童子問 / 卷下
夫有人倫。則天地立。無人倫。則天地不立。大凡天下君臣父子夫婦昆弟朋友。雖不親讀夫子之書。服夫子之敎。然夫人善仁義。崇忠孝。不失君臣父子夫婦昆弟朋友之倫者。其誰之力哉。非夫子之道浹於肌膚。淪於骨髓。永自行於冥冥之中。豈能然耶。昔夫子稱管仲之仁曰。民到于今。受其賜。微管仲。吾其被髮左衽矣。若夫子之德之盛。視之管仲。奚翅萬萬。非止謂裁成輔相天地之道。仲尼卽天地也。故中庸贊之曰。聲名洋溢乎中國。施及蠻貊。舟車所至。人力所通。天之所覆。地之所載。日月所昭。霜露所隊。凡有血氣者。莫不尊親。故曰配天。夫子所以賢於堯舜之實。略可知矣。故孔子爲最上至極宇宙第一聖人。論語爲最上至極宇宙第一書。所謂自生民以來。未有盛於孔子也。非知道者。孰能識之。難哉難哉。
新字:夫有人倫。則天地立。無人倫。則天地不立。大凡天下君臣父子夫婦昆弟朋友。雖不親読夫子之書。服夫子之教。然夫人善仁義。崇忠孝。不失君臣父子夫婦昆弟朋友之倫者。其誰之力哉。非夫子之道浹於肌膚。淪於骨髄。永自行於冥冥之中。豈能然耶。昔夫子称管仲之仁曰。民到于今。受其賜。微管仲。吾其被髪左衽矣。若夫子之徳之盛。視之管仲。奚翅万万。非止謂裁成輔相天地之道。仲尼即天地也。故中庸賛之曰。声名洋溢乎中国。施及蠻貊。舟車所至。人力所通。天之所覆。地之所載。日月所昭。霜露所隊。凡有血気者。莫不尊親。故曰配天。夫子所以賢於堯舜之実。略可知矣。故孔子為最上至極宇宙第一聖人。論語為最上至極宇宙第一書。所謂自生民以来。未有盛於孔子也。非知道者。孰能識之。難哉難哉。
書き下し
夫れ人倫有れば、則ち天地立ち、人倫無ければ、則ち天地立たず。大凡天下の君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友、親ら夫子の書を読み、夫子の教へに服せずと雖も、然も夫の人の仁義を善しとし、忠孝を崇び、君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友の倫を失はざる者は、其れ誰の力ぞや。夫子の道の肌膚に浹り、骨髄に淪みて、永く自ら冥冥の中に行はるるに非ずんば、豈に能く然らんや。昔夫子管仲の仁を称して曰く、民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ髪を被り衽を左にせん、と。夫子の徳の盛んなるが若きは、之を管仲に視ぶれば、奚ぞ翅に万万のみならん。止だ天地の道を裁成輔相すと謂ふのみに非ず、仲尼は即ち天地なり。故に中庸之を賛して曰く、声名中国に洋溢し、施きて蛮貊に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆ふ所、地の載する所、日月の昭らす所、霜露の隊つる所、凡そ血気有る者は、尊親せざる莫し。故に天に配すと曰ふ、と。夫子の堯舜より賢れる所以の実、略々知るべし。故に孔子を最上至極宇宙第一の聖人と為し、論語を最上至極宇宙第一の書と為す。所謂生民より以来、未だ孔子より盛んなるは有らざるなり。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん。難いかな難いかな。
現代語訳
そもそも人倫があれば天地は成り立ち、人倫がなければ天地は成り立たない。およそ天下の君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友は、自ら孔子の書を読み、孔子の教えに服していなくても、人々が仁義をよしとし、忠孝を尊び、君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の道を失わないのは、いったい誰の力であろうか。孔子の道が肌に浸みとおり、骨髄にしみこんで、永く人知れぬところでおのずから行われているのでなければ、どうしてそうなりえようか。昔、孔子は管仲の仁をほめて「民は今に至るまでその恵みを受けている。管仲がいなかったら、私たちは髪をふり乱し、衣を左前に着る夷狄の風俗になっていただろう」と言った。孔子の徳の盛んなことは、これを管仲と比べれば、万倍どころではない。ただ天地の道を裁ち整え助けると言うだけではなく、孔子はすなわち天地そのものである。