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童子問 / 卷中

問。古昔未有理學之稱。近世或目聖門之學。爲理學。爲心學。爲性學。是乎否。曰。聖人之學。包該宇宙。統攝道德。堯舜禹湯文武周公治天下之大經大法。而孔孟之所祖述憲章之者也。本無名稱之可擬。若不得已。而强欲命之。當以王道號之。或直稱儒學。亦可。若以理學命之。則氣象偏枯。視之王道之盛大。不啻霄壤。後世儒者以爲。心卽性。性卽理。一理字。可以盡聖學之全。故公然以理名學。而心學性學等名興焉。殊不知一理字。可以盡聖學之全。則孔孟當先命之。而詎竢後世之名稱。可知理學等目。皆以後世學術而所稱。非稱聖學之實者也。

新字:問。古昔未有理学之称。近世或目聖門之学。為理学。為心学。為性学。是乎否。曰。聖人之学。包該宇宙。統摂道徳。堯舜禹湯文武周公治天下之大経大法。而孔孟之所祖述憲章之者也。本無名称之可擬。若不得已。而強欲命之。当以王道号之。或直称儒学。亦可。若以理学命之。則気象偏枯。視之王道之盛大。不啻霄壤。後世儒者以為。心即性。性即理。一理字。可以尽聖学之全。故公然以理名学。而心学性学等名興焉。殊不知一理字。可以尽聖学之全。則孔孟当先命之。而詎竢後世之名称。可知理学等目。皆以後世学術而所称。非称聖学之実者也。

書き下し

問ふ、古昔未だ理学の称有らず。近世或いは聖門の学を目して、理学と為し、心学と為し、性学と為す。是か否か。曰く、聖人の学は、宇宙を包該し、道徳を統摂す。堯・舜・禹・湯・文・武・周公の天下を治むるの大経大法にして、孔孟の之を祖述憲章する所の者なり。本名称の擬すべき無し。若し已むを得ずして、強ひて之に命けんと欲せば、当に王道を以て之に号すべし。或いは直ちに儒学と称するも、亦可なり。若し理学を以て之に命くれば、則ち気象偏枯にして、之を王道の盛大に視ぶれば、啻に霄壌のみならず。後世の儒者以為へらく、心は即ち性、性は即ち理、一の理の字、以て聖学の全を尽くすべしと。故に公然として理を以て学に名づけて、心学・性学等の名興る。殊に知らず、一の理の字、以て聖学の全を尽くすべくんば、則ち孔孟当に先づ之に命くべし、而るを詎ぞ後世の名称を竢たん。理学等の目は、皆後世の学術を以て称する所にして、聖学の実を称する者に非ざることを知るべし。

現代語訳

問う。昔は理学という呼び名はなかった。近世になって、聖人の門の学問を理学と呼び、心学と呼び、性学と呼ぶ者がいる。これは正しいか否か。答えていう。聖人の学は、宇宙を包みこみ、道徳を統べ治める。堯・舜・禹・湯・文王・武王・周公が天下を治めた大いなる常道と法であり、孔子と孟子が受け継ぎ手本としたものである。もともと名称で言い表せるものではない。もしやむをえず、強いて名づけようとするなら、王道と呼ぶべきである。あるいはそのまま儒学と呼んでもよい。もし理学と名づければ、その気象は偏って枯れたものとなり、王道の盛大さと比べると、天と地ほどの違いどころではない。後世の儒者は「心はすなわち性、性はすなわち理であり、理の一字で聖学の全体を尽くせる」と考えた。だから公然と理を学問の名とし、心学・性学などの名が興ったのである。まったくわかっていない。理の一字で聖学の全体を尽くせるのなら、孔子・孟子がまず先にそう名づけたはずである。どうして後世の名称を待つことがあろう。理学などの名目は、みな後世の学術によって名づけたものであり、聖学の実を言い表すものではないと知るべきである。

解説

朱子学が自らを理学・心学・性学と称することに、仁斎は異を唱える。聖人の学は宇宙を包み道徳を統べる、堯舜から周公に至る天下を治める大法であり、本来名づけようがない。あえて名づけるなら王道、あるいは儒学だという。理の一字で聖学が尽くせるなら孔孟が先にそう呼んだはずだ、という論法は明快である。学問の目的を天下の治まりと人々の暮らしに置く仁斎にとって、理学という名は気象が偏り枯れたものに映った。働く人にとっても、自分の仕事を狭い技法の名で括らず、それが誰のどんな暮らしに役立つのかという大きな目的で捉え直すことを促す章である。

この章句が説くこと

王道理学儒学聖学道徳朱子学批判

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