童子問 / 卷中
問。觀夫世之學者。見與己議論不合者。必謂學術異。而不復與交通。如何。曰。悅與己議論同。而不樂與己意見異者。學者之通患也。學問貴乎切磋琢磨。莫若從與己意見異者。舍己平心。切劘講磨。所謂樂取于人。是也。不有益于己。必有益于彼。謂之兩益。尙樂與己議論同者。毎自講習。則終身無改其舊見。而無得新益。與獨學何異。無益于己。亦無益于彼。謂之兩損。昔者明道先生使吳師禮達于王介甫曰。如有說願往復。此天下公理。無彼我。果能明辨。不有益于介甫。則必有益于我。柳子厚亦曰。子不有得焉。則我得矣。古人設心如此。故能成其大也。今之學者則不然。守己甚堅。服善甚淺。其學稍優于人焉。則以師道自居。不復肯問于人。其卒也。必自至於喪己。葢其器識淺狹。不知好善故也。可不戒乎。
新字:問。観夫世之学者。見与己議論不合者。必謂学術異。而不復与交通。如何。曰。悦与己議論同。而不楽与己意見異者。学者之通患也。学問貴乎切磋琢磨。莫若従与己意見異者。舎己平心。切劘講磨。所謂楽取于人。是也。不有益于己。必有益于彼。謂之両益。尚楽与己議論同者。毎自講習。則終身無改其旧見。而無得新益。与独学何異。無益于己。亦無益于彼。謂之両損。昔者明道先生使呉師礼達于王介甫曰。如有説願往復。此天下公理。無彼我。果能明弁。不有益于介甫。則必有益于我。柳子厚亦曰。子不有得焉。則我得矣。古人設心如此。故能成其大也。今之学者則不然。守己甚堅。服善甚浅。其学稍優于人焉。則以師道自居。不復肯問于人。其卒也。必自至於喪己。葢其器識浅狭。不知好善故也。可不戒乎。
書き下し
問ふ、夫の世の学者を観るに、己と議論合はざる者を見れば、必ず学術異なりと謂ひて、復た与に交通せず。如何。曰く、己と議論同じきを悦びて、己と意見異なる者を楽しまざるは、学者の通患なり。学問は切磋琢磨を貴ぶ。己と意見異なる者に従ひて、己を舎て心を平らかにし、切劘講磨するに若くは莫し。所謂人に取るを楽しむ、是れなり。己に益有らざれば、必ず彼に益有り。之を両益と謂ふ。尚ほ己と議論同じき者と楽しみ、毎に自ら講習すれば、則ち終身其の旧見を改むること無くして、新益を得ること無し。独学と何ぞ異ならん。己に益無く、亦彼に益無し。之を両損と謂ふ。昔者明道先生、呉師礼をして王介甫に達せしめて曰く、如し説有らば願はくは往復せん。此れ天下の公理なり、彼我無し。果たして能く明辨せば、介甫に益有らずんば、則ち必ず我に益有らんと。柳子厚も亦曰く、子得る有らずんば、則ち我得んと。古人の心を設くること此の如し。故に能く其の大を成すなり。今の学者は則ち然らず。己を守ること甚だ堅く、善に服すること甚だ浅し。其の学稍々人に優れば、則ち師道を以て自ら居り、復た肯へて人に問はず。其の卒や、必ず自ら己を喪ふに至る。蓋し其の器識浅狭にして、善を好むことを知らざるが故なり。戒めざるべけんや。
現代語訳
問う。世の学者を見ると、自分と議論の合わない者を見れば、必ず「学術が違う」と言って、二度と付き合おうとしない。どうか。答えていう。自分と議論が同じ者を喜び、自分と意見の異なる者を楽しまないのは、学者に共通する病である。学問は切磋琢磨を貴ぶ。自分と意見の異なる者について、自分を捨て心を平らかにして、互いに磨き合い論じ合うに越したことはない。いわゆる「人から取り入れることを楽しむ」とはこれである。自分に益がなければ、必ず相手に益がある。これを両益という。それなのに自分と議論の同じ者とだけ楽しみ、いつも仲間うちで講習していれば、生涯古い見解を改めることなく、新しい益を得ることもない。独学と何が違おう。自分にも益がなく、相手にも益がない。これを両損という。昔、程明道先生は呉師礼に託して王安石に伝えさせた。「もし説があるならば、どうか議論を往復させたい。これは天下の公理であって、彼我の別はない。はっきりと弁じ明らかにできたなら、あなたに益がなければ、必ず私に益がある」と。柳宗元もまた「あなたが得るところがなければ、私が得るのだ」と言った。古人の心がまえはこのようであった。だからこそその大を成し得たのである。今の学者はそうではない。自分の説を守ることはきわめて堅く、善に服することはきわめて浅い。その学問が少し人より優れると、師の立場に自分を置いて、もはや人に問おうとしない。その結末は、必ず自分を見失うに至る。思うに、その器量と見識が浅く狭く、善を好むことを知らないからである。戒めないでよかろうか。
解説
この章句が説くこと
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荀子・大略篇人の文学に於(お)けるや、猶(なほ)玉の琢磨(たくま)に於けるがごときなり。詩に曰く、「切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し」と。学問を謂(い)ふなり。和(か)の璧(へき)は、井里(せいり)の厥(いしころ)なり。玉人(ぎょくじん)之を琢きて、天子の宝と為る。子贛(しこう)・季路(きろ)は故(もと)鄙人(ひじん)なり。文学を被(かうむ)り、礼義を服して、天下の列士と為る。
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