童子問 / 卷上
故論語一書。實爲最上至極宇宙第一書。而孔子之聖。所以爲生民以來未甞有。而賢於堯舜遠者。以此也。而孟子之書。又亞論語。而發明孔子之旨者也。其言曰。堯舜之道。孝弟而巳矣。又斥其難知難行。高遠不可及之說。以爲邪說爲暴行。痛拒絕之。而專唱仁義之旨。葢論語之義疏也。故學者實知得斯理。而後當讀論孟二書。不然。則雖字解句釋。精若蠶絲。密若牛毛。實侮論孟者也。豈可謂尊信之乎。從前學者。皆以論語。徒爲孔門一時問答之語。而不知其高出于六經之上矣。道之所以不明不行于天下後世者。職此之由。學者不可不審諸。
新字:故論語一書。実為最上至極宇宙第一書。而孔子之聖。所以為生民以来未甞有。而賢於堯舜遠者。以此也。而孟子之書。又亜論語。而発明孔子之旨者也。其言曰。堯舜之道。孝弟而巳矣。又斥其難知難行。高遠不可及之説。以為邪説為暴行。痛拒絶之。而専唱仁義之旨。葢論語之義疏也。故学者実知得斯理。而後当読論孟二書。不然。則雖字解句釈。精若蠶糸。密若牛毛。実侮論孟者也。豈可謂尊信之乎。従前学者。皆以論語。徒為孔門一時問答之語。而不知其高出于六経之上矣。道之所以不明不行于天下後世者。職此之由。学者不可不審諸。
書き下し
故に論語一書は、実に最上至極宇宙第一の書たり。而して孔子の聖、生民より以来未だ嘗て有らずして、堯舜より賢れること遠しと為す所以の者は、此を以てなり。而して孟子の書は、又論語に亜ぎて、孔子の旨を発明する者なり。其の言に曰く、堯舜の道は孝弟のみと。又其の難知難行・高遠にして及ぶべからざるの説を斥けて、以て邪説と為し暴行と為し、痛く之を拒絶して、専ら仁義の旨を唱ふ。蓋し論語の義疏なり。故に学者実に斯の理を知得して、而る後に当に論孟二書を読むべし。然らずんば、則ち字解句釈、精なること蚕糸の若く、密なること牛毛の若しと雖も、実に論孟を侮る者なり。豈に之を尊信すと謂ふべけんや。従前の学者、皆論語を以て、徒らに孔門一時問答の語と為して、其の六経の上に高出することを知らず。道の天下後世に明らかならず行はれざる所以の者は、職として此に之れ由る。学者審らかにせざるべからず。
現代語訳
だから論語という一書は、まことに最上至極、宇宙第一の書である。そして孔子の聖徳が、人類始まって以来かつてなく、堯・舜よりはるかにまさるとされる理由も、ここにある。また孟子の書は論語に次ぐもので、孔子の趣旨を明らかにしたものである。孟子は「堯・舜の道は孝と弟だけである」と言い、また知りがたく行いがたく高遠で及びがたい説を退けて、それを邪説・暴行とし、激しく拒んで、もっぱら仁義の趣旨を唱えた。思うに孟子は論語の義疏(注解)である。だから学ぶ者は、まずこの道理を本当に会得してから論語・孟子の二書を読むべきである。そうでなければ、一字一句の解釈が蚕の糸のように精しく、牛の毛のように細密であっても、実は論語・孟子を侮る者にすぎない。どうしてこれを尊び信じていると言えようか。これまでの学者は皆、論語をただ孔子門下のその場かぎりの問答の言葉と考えて、それが六経の上に高くぬきんでていることを知らなかった。道が天下と後世に明らかにならず、行われない理由は、もっぱらここにある。学ぶ者はよく考えなければならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、五経と論孟との異同浅深。曰く、異同を論じて、浅深を論ずること勿れ。其の辞に艱渋平穏の異有りと雖も、然れども理は則ち一なり。人皆以謂へらく、易・春秋は深奥にして通じ難く、論語・孟子は平易にして知り易しと。非なり。五経は猶天地のごとく、万物自ら有りて長養することを知らず。論孟は猶聖人の天地の道を裁成輔相して、以て民を左右するがごとし。礼を制し楽を作り、教を立て範を垂れて、以て中正の極を建て、以て人倫の法を定め、万世の君臣・父子・夫婦・朋友・昆弟をして各其の所を得て、禽獣と為らざらしむる者は、皆聖人の功なり。天地有りと雖も、然れども聖人の之が為に教育するを得るに非ざれば、則ち天地も亦天地為ること能はず。論孟の五経に於けるも、亦猶是くのごとし。吾故に論語を以て宇宙第一の書と為して、孟子は論語に亜ぐ者は、此れが為なり。此れ論孟の五経と異なる所以なり。
