童子問 / 卷中
問。如何是儒者心法。曰。孔子曰。不怨天不尤人。下學而上達。此是儒者心法。言不遇於時。而不以怨天。不容於世。而不以尤人。不立異以干譽。不務高以取人。唯知自脩耳。故曰。知我者其天乎。是謂儒者本領。是謂學問實際。不可勉而能。不得强而到。但反求於己。是其要。孔子曰。飯疏食飮水。曲肱而枕之。樂亦在其中矣。惟不怨不尤者能焉。至矣。
新字:問。如何是儒者心法。曰。孔子曰。不怨天不尤人。下学而上達。此是儒者心法。言不遇於時。而不以怨天。不容於世。而不以尤人。不立異以干誉。不務高以取人。唯知自脩耳。故曰。知我者其天乎。是謂儒者本領。是謂学問実際。不可勉而能。不得強而到。但反求於己。是其要。孔子曰。飯疏食飲水。曲肱而枕之。楽亦在其中矣。惟不怨不尤者能焉。至矣。
書き下し
問ふ、如何なるか是れ儒者の心法。曰く、孔子曰く、天を怨まず、人を尤めず。下学して上達すと。此れ是れ儒者の心法なり。言ふこころは、時に遇はずして、以て天を怨まず、世に容れられずして、以て人を尤めず。異を立てて以て誉れを干めず、高きを務めて以て人を取らず、唯だ自ら脩むることを知るのみ。故に曰く、我を知る者は其れ天かと。是れを儒者の本領と謂ひ、是れを学問の実際と謂ふ。勉めて能くすべからず、強ひて到るべからず。但だ己に反求する、是れ其の要なり。孔子曰く、疏食を飯ひ水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦其の中に在りと。惟だ怨まず尤めざる者のみ能くす。至れり。
現代語訳
問う。儒者の心法とはどのようなものか。答えていう。孔子は「天を怨まず、人を咎めない。身近なことを学んで、高いところに達する」と言った。これこそ儒者の心法である。その意味は、時運に恵まれなくても天を怨まず、世に受け入れられなくても人を咎めないことである。人と異なることをして誉れを求めず、高尚を気取って人の歓心を得ようとせず、ただ自分を修めることだけを知る。だから孔子は「私を知る者は天であろうか」と言った。これを儒者の本領といい、これを学問の実際という。努めてできるものでもなく、無理に至れるものでもない。ただ自分に反求すること、これがその要である。孔子は「粗末な飯を食べ水を飲み、肘を曲げて枕とする。楽しみはその中にもある」と言った。ただ怨まず咎めない者だけがそうできる。至れるかな。
解説
この章句が説くこと
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