だから中庸はこれをたたえて「その名声は中国にあふれ、異民族の地にまで及ぶ。舟や車の至る所、人の力の通じる所、天の覆う所、地の載せる所、日月の照らす所、霜や露の降りる所、およそ血の通う者で、尊び親しまない者はない。だから天に配すると言う」と言った。孔子が堯舜より優れている実際は、ほぼ知ることができよう。だから孔子を最上至極宇宙第一の聖人とし、論語を最上至極宇宙第一の書とする。いわゆる「人類が生まれて以来、孔子より盛んな者はいない」のである。道を知る者でなければ、誰がこれを知りえようか。難しいことだ、難しいことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上故に論語一書は、実に最上至極宇宙第一の書たり。而して孔子の聖、生民より以来未だ嘗て有らずして、堯舜より賢れること遠しと為す所以の者は、此を以てなり。而して孟子の書は、又論語に亜ぎて、孔子の旨を発明する者なり。其の言に曰く、堯舜の道は孝弟のみと。又其の難知難行・高遠にして及ぶべからざるの説を斥けて、以て邪説と為し暴行と為し、痛く之を拒絶して、専ら仁義の旨を唱ふ。蓋し論語の義疏なり。故に学者実に斯の理を知得して、而る後に当に論孟二書を読むべし。然らずんば、則ち字解句釈、精なること蚕糸の若く、密なること牛毛の若しと雖も、実に論孟を侮る者なり。豈に之を尊信すと謂ふべけんや。従前の学者、皆論語を以て、徒らに孔門一時問答の語と為して、其の六経の上に高出することを知らず。道の天下後世に明らかならず行はれざる所以の者は、職として此に之れ由る。学者審らかにせざるべからず。
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『童子問』卷下問ふ、五経と論孟との異同浅深。曰く、異同を論じて、浅深を論ずること勿れ。其の辞に艱渋平穏の異有りと雖も、然れども理は則ち一なり。人皆以謂へらく、易・春秋は深奥にして通じ難く、論語・孟子は平易にして知り易しと。非なり。五経は猶天地のごとく、万物自ら有りて長養することを知らず。論孟は猶聖人の天地の道を裁成輔相して、以て民を左右するがごとし。礼を制し楽を作り、教を立て範を垂れて、以て中正の極を建て、以て人倫の法を定め、万世の君臣・父子・夫婦・朋友・昆弟をして各其の所を得て、禽獣と為らざらしむる者は、皆聖人の功なり。天地有りと雖も、然れども聖人の之が為に教育するを得るに非ざれば、則ち天地も亦天地為ること能はず。論孟の五経に於けるも、亦猶是くのごとし。吾故に論語を以て宇宙第一の書と為して、孟子は論語に亜ぐ者は、此れが為なり。此れ論孟の五経と異なる所以なり。
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『童子問』卷上孔子の仁を問ふ。曰く、夫子管仲の仁を称して曰く、「民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん」と。夫子の仁の若きは、実に天地と準しく、管仲に度越すること、奚ぞ翅に億万のみならんや。夫子より今に到るまで、殆ど二千有余歳、四海九州、人皆善を善として悪を悪とし、君臣父子夫婦昆弟朋友の交はり、各々其の倫を叙することを得て、左衽の俗と為らざる者は、悉く夫子の賜なり。人皆夫子の教への中に在りて、夫子の教への大なるを知らず。猶ほ人の天地の内に囿まれて、天地の大為るを知らざるがごとし。夫子微かりせば、藉令ひ人皆化して鬼と為り蜮と為らずとも、而も三綱淪み九法斁れ、天下其の天下為ることを得ざらん。於戯、大なるかな。宋人、一古刹の梁上に「天孔子を生ぜずんば、万古長夜の如し」の十大字を書せるを見る。終に千古の名言と為る。宜なるかな。
