童子問 / 卷下
問知命之說。曰。天有必然之理。人有自取之道。易曰。積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。是謂天有必然之理也。詩曰。永思配命。自求多福。是謂人有自取之道也。文王不死於羑里。孔子不害於陳蔡。此非天有必然之理乎。孔子曰。天之未喪斯文也。匡人其如予何。又曰。天生德於予。桓魋其如予何。此非人有自取之道乎。夫人自取。而後天命之。天之所命者。便人之所自取。可不愼乎。
新字:問知命之説。曰。天有必然之理。人有自取之道。易曰。積善之家必有余慶。積不善之家必有余殃。是謂天有必然之理也。詩曰。永思配命。自求多福。是謂人有自取之道也。文王不死於羑里。孔子不害於陳蔡。此非天有必然之理乎。孔子曰。天之未喪斯文也。匡人其如予何。又曰。天生徳於予。桓魋其如予何。此非人有自取之道乎。夫人自取。而後天命之。天之所命者。便人之所自取。可不慎乎。
書き下し
問ふ、命を知るの説。曰く、天に必然の理有り、人に自取の道有り。易に曰く、積善の家には必ず余慶有り、積不善の家には必ず余殃有りと。是れ天に必然の理有るを謂ふなり。詩に曰く、永く言に命に配し、自ら多福を求むと。是れ人に自取の道有るを謂ふなり。文王羑里に死せず、孔子陳蔡に害せられず。此れ天に必然の理有るに非ずや。孔子曰く、天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せんと。又曰く、天徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せんと。此れ人に自取の道有るに非ずや。夫れ人自ら取りて、而る後に天之に命ず。天の命ずる所の者は、便ち人の自ら取る所なり。慎まざるべけんや。
現代語訳
問う。天命を知るということについて。答える。天には必然の理があり、人には自ら招く道がある。易経に「善を積む家には必ず余りある喜びがあり、不善を積む家には必ず余りある災いがある」とある。これは天に必然の理があることを言っている。詩経に「とこしえに天命に合わせ、自ら多くの福を求める」とある。これは人に自ら招く道があることを言っている。文王が羑里で死ななかったこと、孔子が陳・蔡で害されなかったこと、これは天に必然の理があるということではないか。孔子は「天がこの文化を滅ぼさないかぎり、匡の人々が私をどうできようか」と言い、また「天が私に徳を授けたのだ、桓魋が私をどうできようか」と言った。これは人に自ら招く道があるということではないか。人が自ら招き、その後に天がそれを命じるのである。天が命じるものは、すなわち人が自ら招いたものである。慎まないでいられようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・多士惟れ三月、周公初めて新邑の洛に于(お)いて、用て商王の士に告ぐ。王若(かく)のごとく曰く、「爾殷の遺れる多士よ。弔(あは)れまれず、旻天大いに喪を殷に降す。我有周は命を佑け、天の明威を将ひ、王の罰を致し、殷の命を勑(ただ)して帝に終へしむ。肆(ゆゑ)に爾多士よ、我が小国の敢へて殷の命を弋(と)るに非ず。惟れ天畀(あた)へず、允(まこと)に乱を固くする罔からしめ、我を弼く。我其れ敢へて位を求めんや。惟れ帝畀へず、惟れ我が下民の秉り為すところは、惟れ天の明畏なり。我聞く、曰く、上帝は逸を引く、と。有夏は逸に適はず、則ち惟れ帝格を降し、時の夏に嚮ふ。帝を庸(もち)ふる克はず、大いに淫泆し、辞有り。惟れ時に天念聞する罔く、厥れ惟れ元命を廃し、罰を降致す。乃ち爾の先祖成湯に命じて夏を革め、俊民をして四方を甸(をさ)めしむ。成湯より帝乙に至るまで、徳を明らかにし祀を卹(うれ)へざる罔し。亦惟れ天丕いに建て、有殷を保乂す。殷王も亦敢へて帝を失ふ罔く、天に配して其の沢あらざる罔し。今の後嗣の王に在りては、誕いに天に顕らかなる罔し。矧(いは)んや曰く其れ先王の家に勤めしを聴念する有らんや。誕いに厥の泆に淫し、天の顕らかなると民の祗(つつし)むとを顧みる罔し。惟れ時に上帝保たず、茲の若き大喪を降す。惟れ天は其の徳を明らかにせざるに畀へず。凡そ四方の小大の邦の喪ぶるは、罰に辞有らざる罔し。」王若のごとく曰く、「爾殷の多士よ。今惟れ我が周王は丕いに霊しく帝の事を承け、命有りて曰く『殷を割(た)て』と、帝に告勑す。惟れ我が事は貳適せず、惟れ爾の王家は我に適す。予其れ曰く、『惟れ爾洪いに度無し。我は爾を動かさず、乃の邑よりす』と。予も亦念ふ、天は殷に即いて大いに戾(つみ)し、肆に正さず。」王曰く、「猷(ああ)、爾多士に告ぐ。予惟れ時れ其れ爾を西に遷居せしむ。我一人の徳を奉じて康寧ならざるに非ず、時れ惟れ天命なり、違ふ無かれ。朕敢へて後(おく)るること有らず、我を怨む無かれ。惟れ爾知る、
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『長短経』運命此れ略其の本を言いて其の詳を語らず。嘗試みに之を論じて曰く、命なる者は、天の授くるなり。徳なる者は、命の本なり。皇霊は陰かに下人を隲し、冥兆に定むと雖も、然れども興亡・長短は、徳を以て準と為す。若し徳曩に循えば、則ち命今に定まる。然らば則ち今の定命は、皆曩の徳なること明らかなり。夫れ命の徳に在れば、則ち吉凶禍福は天に由らず。命今に定まれば、則ち賢聖・鬼神も移すこと能わず。故に君子は心を尽くし、力を尽くして、以て命を邀うるなり。此れ運命の至りなり。〕易に曰く「理を窮め性を尽くして、以て命に至る」と。此の謂いなり。
