童子問 / 卷中
問。人各私其師門。我亦不得獨不私。如何。曰。何言之過耶。人各爲不善。我亦可傚其不善乎。若七十子之事孔子。聞其崇夫子之敎。未聞私孔氏之門也。孟子曰。徃者不追。來者不拒。苟以是心至。斯受之而已矣。道愈小。故設心愈隘。不得不立町畦。不可與入堯舜之道也。
新字:問。人各私其師門。我亦不得独不私。如何。曰。何言之過耶。人各為不善。我亦可傚其不善乎。若七十子之事孔子。聞其崇夫子之教。未聞私孔氏之門也。孟子曰。往者不追。来者不拒。苟以是心至。斯受之而已矣。道愈小。故設心愈隘。不得不立町畦。不可与入堯舜之道也。
書き下し
問ふ、人各々其の師門を私す。我も亦独り私せざることを得ず。如何。曰く、何ぞ言の過てるや。人各々不善を為さば、我も亦其の不善に傚ふべけんや。七十子の孔子に事ふるが若き、其の夫子の教へを崇ぶを聞くも、未だ孔氏の門を私するを聞かざるなり。孟子曰く、往く者は追はず、来る者は拒まず、苟も是の心を以て至らば、斯に之を受くるのみと。道愈々小なり、故に心を設くること愈々隘し。町畦を立てざることを得ず。与に堯舜の道に入るべからざるなり。
現代語訳
問う。人はそれぞれ自分の師門を私物化している。自分だけが私物化しないわけにはいかない。どうか。答えていう。なんと言葉の誤っていることか。人がそれぞれ不善をなしたら、自分もその不善にならってよいのか。七十人の高弟が孔子に仕えたさまを見ても、孔子の教えを尊んだとは聞くが、孔氏の門を私物化したとは聞かない。孟子は「去る者は追わず、来る者は拒まない。いやしくも学ぼうという心で来るなら、ただ受け入れるだけだ」と言った。道が小さいほど、心がまえはいよいよ狭くなる。だから垣根を立てずにはいられない。そのような者とは、ともに堯舜の道に入ることはできない。
解説
この章句が説くこと
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