童子問 / 卷中
問。然則。理字未盡善歟。曰。言各有攸當。理字施之於事物。則可。用之於天地。則不可。孟子所謂始條理終條理。及理義之悅我心等語。皆以事各得其條理而言。易曰。窮理盡性。以至於命。窮理就事物而言。盡性就人而言。至命就天而言。措詞之序。自可見矣。若以理爲萬物之本原焉。則自流入于老佛之學。與聖人之旨。實天淵矣。可不謹哉。
新字:問。然則。理字未尽善歟。曰。言各有攸当。理字施之於事物。則可。用之於天地。則不可。孟子所謂始条理終条理。及理義之悦我心等語。皆以事各得其条理而言。易曰。窮理尽性。以至於命。窮理就事物而言。尽性就人而言。至命就天而言。措詞之序。自可見矣。若以理為万物之本原焉。則自流入于老仏之学。与聖人之旨。実天淵矣。可不謹哉。
書き下し
問ふ、然らば則ち、理の字未だ善を尽くさざるか。曰く、言各々当たる攸有り。理の字は之を事物に施せば、則ち可なり。之を天地に用ふれば、則ち不可なり。孟子の所謂条理を始め条理を終ふ、及び理義の我が心を悦ばす等の語は、皆事の各々其の条理を得るを以て言ふ。易に曰く、理を窮め性を尽くし、以て命に至ると。理を窮むるは事物に就いて言ひ、性を尽くすは人に就いて言ひ、命に至るは天に就いて言ふ。措詞の序、自ら見るべし。若し理を以て万物の本原と為せば、則ち自ら老仏の学に流入し、聖人の旨と、実に天淵なり。謹まざるべけんや。
現代語訳
問う。そうであれば、理という字はまだ善を尽くしていない(不十分な)ものなのか。答えていう。言葉にはそれぞれ当てはまるところがある。理という字は、事物に用いればよいが、天地に用いてはならない。孟子のいう「条理を始め条理を終える」や「理義が私の心を喜ばせる」などの言葉は、みな事がそれぞれその筋道を得ていることを言うのである。『易』に「理を窮め性を尽くして、命に至る」とある。理を窮めるとは事物について言い、性を尽くすとは人について言い、命に至るとは天について言う。言葉の並べ方の順序から、おのずと見て取れる。もし理を万物の本原とするなら、おのずと老荘や仏教の学に流れこみ、聖人の趣旨とはまさに天と淵ほども隔たる。慎まないでよかろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・應務・理を推して是れ視る時勢を以て理を低昂する者は、眾人なり。理を以て時勢を低昂する者は、賢人なり。理を推して是れ視、低昂する所無き者は、聖人なり。
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『呻吟語』外篇・品藻・惟だ其の理のみ勢の為す可からずして猶ほ之を為す者有るは、惟だ其の理のみ。此を知らば則ち三仁は五臣と事功を比す可く、孔子は堯・舜と政治を較ぶ可し。
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『呻吟語』内篇・談道・勢は帝王の權、理は聖人の權公卿朝に爭議するに、天子に命有りと曰へば、則ち屏然として敢へて屈直せず。師儒學に相辯ずるに、孔子に言有りと曰へば、則ち寂然として敢へて異同せず。故に天地の間、惟だ理と勢とを最尊と為す。然りと雖も、理は又尊の尊なり。廟堂の上に理を言へば、則ち天子も勢を以て相奪ふを得ず。即し相奪ふとも、理は則ち常に天下萬世に伸ぶ。故に勢は、帝王の權なり。理は、聖人の權なり。帝王に聖人の理無くんば、則ち其の權時有りて屈す。然らば則ち理なる者は、又勢の恃みて以て存亡を為す所なり。莫大の權を以て僭竊の禁無し。此れ儒者の辭せずして敢へて斯道の南面に任ずる所以なり。
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『呻吟語』内篇・談道・理一にして氣・勢・利は三なり先天は、理のみ。後天は、氣のみ。天下は、勢のみ。人情は、利のみ。理は一にして、氣・勢・利は三なり。勝負知る可し。
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『呻吟語』内篇・應務・理を貶せず、又た人を駭かさず君子の事に處するに真見有るも、遽かに行はざるなり。又た眾見を驗し、眾情を察し、諸を理に協へて協ひ、諸を眾情・眾見に協へて協へば、則ち斷じて以て必ず行ふ。果たして理は當然にして、眾情・眾見の協はざるや、又た委曲して以て吾が理を行ふ。既に理を貶せず、又た人を駭かさず。此れを之れ理術と謂ふ。噫、惟だ聖人のみ之を能くす。獵較の類是れなり。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、汝は理を直ちに命と云ふ、是大いに誤れり。理は玉の理なり。又総て物の理なれば、通るまでのことにて死物なり。命は、書経にも、惟れ命は常に于てせずと云へり。天の降せる命なれば、活物の性なり。斯くのごとく別なり。然るを、死活を以て一致とするは如何なることぞ。
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