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童子問 / 卷中

問學問之要。曰。學問之要。唯在反求於己。中庸曰。射有似乎君子。失諸正鵠。反求諸其身。孟子曰。仁者如射。射者正己而後發。發而不中。不怒勝己者。反求諸己而已矣。所謂終身用之。有不能盡者也。又曰。愛人不親。反其仁。治人不治。反其智。禮人不答。反其敬。行有不得者。皆反求諸己。其身正。而天下歸之。故曰。學問之要。唯在反求諸己而已。聖人之不怨天不尤人之境。亦從此而馴致。實學者之本務。大矣哉。

新字:問学問之要。曰。学問之要。唯在反求於己。中庸曰。射有似乎君子。失諸正鵠。反求諸其身。孟子曰。仁者如射。射者正己而後発。発而不中。不怒勝己者。反求諸己而已矣。所謂終身用之。有不能尽者也。又曰。愛人不親。反其仁。治人不治。反其智。礼人不答。反其敬。行有不得者。皆反求諸己。其身正。而天下帰之。故曰。学問之要。唯在反求諸己而已。聖人之不怨天不尤人之境。亦従此而馴致。実学者之本務。大矣哉。

書き下し

学問の要を問ふ。曰く、学問の要は、唯だ己に反求するに在り。中庸に曰く、射は君子に似たる有り。諸を正鵠に失へば、反りて諸を其の身に求むと。孟子曰く、仁者は射の如し。射る者は己を正しくして而る後に発す。発して中らざれば、己に勝つ者を怨まず、反りて諸を己に求むるのみと。所謂終身之を用ひて、尽くすこと能はざる者有るなり。又曰く、人を愛して親しまれずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を礼して答へられずんば、其の敬に反れ。行うて得ざる者有らば、皆反りて諸を己に求む。其の身正しくして、天下之に帰すと。故に曰く、学問の要は、唯だ反りて諸を己に求むるに在るのみと。聖人の天を怨まず人を尤めざるの境も、亦此より馴致す。実に学者の本務なり。大なるかな。

現代語訳

学問の要を問うた。答えていう。学問の要は、ただ自分に立ち返って求めることにある。『中庸』に「弓射は君子に似たところがある。的を外したなら、ひるがえって原因を自分の身に求める」とある。孟子は「仁者は弓を射る者のようである。射る者は自分の姿勢を正してから放つ。放って当たらなくても、自分に勝った者を怨まず、ひるがえって原因を自分に求めるだけである」と言った。いわゆる、生涯これを用いても尽くしきれないものである。また孟子は「人を愛しても親しまれなければ、自分の仁を振り返れ。人を治めて治まらなければ、自分の智を振り返れ。人に礼を尽くして応えられなければ、自分の敬を振り返れ。行っても思うようにならないことがあれば、すべてひるがえって自分に求めよ。自分の身が正しければ、天下はこれに帰する」と言った。だから、学問の要はただひるがえって自分に求めることにあるのだ、と言うのである。聖人の「天を怨まず人を咎めず」という境地も、ここから次第に至るのである。まことに学ぶ者の本務である。大いなるかな。

解説

仁斎は学問の要を「己に反求する」ことの一点に絞る。『中庸』と『孟子』の弓射のたとえを重ね、的を外しても勝者を怨まず自分の姿勢を正せと説く。さらに愛しても親しまれず、治めても治まらず、礼しても応えられないとき、相手ではなく自分の仁・智・敬を省みよという孟子の言葉を引く。学問を知識の蓄積ではなく自分の行いを正す営みと見る仁斎の考えが、ここに凝縮している。仕事で結果が出ないとき、部下や環境のせいにする前に自分のやり方を問い直す習慣は、生涯使っても尽きない力になる。

この章句が説くこと

反求学問仁孟子中庸自省

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