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『童子問』卷下問ふ、然らば則ち孔子の堯舜より賢れる所以の者は、果たして何くに在りや、と。曰く、此れは是れ古今未了の大公案なり。学者の道に於ける、其の知ると知らざると、得ると得ざるとは、総て此に決す。一言の能く悉くす所に非ざるなり。学者真に能く高遠広大・難知難行の説の即ち邪説暴行にして、人倫日用平常行ふべきの道の実に至極たることを知りて、而る後に自ら其の堯舜より賢れる所以の実を知るなり。今且く事実を以て明らかに告げん。夫れ源愈々深ければ、則ち流れ愈々遠く、根愈々大なれば、則ち樹愈々盛んなり。故に其の教への遠く被るを見れば、則ち其の道の本の大なるを知り、其の化の遠く及ぶを見れば、則ち其の徳の甚だ広きを知る。堯舜は天子なり。宜なり其の声教の遠く曁び、余沢の久しく流るること。然れども治績は九州に過ぎず、子孫の襲封も亦後世に及ばず。仲尼は匹夫なり、旅人なり。然れども道徳遠く曁びて、限量すべからず。地を以てすれば、則ち鄒魯の郷より、海の内外を問はず、四夷の遠きに至るまで、凡そ文字有るの国は、夫子の教へを尊崇せざる莫し。礼を以てすれば、則ち身に天子の服裳を被り、天子の礼楽を用ふ。春秋の二仲、天子親ら雍に臨み、上は大学より、下は州県の学に至り、延いて夷服の地に及ぶまで、各々釈奠の礼を修めて、惟れ謹む。時を以てすれば、則ち夫子の時より今に到るまで、既に二千余年、猶一日のごときなり。其の子孫も亦相襲ひて封爵せられ、今に到るまで絶えず。猗嗟盛んなるかな。
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『童子問』卷下問ふ、五経の理。曰く、五経は是れ宛然たる天地万物人情世変の図子のみ。天下の書、論説に非ざる靡し。唯六経のみ論説に属せずして、万理畢く具はり、変化方無く、取るに随つて在るに随ふ。之に順へば則ち治まり、之に逆へば則ち乱れ、之に従へば則ち存し、之に悖れば則ち亡ぶ。皆人をして思うて之を得しむ。論孟の章章句句各其の義有りて、他義を兼ぬること能はざるに比せざるなり。故に論語は宇宙第一の書たりと雖も、然れども猶有るべし。六経は有るべからず。其の故何ぞや。倘し世に孔子有らば、自ら当に論語の書有るべし。六経のごときは、則ち唐虞以来周末に至るまでの一世界有りて、其の間に又極治極乱の時、許多の人情世変備はるに非ざれば、則ち有るべからざるなり。孔子と雖も亦作ること能はず。此れ六経の有るべからざる所以なり。然れども本甚だしき異義無し。異義を求むれば、則ち是ならず。詩は民巷の歌謡、書は先王の政事、易は陰陽消長の変、春秋は魯史簡牘の文、本何の異義か有らん。但其の理自ら深遠なるのみ。古来六経に註する者、皆議論を作して之を解す。浅し。晋の陶潜、夏日に方つて北牕の下に高臥し、自ら以為へらく犠皇上世の人なりと。其の見固より高し。然れども猶北牕の涼を待つこと有り。論語に曰く、斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なりと。苟も六経の理に邃ければ、則ち今日即ち唐虞三代の時、斯の身即ち唐虞三代の民にして、固より外に待つこと無し。余嘗て題壁の詩有りて云ふ、天空海濶小茅堂、四序悠悠として春色長し、笑殺す淵明卓識無きを、北牕何ぞ必ずしも犠皇を慕はんと。竊かに此の意を述ぶ。
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『童子問』卷上問ふ、従来皆論語を以て、徒らに平易近情・意味親切と為して、未だ其の広大甚深にして、此の如く知り難きことを知らざるなり。冀はくは申ねて審喩を垂れよと。曰く、論語の書は、聖人大中至正の心を以て、大中至正の道を説く。故に唯だ大中至正の人のみ能く之を知る。子必ず難知難行・高遠にして及ぶべからざる者を以て至道と為して、易知易行・平正親切なる者の、却つて是れ万世不易・天下極至の理なることを知らず。蓋し難知難行・高遠にして及ぶべからざるの説は、乃ち異端邪説にして、易知易行・平正親切なる者は、便ち是れ堯舜の道にして、孔子立教の本原、論語の宗旨なり。昔在、孔子古今を旁観し、群聖を歴選して、特に堯舜を祖述し、文武を憲章し、尽く夫の難知難行・磅礴広大にして窺測すべからざるの説を黜けて、其の易知易行・万世不易の道を立て、以て生民の極と為し、之を門人に伝へ、之を後世に詔ぐ。
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