれば、則ち六経は治めずして明らかなりと。蓋し六経の道は、平正通達にして、万世人倫の道備はる。然れども論孟に通じて、而る後に六経の学益有り。然らずんば、則ち六経徒らに虚器と為りて、今日の用を為さず。猶ほ三代の彝器の、之を几上に実つべくして、之を日用に施すべからざるがごときなり。後世儒者の易・春秋を解する、其の説奇古艱深にして、人倫日用に近からざる者は、蓋し此を以てなり。詩書二経も亦た然り。独り程子の易伝、諸儒の上に夐出して、三代以来の好書為る所以の者は、其の論孟の理より来るを以てなり。是れ論語の六経の上に高出する所以なり。
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『童子問』卷上童子曰く、教誨を蒙ることを獲て、始めて論語一書の実に宇宙第一の書為ることを識る。至幸至恵なり。然れども孟子は性善を道ひて、論語は偏へに学問を以て主と為し、性善の説に於ては、則ち未だ嘗て発明する所有らず。豈に一大欠事に非ずやと。曰く、従前の諸儒、多く此に於て按款を欠く。弁ぜざるを容れず。夫れ性・道・教の三者は、実に学問の綱領なり。凡そ聖人の千言万語、其の多きに堪へずと雖も、然れども此に総括せざるは莫し。請ふ、極めて之を言はん。論語は専ら教を言ひて、道其の中に在り。孟子は専ら道を言ひて、教其の中に在り。其の所謂性善と云ふ者は、本自暴自棄する者の為に之を発す。亦た教なり。論語は専ら教を以て主と為す。故に性の美悪は論ぜざる所に在り。故に曰く、性相近きなり、習相遠きなりと。又曰く、教有りて類無しと。言ふこころは、堯舜より途人に至るまで、其の間相去ること奚ぞ啻に千万のみならんや。然れども其の性を論ずれば、則ち亦た甚だ相遠からず。但だ其の相懸絶すること此の如き所以の者は、皆習に由りて然り。苟も学びて以て之を明らかにし、養ひて以て之を充たさば、則ち皆以て悪を変じて善と為すべし。故に性の善悪は置きて論ぜず。此れ論語の専ら教を言ひて、性を道はざる所以なり。孟子は性善を道ふと雖も、徒らに其の理を論ぜず、必ず擴充と曰ひ、必ず存養と曰ふ。所謂擴充存養と云ふ者は、即ち教に非ずして何ぞや。此れ孟子の性善を道ふと雖も、実は教に非ざること莫き所以なり。吾故に曰く、論孟二書は、猶ほ一幅の布に表裏有りて、精粗無きがごとしと。
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『童子問』卷中問ふ。喩を承く。論語は宇宙第一の書たり、而して仁は孔門第一の字たり、と。然るに大学のごときは、敬を以て要と為し、中庸は誠を以て主と為す。及び詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、一書各一書の綱領有り。如何。曰く、人道の仁義有るは、猶ほ天道の陰陽有るがごときなり。仁義を外にして、豈に復た道有らんや。而して仁の義を包むは、猶ほ陽の陰を統ぶるがごとし。故に孔門は仁を以て宗と為し、而して義を以て輔と為す。敬とは此を敬するなり。誠とは此を誠にするなり。詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、皆然り。道は本多端無し。故に曰く、吾が道は一以て之を貫く、と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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