童子問 / 卷下
問。宋明諸儒。一家各有一家宗旨。而指導人。孰是孰非。願聞其詳。曰。吾有讀書一法。今爲子發之。天下無全是之書。又無全非之書。葢降聖人一等。必不能無一短一長。雖大儒先生。必有小疵。雖稗官小說。亦或有至言。不可不取。然其長處。必淡然無味。無跡可尋。而其可悅可好者。必其短處。故短處易得。而長處難得。若專主一家之學。則必先得其短處。日染月漬。卒爲終身之深害。永不可除。宜如披砂簡金。左沙右汰。悉棄去塵沙。斯得眞金。苟兼取周捜廣求竝蓄諸家之書。捨其短而取其長。則是非相形。彼此相濟。翫索既久。而後有一至正至當之理。自在其中。非徒可免終身之害。而天下之書。皆靡非吾師矣。孔門貴乎博學者。葢爲此也。今如講朱王氏之學者。其宗朱學者。專讀晦翁之書。而至象山陽明之書。一不過目。講王學者亦然。殊不知朱氏有朱子之短長。王氏有王氏之短長。知其長。又知其短。是爲能知其人也苟熟讀翫味語孟二書。以此爲規矩繩墨。而校其是非。覈其得失。則眞是眞非。斤兩適均。無毫差爽。今不暇一一枚擧。
新字:問。宋明諸儒。一家各有一家宗旨。而指導人。孰是孰非。願聞其詳。曰。吾有読書一法。今為子発之。天下無全是之書。又無全非之書。葢降聖人一等。必不能無一短一長。雖大儒先生。必有小疵。雖稗官小説。亦或有至言。不可不取。然其長処。必淡然無味。無跡可尋。而其可悦可好者。必其短処。故短処易得。而長処難得。若専主一家之学。則必先得其短処。日染月漬。卒為終身之深害。永不可除。宜如披砂簡金。左沙右汰。悉棄去塵沙。斯得真金。苟兼取周捜広求並蓄諸家之書。捨其短而取其長。則是非相形。彼此相済。翫索既久。而後有一至正至当之理。自在其中。非徒可免終身之害。而天下之書。皆靡非吾師矣。孔門貴乎博学者。葢為此也。今如講朱王氏之学者。其宗朱学者。専読晦翁之書。而至象山陽明之書。一不過目。講王学者亦然。殊不知朱氏有朱子之短長。王氏有王氏之短長。知其長。又知其短。是為能知其人也苟熟読翫味語孟二書。以此為規矩縄墨。而校其是非。覈其得失。則真是真非。斤両適均。無毫差爽。今不暇一一枚挙。
書き下し
問ふ、宋明の諸儒、一家各一家の宗旨有りて人を指導す。孰か是、孰か非なる。願はくは其の詳を聞かん。曰く、吾に読書の一法有り。今子が為に之を発せん。天下に全く是なるの書無く、又全く非なるの書無し。蓋し聖人に降ること一等なれば、必ず一短一長無きこと能はず。大儒先生と雖も、必ず小疵有り。稗官小説と雖も、亦或は至言有りて、取らざるべからず。然れども其の長処は、必ず淡然として味無く、跡の尋ぬべき無し。而して其の悦ぶべく好むべき者は、必ず其の短処なり。故に短処は得易くして、長処は得難し。若し専ら一家の学を主とせば、則ち必ず先づ其の短処を得て、日に染み月に漬して、卒に終身の深害と為り、永く除くべからず。宜しく砂を披いて金を簡び、左に沙ひ右に汰ひて、悉く塵沙を棄て去りて、斯に真金を得るがごとくすべし。苟も兼ね取り周く捜し広く求めて、竝びに諸家の書を蓄へ、其の短を捨てて其の長を取らば、則ち是非相形はれ、彼此相済して、翫索既に久しくして、而る後に一の至正至当の理有りて、自ら其の中に在らん。徒に終身の害を免るべきのみに非ず、而して天下の書、皆吾が師に非ざる靡し。孔門の博学を貴ぶ者は、蓋し此れが為なり。今朱・王氏の学を講ずる者のごとき、其の朱学を宗とする者は、専ら晦翁の書を読みて、象山・陽明の書に至つては、一も目を過ごさず。王学を講ずる者も亦然り。殊に知らず、朱氏には朱子の短長有り、王氏には王氏の短長有ることを。其の長を知り、又其の短を知る、是れを能く其の人を知ると為すなり。苟も語孟二書を熟読翫味し、此れを以て規矩縄墨と為して、其の是非を校し、其の得失を覈せば、則ち真是真非、斤両適均しくして、毫も差爽無からん。今一一枚挙するに暇あらず。
現代語訳
問う。宋・明の儒者たちは、それぞれの学派に独自の宗旨があって人を指導している。どれが正しく、どれが誤っているのか。詳しく伺いたい。答える。私には読書の一つの方法がある。今あなたのためにそれを明かそう。天下に全く正しい書はなく、また全く誤った書もない。聖人より一段でも下れば、必ず短所と長所がある。大儒先生であっても必ず小さな傷があり、取るに足らない小説の類にも、時に至言があって取らないわけにはいかない。しかし長所は必ず淡々として味がなく、たどれる跡もない。そして人が喜び好むところは、必ずその短所である。だから短所は身につきやすく、長所は得にくい。もしもっぱら一つの学派の学を主とすれば、必ずまずその短所を身につけ、日々月々に染み込んで、ついには一生の深い害となり、永久に取り除けなくなる。砂をかき分けて金をより分け、左右にすすぎ洗って塵や砂をすべて捨て去り、ようやく真の金を得るようにすべきである。もし広く兼ね取り、あまねく探し求め、諸家の書を併せて蓄え、短所を捨てて長所を取れば、是非が互いに照らし合い、双方が補い合って、長く味わい探るうちに、至正至当の理がおのずとその中に現れる。一生の害を免れるだけでなく、天下の書がすべて自分の師となる。孔門が博学を貴んだのは、まさにこのためである。今、朱子学・陽明学を講じる者を見ると、朱子学を奉じる者はもっぱら朱熹の書を読み、陸象山や王陽明の書には一度も目を通さない。陽明学を講じる者も同様である。朱子には朱子の長所短所があり、王陽明には王陽明の長所短所があることを全く知らないのだ。その長所を知り、またその短所を知ってこそ、その人を知ったと言える。もし論語・孟子の二書を熟読して味わい、これを規矩・墨縄(物差し)としてその是非を比べ、その得失を調べれば、真の是と真の非とが秤にかけたように釣り合い、少しの狂いもなくなる。今ここで一つ一つ挙げている暇はない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る