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尚書・大禹謨予乃(なんぢ)の徳を懋(ほ)め、乃の丕績(ひせき)を嘉(よみ)す。天の暦数汝の躬(み)に在り、汝終(つひ)に元后に陟(のぼ)らん。
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史記 宋微子世家司馬唐山太子肥を攻め殺し、華元を殺さんと欲す。華元晋に犇(はし)らんとす。魚石之を止め、河に至りて乃ち還り、唐山を誅す。乃ち共公の少子戌を立つ。是を平公と為す。平公の三年、楚の共王宋の彭城を抜き、以て宋の左師魚石を封ず。四年、諸侯共に魚石を誅し、而して彭城を宋に帰す。三十五年、楚の公子囲其の君を弑して自立し、霊王と為る。四十四年、平公卒し、子の元公佐立つ。元公の三年、楚の公子棄疾霊王を弑し、自立して平王と為る。八年、宋に火あり。十年、元公信毋く、詐りて諸公子を殺す。大夫華・向氏乱を作す。楚の平王の太子建来奔す。諸華氏の相攻めて乱るるを見て、建去りて鄭に如く。十五年、元公魯の昭公の季氏を避けて外に居るが為に、之が為に魯に入らんことを求め、道を行きて卒し、子の景公頭曼立つ。景公の十六年、魯の陽虎来奔し、已にして復た去る。二十五年、孔子宋を過ぐ。宋の司馬桓魋之を悪み、孔子を殺さんと欲す。孔子微服して去る。三十年、曹宋に倍き、又晋に倍く。宋曹を伐つ。晋救はず。遂に曹を滅ぼして之を有つ。三十六年、斉の田常簡公を弑す。三十七年、楚の恵王陳を滅ぼす。熒惑心を守る。心は宋の分野なり。景公之を憂ふ。司星子韋曰く、「相に移すべし」と。景公曰く、「相は吾の股肱なり」と。曰く、「民に移すべし」と。景公曰く、「君は民を待つ」と。曰く、「歳に移すべし」と。景公曰く、「歳饑うれば民困しむ。吾誰の為にか君たらん」と。子韋曰く、「天は高きも卑きに聴く。君に君人の言三つ有り。熒惑宜しく動くこと有るべし」と。是に於て之を候ふに、果たして徙ること三度。六十四年、景公卒す。宋の公子特太子を攻め殺して自立す。是を昭公と為す。昭公は、元公の曾庶孫なり。昭公の父は公孫糾、糾の父は公子褍秦、褍秦は即ち元公の少子なり。
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史記 孔子世家夫人帷中より再拝す、環珮の玉声璆然たり。孔子曰く、「吾郷に見えずと為す、之を見るに礼もて答ふ」と。子路説ばず。孔子之に矢ひて曰く、「予が否なる所の者は、天之を厭たん、天之を厭たん」と。衛に居ること月余、霊公夫人と車を同じくし、宦者雍渠参乗し、出で、孔子をして次乗為らしめ、招揺して市に之を過ぐ。孔子曰く、「吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と。是に於て之を醜とし、衛を去り、曹を過ぐ。是の歳、魯の定公卒す。孔子曹を去りて宋に適き、弟子と礼を大樹の下に習ふ。宋の司馬桓魋孔子を殺さんと欲し、其の樹を抜く。孔子去る。弟子曰く、「以て速やかにすべし」と。孔子曰く、「天徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せん」と。孔子鄭に適き、弟子と相失ひ、孔子独り郭の東門に立つ。鄭人或ひと子貢に謂ひて曰く、「東門に人有り、其の顙は堯に似、其の項は皋陶に類し、其の肩は子産に類す、然れども要より以下は禹に及ばざること三寸。纍纍として喪家の狗の若し」と。子貢実を以て孔子に告ぐ。孔子欣然として笑ひて曰く、「形状は末なり。而るに喪家の狗に似たりと謂ふは、然るかな、然るかな」と。孔子遂に陳に至り、司城貞子の家に主たり。歳余にして、呉王夫差陳を伐ち、三邑を取りて去る。趙鞅朝歌を伐つ。楚蔡を囲み、蔡呉に遷る。呉、越王句践を会稽に敗る。隼有り陳の廷に集まりて死す、楛矢之を貫く、石砮にして、矢の長さ尺有咫。陳の湣公使をして仲尼に問はしむ。仲尼曰く、「隼の来たること遠し、此れ粛慎の矢なり。昔武王商に克ち、道を九夷百蛮に通じ、各々其の方賄を以て来貢せしめ、職業を忘るること無からしむ。是に於て粛慎楛矢石砮を貢す、長さ尺有咫。先王其の令徳を昭らかにせんと欲し、粛慎の矢を以て大姫に分かち、虞の胡公に配して諸を陳に封ず。同姓に分かつに珍玉を以てし、親を展ぶ。異姓に分かつに遠職を以てし、服を忘るること無からしむ。
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尚書・大禹謨告ぐる無きを虐げず、困窮を廃せざるは、惟れ帝のみ時(これ)克(よ)くす」と。益曰く、「都(ああ)、帝の徳は広く運(めぐ)り、乃ち聖に乃ち神に、乃ち武に乃ち文なり。皇天眷命(けんめい)し、奄(あまね)く四海を有(たも)ちて天下の君と為る」と。禹曰く、「迪(みち)に恵(したが)へば吉、逆に従へば凶、惟れ影響のごとし」と。益曰く、「吁(ああ)、戒めんかな。
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