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童子問 / 卷中

問修家。曰。中庸引詩曰。妻子好合。如鼓瑟琴。兄弟既翕。和樂且耽。宜爾室家。樂爾妻帑。子曰。父母其順矣乎。言至極之理常存乎至近之中也。葢妻子之好合。兄弟之和樂。家道之至近者也。然堯舜之光被四表。格干上下。其實以此爲本焉。則閨門之修。豈非至極之道乎。然和睦之弊必有狎恩之患。而少檢束之意。又須有節制之在。易家人九三曰。婦子嘻嘻。終客。故閨門之內。要有肅然淸苦之氣象。若終日嬉笑。不知節之。則必至敗家。可不戒乎。

新字:問修家。曰。中庸引詩曰。妻子好合。如鼓瑟琴。兄弟既翕。和楽且耽。宜爾室家。楽爾妻帑。子曰。父母其順矣乎。言至極之理常存乎至近之中也。葢妻子之好合。兄弟之和楽。家道之至近者也。然堯舜之光被四表。格干上下。其実以此為本焉。則閨門之修。豈非至極之道乎。然和睦之弊必有狎恩之患。而少検束之意。又須有節制之在。易家人九三曰。婦子嘻嘻。終客。故閨門之内。要有粛然清苦之気象。若終日嬉笑。不知節之。則必至敗家。可不戒乎。

書き下し

家を修むることを問ふ。曰く、中庸に詩を引いて曰く、妻子好合し、瑟琴を鼓するが如し。兄弟既に翕ひ、和楽して且つ耽しむ。爾の室家に宜しく、爾の妻帑を楽しましむと。子曰く、父母其れ順なるかなと。言ふこころは、至極の理は常に至近の中に存するなり。蓋し妻子の好合、兄弟の和楽は、家道の至近なる者なり。然れども堯舜の光四表に被り、上下に格るも、其の実は此を以て本と為す。則ち閨門の修まる、豈に至極の道に非ずや。然れども和睦の弊は必ず狎恩の患ひ有りて、検束の意少なし。又須らく節制の在る有るべし。易の家人の九三に曰く、婦子嘻嘻たれば、終に客すと。故に閨門の内は、粛然清苦の気象有るを要す。若し終日嬉笑して、之を節することを知らざれば、則ち必ず家を敗るに至る。戒めざるべけんや。

現代語訳

家を修めることを問うた。答えていう。『中庸』は詩を引いて「妻子が仲むつまじいさまは、瑟と琴とを奏でて調和するようだ。兄弟はすでに和らぎ、楽しみ合ってなごやかである。あなたの家をよく整え、あなたの妻子を楽しませる」と言い、孔子は「父母もさぞ心安らかであろう」と言った。その意味は、この上ない理はいつも最も身近なところにある、ということである。思うに、妻子の仲むつまじさ、兄弟の和やかな楽しみは、家の道のうち最も身近なものである。しかし堯舜の徳の光が四方の果てまで及び、天地上下に至ったのも、実はこれを本としたのである。そうであれば、家の内が修まることは、どうしてこの上ない道でないことがあろう。けれども和やかさの弊として、必ず馴れ合いの患いがあり、引き締める気持ちが少なくなる。だからまた節度がなければならない。『易』の家人の卦の九三に「婦人や子どもがへらへらと笑い興じていれば、ついには恥を招く」とある。だから家の内には、きりっと引き締まり質素な気風がなくてはならない。もし一日中笑い興じて節度を知らなければ、必ず家を破るに至る。戒めないでよかろうか。

解説

仁斎は『中庸』の引く詩をもとに、至極の理は常に至近のところにあると説く。妻子の和合や兄弟の和楽という最も身近な家の道が、堯舜の徳が天下に及んだことの本だというのは、道を高遠に求めない古義学の核心である。ただし和やかさには馴れ合いの弊が伴うので、易の家人の卦を引いて節度と引き締まった気風を求める。原文の「終客」は通行の易では「終吝」で、恥を招く意に読める。働く者にとっても、職場の和気あいあいは大切だが、なれ合いに流れれば緩みが生じる。和やかさと節度の両方を保つことが、身近な場を健やかにする鍵である。

この章句が説くこと

家和楽節制道中庸至近

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