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『童子問』卷下夫れ人倫有れば、則ち天地立ち、人倫無ければ、則ち天地立たず。大凡天下の君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友、親ら夫子の書を読み、夫子の教へに服せずと雖も、然も夫の人の仁義を善しとし、忠孝を崇び、君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友の倫を失はざる者は、其れ誰の力ぞや。夫子の道の肌膚に浹り、骨髄に淪みて、永く自ら冥冥の中に行はるるに非ずんば、豈に能く然らんや。昔夫子管仲の仁を称して曰く、民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ髪を被り衽を左にせん、と。夫子の徳の盛んなるが若きは、之を管仲に視ぶれば、奚ぞ翅に万万のみならん。止だ天地の道を裁成輔相すと謂ふのみに非ず、仲尼は即ち天地なり。故に中庸之を賛して曰く、声名中国に洋溢し、施きて蛮貊に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆ふ所、地の載する所、日月の昭らす所、霜露の隊つる所、凡そ血気有る者は、尊親せざる莫し。故に天に配すと曰ふ、と。夫子の堯舜より賢れる所以の実、略々知るべし。故に孔子を最上至極宇宙第一の聖人と為し、論語を最上至極宇宙第一の書と為す。所謂生民より以来、未だ孔子より盛んなるは有らざるなり。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん。難いかな難いかな。
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『童子問』卷上一童行有り。問うて曰く、伏して聞く、先生孔孟の正指を闡明して、以て学者を教導すと。然れども門に入ること日浅く、賦性も亦た魯なり。之に加ふるに先入の言主と為りて、孔孟の直指に免れず、反つて驚き且つ怪しむ。冀はくは開示を賜へと。予之に応へて曰く、孔孟の直指は、論孟二書に見ゆる者、炳として丹青の如し。天下の理を包含して欠くること無く、百家の典を会萃して遺さず。此を出づれば、則ち旁径なり、他岐なり。子予が意を識らんと欲せば、則ち語孟二書を観て足れり。今子の為に困を傾け廩を倒して、以て尽く之を告ぐと雖も、亦た能く二書の外に出づる者莫し。子能く熟読翫味して得ること有らば、則ち予と生相睽違し、地を阻て世を隔つと雖も、猶ほ一堂に相聚まり、終日論議して、心心相照らし、符節を合はするが若く、自ら相違ふこと莫からん。勉めよや、怠ること勿かれ。惟だ恐る、子徒らに以て聖門平正親切の書と為して、深意の在る所を知らざらんことを。
