荀子 / 大略篇
人之於文學也,猶玉之於琢磨也。《詩》曰:「如切如磋,如琢如磨。」謂學問也。和之璧,井里之厥也,玉人琢之,為天子寶。子贛季路故鄙人也,被文學,服禮義,為天下列士。
新字:人之於文學也,猶玉之於琢磨也。《詩》曰:「如切如磋,如琢如磨。」謂學問也。和之璧,井里之厥也,玉人琢之,為天子宝。子贛季路故鄙人也,被文學,服礼義,為天下列士。
書き下し
人の文学に於(お)けるや、猶(なほ)玉の琢磨(たくま)に於けるがごときなり。詩に曰く、「切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し」と。学問を謂(い)ふなり。和(か)の璧(へき)は、井里(せいり)の厥(いしころ)なり。玉人(ぎょくじん)之を琢きて、天子の宝と為る。子贛(しこう)・季路(きろ)は故(もと)鄙人(ひじん)なり。文学を被(かうむ)り、礼義を服して、天下の列士と為る。
現代語訳
人にとっての学問は、玉にとってのみがきのようなものである。詩経に「切るように、すり合わせるように、打つように、みがき上げるように」とあるのは、まさに学問のことを言っている。あの和氏の璧も、もとは井里で拾われたただの石ころであった。それを玉工がみがき上げたからこそ、天子の宝となった。子貢や子路も、もとは田舎の粗野な人にすぎなかった。それが学問を身に受け、礼義を身につけて、天下に名を連ねる士となったのである。
解説
学問とは、玉をみがく作業と同じだ、という一段です。詩経の「切磋琢磨」の四字がここで学問の比喩として引かれます。切るように、すり合わせるように、打つように、みがき上げるように。どれも一度で終わる作業ではなく、手をかけ続ける工程です。そして例として、天下の宝とされた和氏の璧が、もとは村で拾われたただの石ころだったこと、孔子門下の子貢や子路も、もとは粗野な田舎者だったことが挙げられます。素材が特別だったのではなく、みがかれたから宝になったのだ、というわけです。人は生まれつきでは決まらない、学びと修養で変われる、という荀子の根本思想が、ここでも一貫しています。自分には素質がないと感じるとき、問うべきは素材の質ではなく、みがいた回数のほうかもしれません。