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童子問 / 卷上

問論語平易。而易知。六經深奧。而難讀。今說論語之理高出于六經之上。不審。如何。曰。程子不云乎。論孟既明。則六經不治而明矣。葢六經之道。平正通達。萬世人倫之道備矣。然通論孟。而後六經之學有益。不然。則六經徒爲虛器。而不爲今日之用。猶三代之彜器。可實之几上。而不可施之日用也。後世儒者之解易春秋。其說奇古艱深。不近於人倫日用者。葢以此也。詩書二經亦然。獨程子易傳。所以夐出諸儒之上。而爲三代以來好書者。以其自論孟之理來也。是論語所以高出於六經之上也。

新字:問論語平易。而易知。六経深奥。而難読。今説論語之理高出于六経之上。不審。如何。曰。程子不云乎。論孟既明。則六経不治而明矣。葢六経之道。平正通達。万世人倫之道備矣。然通論孟。而後六経之学有益。不然。則六経徒為虚器。而不為今日之用。猶三代之彜器。可実之几上。而不可施之日用也。後世儒者之解易春秋。其説奇古艱深。不近於人倫日用者。葢以此也。詩書二経亦然。独程子易伝。所以夐出諸儒之上。而為三代以来好書者。以其自論孟之理来也。是論語所以高出於六経之上也。

書き下し

問ふ、論語は平易にして知り易く、六経は深奥にして読み難し。今論語の理六経の上に高出すと説く。審らかならず、如何と。曰く、程子云はずや、論孟既に明らかなれば、則ち六経は治めずして明らかなりと。蓋し六経の道は、平正通達にして、万世人倫の道備はる。然れども論孟に通じて、而る後に六経の学益有り。然らずんば、則ち六経徒らに虚器と為りて、今日の用を為さず。猶ほ三代の彝器の、之を几上に実つべくして、之を日用に施すべからざるがごときなり。後世儒者の易・春秋を解する、其の説奇古艱深にして、人倫日用に近からざる者は、蓋し此を以てなり。詩書二経も亦た然り。独り程子の易伝、諸儒の上に夐出して、三代以来の好書為る所以の者は、其の論孟の理より来るを以てなり。是れ論語の六経の上に高出する所以なり。

現代語訳

問う。「論語は平易で知りやすく、六経は深く奥深くて読みにくいものです。いま、論語の道理が六経の上に高くぬきんでていると言われますが、よく分かりません。どうでしょうか。」答えて言う。「程子が言っているではないか、『論語・孟子が明らかになれば、六経は学ばなくても明らかになる』と。思うに六経の道は平正で行き渡っており、万世の人倫の道が備わっている。しかし論語・孟子に通じてこそ、六経の学問は役に立つ。そうでなければ、六経はただ中身のない器となって、今日の役には立たない。ちょうど夏・殷・周の三代の祭器が、机の上に飾ることはできても、日々の用に使うことはできないようなものだ。後世の儒者が易や春秋を解釈して、その説が奇抜で古めかしく難解で、人倫日用からかけ離れているのは、思うにこのためである。詩経・書経の二経も同じである。ただ程子の『易伝』だけが諸儒の上にはるかにぬきんで、三代以来の良書とされるのは、それが論語・孟子の道理から出ているからである。これこそ論語が六経の上に高くぬきんでる理由である。」

解説

六経のほうが深遠ではないかという疑問に、仁斎は程子の言葉を引いて答える。論語・孟子に通じてこそ六経は生きた学問になり、そうでなければ六経は三代の祭器のように、飾れても使えない「虚器」になる。易や春秋の解釈が奇抜で難解になり、人倫日用から離れてしまったのは、論孟という基準を持たなかったからだという。程子の易伝を高く評価するのも、それが論孟の理から出ているからである。専門知識や高度な資料も、日々の働き方という土台につながらなければ、棚に飾られた立派な器と同じで役に立たない。

この章句が説くこと

六経論語孟子人倫日用虚器

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