童子問 / 卷中
夫道尊而無對。至矣。然不能使人爲聖爲賢。而開天下之泰平。其所以使人爲聖爲賢。而開天下之泰平者。敎之功也。故次道而貴者敎也。而盡道受敎者。性之德也。故性亦貴矣。然敎有功。而性無爲。故性學盛。則敎法衰。敎法衰。則天下之達道廢。聖人之所深嫉之也。所以論語一書。專言敎。而不言性。孟子一書。亦無一非從仁義二字紬繹出來。其說性善者。亦爲自暴自棄者而發之。非徒以性爲主而說也。既看破以理爲主之弊甚難。而至知以性爲主之非。則實古今之難事。學者之牢關。非具足實知實德者。則不能。夫道也者。夏葛而冬裘。晨興而夜寐。雖無吾說。後來固當有知之者。此予之所以自恃而自安也。至於性學之非。則予死之後。千歲之遠。不知復有實見得之者乎否。予所以呶呶然不得已。正以此也。吁嗟誰爲後來者。當與此心期。
新字:夫道尊而無対。至矣。然不能使人為聖為賢。而開天下之泰平。其所以使人為聖為賢。而開天下之泰平者。教之功也。故次道而貴者教也。而尽道受教者。性之徳也。故性亦貴矣。然教有功。而性無為。故性学盛。則教法衰。教法衰。則天下之達道廃。聖人之所深嫉之也。所以論語一書。専言教。而不言性。孟子一書。亦無一非従仁義二字紬繹出来。其説性善者。亦為自暴自棄者而発之。非徒以性為主而説也。既看破以理為主之弊甚難。而至知以性為主之非。則実古今之難事。学者之牢関。非具足実知実徳者。則不能。夫道也者。夏葛而冬裘。晨興而夜寐。雖無吾説。後来固当有知之者。此予之所以自恃而自安也。至於性学之非。則予死之後。千歳之遠。不知復有実見得之者乎否。予所以呶呶然不得已。正以此也。吁嗟誰為後来者。当与此心期。
書き下し
夫れ道は尊くして対無し。至れり。然れども人をして聖と為り賢と為りて、天下の泰平を開かしむること能はず。其の人をして聖と為り賢と為りて、天下の泰平を開かしむる所以の者は、教への功なり。故に道に次いで貴き者は教へなり。而して道を尽くし教へを受くる者は、性の徳なり。故に性も亦貴し。然れども教へは功有りて、性は為すこと無し。故に性学盛んなれば、則ち教法衰ふ。教法衰ふれば、則ち天下の達道廃る。聖人の深く之を嫉む所なり。所以に論語一書は、専ら教へを言ひて、性を言はず。孟子一書も、亦一として仁義の二字より紬繹し出で来たるに非ざる無し。其の性善を説く者も、亦自暴自棄する者の為にして之を発す。徒に性を以て主と為して説くに非ざるなり。既に理を以て主と為すの弊を看破すること甚だ難し。而して性を以て主と為すの非を知るに至りては、則ち実に古今の難事、学者の牢関なり。実知実徳を具足する者に非ずんば、則ち能はず。夫れ道なる者は、夏は葛にして冬は裘、晨に興きて夜に寐ぬるがごとし。吾が説無しと雖も、後来固より当に之を知る者有るべし。此れ予の自ら恃みて自ら安んずる所以なり。性学の非に至りては、則ち予死するの後、千歳の遠き、知らず復た実に之を見得る者有りや否や。予が呶呶然として已むを得ざる所以は、正に此を以てなり。吁嗟誰か後来の者為らん。当に此の心と期すべし。
現代語訳
そもそも道は尊くて並ぶものがない。至れるものである。しかし道は、人を聖人・賢人にならせ、天下の泰平を開かせることはできない。人を聖人・賢人にならせ、天下の泰平を開かせるものは、教えの功である。だから道に次いで貴いものは教えである。そして道を尽くし教えを受けるのは、性の徳である。だから性もまた貴い。しかし教えには功(はたらき)があるが、性はみずから何かをなすことはない。だから性の学が盛んになれば、教えの法が衰える。教えの法が衰えれば、天下の達道がすたれる。聖人が深く憎んだところである。だから論語一書はもっぱら教えを語って性を語らない。孟子一書もまた、一つとして仁義の二字から繰り出されていないものはない。その性善を説いたのも、自暴自棄する者のために発したのであって、ただ性を主として説いたのではない。理を主とすることの弊害を見破ることさえきわめて難しい。まして性を主とすることの非を知るに至っては、まことに古今の難事であり、学ぶ者にとっての堅い関門である。実の知と実の徳を備えた者でなければ、できない。そもそも道というものは、夏には葛の衣、冬には皮衣を着、朝起きて夜寝るようなものである。私の説がなくても、後世必ずこれを知る者が現れるだろう。これが私が自ら頼みとして安んじている理由である。しかし性学の非については、私が死んだ後、千年の遠い先に、はたしてまた本当にこれを見て取る者がいるかどうかわからない。私がくどくどと言わずにいられない理由は、まさにここにある。ああ、誰が後に来る者となるだろうか。この心と出会うことを期待しよう。
解説
この章句が説くこと
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孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。
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