童子問 / 卷中
問。程子曰。仁者以天地萬物爲一體。莫非己也。認得爲己。何所不至。此語如何。曰。有此理。然難施之用。有博施於民。而能濟衆。堯舜其猶病。諸則藉令認得爲己。豈得能至哉。故口可言。而身不可行者。君子不道。墨子以兼愛天下爲道。佛氏以三界衆生爲己一子。皆口可言。而身不可行者也。高論多說。皆無益於道。以不言爲是。
新字:問。程子曰。仁者以天地万物為一体。莫非己也。認得為己。何所不至。此語如何。曰。有此理。然難施之用。有博施於民。而能済衆。堯舜其猶病。諸則藉令認得為己。豈得能至哉。故口可言。而身不可行者。君子不道。墨子以兼愛天下為道。仏氏以三界衆生為己一子。皆口可言。而身不可行者也。高論多説。皆無益於道。以不言為是。
書き下し
問ふ、程子曰く、仁者は天地万物を以て一体と為す。己に非ざる莫し。認め得て己と為さば、何の至らざる所かあらんと。此の語如何。曰く、此の理有り。然れども之を用に施し難し。博く民に施して、能く衆を済ふ有り、堯舜も其れ猶ほ諸を病めり。則ち藉令認め得て己と為すとも、豈に能く至ることを得んや。故に口に言ふべくして、身に行ふべからざる者は、君子道はず。墨子は天下を兼愛するを以て道と為し、仏氏は三界の衆生を以て己の一子と為す。皆口に言ふべくして、身に行ふべからざる者なり。高論多説は、皆道に益無し。言はざるを以て是と為す。
現代語訳
問う。程子は「仁者は天地万物を一体とする。自分でないものはない。それを自分だと認め得たなら、どこにでも至らないところがあろうか」と言った。この言葉はどうか。答えていう。その理はある。しかしそれを実際に用いるのは難しい。広く民に施して多くの人を救うことは、堯舜でさえなお難しく思った。そうであれば、たとえ万物を自分だと認め得たとしても、どうして至ることができようか。だから口で言うことはできても身で行うことのできないことを、君子は言わない。墨子は天下をひとしく愛することを道とし、仏教は三界の衆生を自分の一人子とする。みな口で言うことはできても身で行うことのできないものである。高尚な議論や多弁は、みな道に益がない。言わないほうが正しい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁なる者は、人なり。合せて之を言えば、道なり。」
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『慎思録』巻之二匡衡の治性正家を論ずるの疏、及び妃匹を戒め経学を勧むるの疏、其の立論は経術に本づき、其の説は頗る純正にして理有り。朱子の詩伝も、復た其の説を取る。真西山以謂へらく、仲舒の亜為るべし、と。宜なるかな。惜しむべきは其の素行と学術と相乖戻す。其の言を履むこと能はずと謂ふべきなり。
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『酔古堂剣掃』集素・麈尾の閒談は畫餅の如し身外に身有り、麈尾を捉りて口を矢ひて閒談するは、真に畫餅の如し。 竅中に竅有り、蒲團に向かひて心を回らし究竟するは、方に是れ力田なり。
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論語・雍也篇子貢曰く、「如し博く民に施して能く衆を済うこと有らば、何如。仁と謂う可きか。」子曰く、「何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る、仁の方と謂う可きのみ。」
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論語・顔淵篇顔淵、仁を問う。子曰く、「己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而して人に由らんや。」顔淵曰く、「請う、其の目を問わん。」子曰く、「礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿かれ。」顔淵曰く、「回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。」
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論語・衛霊公篇子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は、吾蹈みて死する者を見たり。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。
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