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『童子問』卷上童子曰く、教誨を蒙ることを獲て、始めて論語一書の実に宇宙第一の書為ることを識る。至幸至恵なり。然れども孟子は性善を道ひて、論語は偏へに学問を以て主と為し、性善の説に於ては、則ち未だ嘗て発明する所有らず。豈に一大欠事に非ずやと。曰く、従前の諸儒、多く此に於て按款を欠く。弁ぜざるを容れず。夫れ性・道・教の三者は、実に学問の綱領なり。凡そ聖人の千言万語、其の多きに堪へずと雖も、然れども此に総括せざるは莫し。請ふ、極めて之を言はん。論語は専ら教を言ひて、道其の中に在り。孟子は専ら道を言ひて、教其の中に在り。其の所謂性善と云ふ者は、本自暴自棄する者の為に之を発す。亦た教なり。論語は専ら教を以て主と為す。故に性の美悪は論ぜざる所に在り。故に曰く、性相近きなり、習相遠きなりと。又曰く、教有りて類無しと。言ふこころは、堯舜より途人に至るまで、其の間相去ること奚ぞ啻に千万のみならんや。然れども其の性を論ずれば、則ち亦た甚だ相遠からず。但だ其の相懸絶すること此の如き所以の者は、皆習に由りて然り。苟も学びて以て之を明らかにし、養ひて以て之を充たさば、則ち皆以て悪を変じて善と為すべし。故に性の善悪は置きて論ぜず。此れ論語の専ら教を言ひて、性を道はざる所以なり。孟子は性善を道ふと雖も、徒らに其の理を論ぜず、必ず擴充と曰ひ、必ず存養と曰ふ。所謂擴充存養と云ふ者は、即ち教に非ずして何ぞや。此れ孟子の性善を道ふと雖も、実は教に非ざること莫き所以なり。吾故に曰く、論孟二書は、猶ほ一幅の布に表裏有りて、精粗無きがごとしと。
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『童子問』卷上問ふ、論語は平易にして知り易く、六経は深奥にして読み難し。今論語の理六経の上に高出すと説く。審らかならず、如何と。曰く、程子云はずや、論孟既に明らかなれば、則ち六経は治めずして明らかなりと。蓋し六経の道は、平正通達にして、万世人倫の道備はる。然れども論孟に通じて、而る後に六経の学益有り。然らずんば、則ち六経徒らに虚器と為りて、今日の用を為さず。猶ほ三代の彝器の、之を几上に実つべくして、之を日用に施すべからざるがごときなり。後世儒者の易・春秋を解する、其の説奇古艱深にして、人倫日用に近からざる者は、蓋し此を以てなり。詩書二経も亦た然り。独り程子の易伝、諸儒の上に夐出して、三代以来の好書為る所以の者は、其の論孟の理より来るを以てなり。是れ論語の六経の上に高出する所以なり。
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『童子問』卷上問ふ、先生既に孟子を以て論語の義疏と為す。然らば則ち学者専ら論語を読みて、孟子に至りては、則ち必ずしも読まずと雖も害無きかと。曰く、然らず。註は夫の経に通ずることを求むる所以なり。学者孟子を熟読せざれば、必ず論語の義に達すること能はず。蓋し論語の津筏なり。論語は専ら仁義礼智を修むるの方を説きて、未だ嘗て其の義を発明せず。孟子の時、聖遠く道湮み、大義既に乖く。故に孟子学者の為に、諄諄然として其の義を剖別し、其の理を闡明し、丁寧詳悉にして、復た余蘊無し。故に七篇の義に通じて、而る後に論語の理始めて明らかにすべし。孟子曰く、惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり、恭敬の心は礼の端なり、是非の心は智の端なりと。又曰く、人皆忍びざる所有り、之を其の忍ぶ所に達するは仁なり。人皆為さざる所有り、之を其の為す所に達するは義なりと。是れ仁義礼智四字の解なり。学者当に此に據りて体認熟読して、而る後に之を論語に推すべし。則ち其の義始めて較然たり。設し孟子を去りて、特だ論語の字面に據りて之を解せんと欲せば、則ち惟だに其の義を得ざるのみならず、必ず大いに道を錯るに至らん。従前の註解の、仁義礼智の義に愜はざる者は、正に此を以てなり。所以に孟子の書は、徒だに功を論語に有るのみに非ず、実に功を万世の学者に有り。其の論語と並び称せらるることを得る者は、良に以有るかな。
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