童子問 / 卷中
問。世之學者各私其師門。互相詆譏。如何。曰。尊師門之敎可矣。私師門不可也。在宋初有程蘇之黨。晩有朱陸之派。皆出其門人。而非諸先生之意。有宋之世。雖道學甚盛。然此等惡俗尙在。可惜。學者天下之公學。豈容私其師門乎。多見其不知道也。予少時甞讀朝鮮李退溪輯朱子書札。於楊子直姓字下註之曰。朱門之叛徒。予竊薄之曰。何見之陋乎。往者不追。來者不拒。古之道也。奚以叛名之爲。滉葢私朱門云爾。
新字:問。世之学者各私其師門。互相詆譏。如何。曰。尊師門之教可矣。私師門不可也。在宋初有程蘇之党。晩有朱陸之派。皆出其門人。而非諸先生之意。有宋之世。雖道学甚盛。然此等悪俗尚在。可惜。学者天下之公学。豈容私其師門乎。多見其不知道也。予少時甞読朝鮮李退渓輯朱子書札。於楊子直姓字下註之曰。朱門之叛徒。予窃薄之曰。何見之陋乎。往者不追。来者不拒。古之道也。奚以叛名之為。滉葢私朱門云爾。
書き下し
問ふ、世の学者各々其の師門を私して、互ひに相詆譏す。如何。曰く、師門の教へを尊ぶは可なり。師門を私するは不可なり。宋の初めに在りては程蘇の党有り、晩には朱陸の派有り。皆其の門人より出でて、諸先生の意に非ず。有宋の世、道学甚だ盛んなりと雖も、然れども此等の悪俗尚ほ在り。惜しむべし。学は天下の公学なり。豈に其の師門を私することを容れんや。多に其の道を知らざることを見るなり。予少き時嘗て朝鮮の李退渓が輯めし朱子の書札を読むに、楊子直の姓字の下に於て之に註して曰く、朱門の叛徒なりと。予竊かに之を薄んじて曰く、何ぞ見の陋なるや。往く者は追はず、来る者は拒まず、古の道なり。奚ぞ叛を以て之に名づくることを為さんと。滉は蓋し朱門を私すと云ふのみ。
現代語訳
問う。世の学者はそれぞれ自分の師の門流を私物化し、互いにそしり合っている。どうか。答えていう。師門の教えを尊ぶのはよい。師門を私物化するのはいけない。宋の初めには程頤と蘇軾の党派があり、後には朱子と陸象山の派があった。いずれもその門人たちから出たもので、先生方自身の意図ではなかった。宋の時代は道学が大いに栄えたとはいえ、このような悪い習俗がなおあった。惜しむべきことである。学問は天下の公のものである。どうして師門を私物化することが許されようか。それはただ道を知らないことを示すだけである。私は若い頃、朝鮮の李退渓が編んだ朱子の書簡集を読んだことがある。楊子直の姓名の下に「朱門の叛徒」と注してあった。私はひそかにこれを軽んじて言った。「なんと見識の狭いことか。去る者は追わず、来る者は拒まないのが古の道である。どうして叛徒などと名づける必要があろう」と。李滉(退渓)は思うに、朱子の門流を私物化していたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『文武訓』文訓上之末一世に、文学なくしてみだりに道を説く人あり。孝弟忠信などの道を行ふことは、一文不通の愚夫愚婦も、其はしをば知りやすく行ひやすし。是を以て、学なき人に説ききかするはよし。かなの書をよみ、人の物語をきき覚えても、浅近なることは知りやすし。草医の、近世の名医の作れる国字書の方書を読みても、軽き病をばいやすが如し。しかるに、義理の学は、天地人の大道を知る事なれば、まづ文字をしり、四書五経以下、歴代の聖賢の書に通じ、三史、通鑑など、古今の事にもひろく通じてやうやく知るべし。かくの如く、博く書を見ても道をしらざる人は多し。聖賢の書に通ぜず、文学つたなくしては大道に通じがたし。文学なくして道を知りがたき事、たとへば通事なくして異国の人の言語に通じがたきが如く、又、小刀にて大厦を作らんとするがごとし。文学つたなく経伝にくらくしては、大道は知りがたかるべし。
-
『文武訓』文訓下一文学ひろく、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文学に通ぜず、聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。たとへば歌学をせずして、和歌のあしき人はあり。歌学なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但学問なく、すこし師の口伝をききて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聴かざるに遥にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。
-
『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。
-
『慎思録』巻之四食は以て生を養ふ。饕餮なる者は此を以て生を傷る。薬は以て人を救ふ。庸医は此を以て人を殺す。学は以て性を治む。小人は此を以て性を傷る。此の三者は、本是れ人を益するの物事なり。然り而して人を害すること此の如きは、之を用ふるの其の道を失ふに由るなり。
-
『慎思録』巻之一人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
-
『五常訓』巻之一・総論一およそ人となるものは、万物にすぐれ、五常の性を生れつき、道あるものなれども、食を飽くまでくらひ、衣を暖かに著、家をかまへて、身を安くしたるまでにて、道の教なければ、形は人なりといへども、其心、其行は、禽獣に近きこそうらめしけれ。古の聖人、是をうれひ給ひて、学校をたて、師をたてて、人たるの道を教へ学ばしめ給ふ。されば事の急ならざるやうにて、いたりて大切なる事は、学問よりおもきは無し。如何となれば、道はしばらくも離るべからず。人学問なく、道を知らざれば、人の道たたず。人と斯く生れつきたるかひなし。人生ふたたび得がたし。道を学ばずして、空しく過すべからず。ここを以て、朝に道を聞きては、夕に死すとも可なりと聖人ものたまへり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る