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童子問 / 卷下

易以道陰陽。昔聖人畫卦爻。以盡陰陽消長之變。老則變。滿必損。故避盈滿。而處退損者。易之敎也。孔子曰。加我數年五十以學易。可以無大過矣。是也。六十四卦。三百八十四爻。其義雖多。然夫子可無大過之一言。足以蔽之矣。論語曰。禮與其奢也。寧儉。又曰。奢則不孫。儉則固。與其不孫。寧固。孝經曰。制節謹度。滿而不溢。高而不危。皆莫非此意。夫陰陽之消長。變遷無方。進退無恒。難執一守。故論語曰。可與共立。未可與權。孟子曰。執中無權。猶執一也。亦皆莫非易之理也。古者易學。自有二家。彖象二篇。儒家之易也。文言亦然。葢專述彖之義。皆論陰陽消長之理。而推之人事。無一及卜筮者。繋辭說卦等篇。專主卜筮而言。歐陽子以爲筮師之書。是也。葢義之與卜筮相反。言義則不須言卜策。從卜筮則不能不捨義。故論孟二書。不言卜筮者。以此也。程傳雖從繫辭。其實與彖象之理相合。當從之。

新字:易以道陰陽。昔聖人画卦爻。以尽陰陽消長之変。老則変。満必損。故避盈満。而処退損者。易之教也。孔子曰。加我数年五十以学易。可以無大過矣。是也。六十四卦。三百八十四爻。其義雖多。然夫子可無大過之一言。足以蔽之矣。論語曰。礼与其奢也。寧倹。又曰。奢則不孫。倹則固。与其不孫。寧固。孝経曰。制節謹度。満而不溢。高而不危。皆莫非此意。夫陰陽之消長。変遷無方。進退無恒。難執一守。故論語曰。可与共立。未可与権。孟子曰。執中無権。猶執一也。亦皆莫非易之理也。古者易学。自有二家。彖象二篇。儒家之易也。文言亦然。葢専述彖之義。皆論陰陽消長之理。而推之人事。無一及卜筮者。繋辞説卦等篇。専主卜筮而言。欧陽子以為筮師之書。是也。葢義之与卜筮相反。言義則不須言卜策。従卜筮則不能不捨義。故論孟二書。不言卜筮者。以此也。程伝雖従繋辞。其実与彖象之理相合。当従之。

書き下し

易は以て陰陽を道ふ。昔聖人卦爻を画して、以て陰陽消長の変を尽くす。老ゆれば則ち変じ、満つれば必ず損ず。故に盈満を避けて退損に処る者は、易の教なり。孔子曰く、我に数年を加へ、五十にして以て易を学ばば、以て大過無かるべしと。是れなり。六十四卦、三百八十四爻、其の義多しと雖も、然れども夫子の大過無かるべしの一言、以て之を蔽ふに足れり。論語に曰く、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよと。又曰く、奢れば則ち不孫、倹なれば則ち固なり。其の不孫ならんよりは寧ろ固なれと。孝経に曰く、節を制し度を謹めば、満ちて溢れず、高くして危からずと。皆此の意に非ざる莫し。夫れ陰陽の消長は、変遷方無く、進退恒無く、一を執りて守り難し。故に論語に曰く、与に共に立つべし、未だ与に権るべからずと。孟子曰く、中を執りて権無きは、猶一を執るがごときなりと。亦皆易の理に非ざる莫し。古者易学、自ら二家有り。彖・象の二篇は儒家の易なり。文言も亦然り。蓋し専ら彖の義を述べて、皆陰陽消長の理を論じて、之を人事に推し、一も卜筮に及ぶ者無し。繋辞・説卦等の篇は、専ら卜筮を主として言ふ。欧陽子以て筮師の書と為す、是れなり。蓋し義の卜筮と相反す。義を言へば則ち卜策を言ふことを須ゐず。卜筮に従へば則ち義を捨てざること能はず。故に論孟の二書、卜筮を言はざる者は、此れを以てなり。程伝は繋辞に従ふと雖も、其の実は彖象の理と相合す。当に之に従ふべし。

現代語訳

易経は陰陽を言い表すものである。昔、聖人は卦と爻を描いて、陰陽の消長の変化を尽くした。老いれば変わり、満ちれば必ず減る。だから満ちあふれることを避けて、退き減らす側に身を置くのが易の教えである。孔子が「私にあと数年を与えて、五十歳で易を学べたなら、大きな過ちはなくなるだろう」と言ったのがそれである。六十四卦・三百八十四爻と、その意味は多いけれども、夫子の「大きな過ちがなくなる」の一言で言い尽くせる。論語に「礼は奢るよりはむしろ倹約せよ」とあり、また「奢れば不遜になり、倹約すれば頑なになる。不遜であるよりはむしろ頑なであれ」とある。孝経に「節度を定め法度を慎めば、満ちてもあふれず、高くても危うくない」とある。どれもこの意でないものはない。そもそも陰陽の消長は、変遷に決まった方向がなく、進退に常がなく、一つを固守するのは難しい。だから論語に「ともに立つことはできても、ともに臨機応変に量ることはまだできない」とあり、孟子に「中を執っても臨機応変がなければ、一つにこだわるのと同じだ」とある。これもみな易の道理でないものはない。古くは易学に二つの流れがあった。彖伝・象伝の二篇は儒家の易であり、文言伝もそうである。もっぱら彖の意味を述べ、みな陰陽消長の理を論じてそれを人事に推し及ぼし、一つも卜筮に触れていない。繋辞伝・説卦伝などの篇は、もっぱら卜筮を主として述べている。欧陽脩がこれを筮師の書としたのは正しい。思うに、義と卜筮とは相反する。義を言えば卜筮を言う必要はなく、卜筮に従えば義を捨てざるをえない。論語・孟子の二書が卜筮を言わないのは、このためである。程頤の易伝は繋辞に従ってはいるが、実質は彖伝・象伝の理と合っている。これに従うべきである。

解説

仁斎は易の核心を「盈満を避けて退損に処る」ことに見る。満ちれば欠けるという陰陽消長の理を、孔子の「以て大過無かるべし」の一言でまとめ、論語の「奢らんよりは寧ろ倹」や孝経の「満ちて溢れず」と重ねて読む。さらに十翼のうち彖伝・象伝・文言伝を義理を説く儒家の易とし、繋辞・説卦を卜筮の書として区別する。義を言えば卜筮は要らず、卜筮に従えば義を捨てざるをえないという断言は、占いではなく人事の理として易を読む姿勢を示している。好調な時ほど一歩引いて備えるという易の教えは、事業の拡大期にこそ思い出したい。

この章句が説くこと

易経陰陽退損義卜筮中

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