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《詩》云:「瞻彼淇澳,菉竹猗猗。有斐君子,如切如磋,如琢如磨。瑟兮僩兮,赫兮喧兮。有斐君子,終不可諠兮!」「如切如磋」者,道學也;「如琢如磨」者,自修也;「瑟兮僩兮」者,恂慄也;「赫兮喧兮」者,威儀也;「有斐君子,終不可諠兮」者,道盛德至善,民之不能忘也。《詩》云:「於戲前王不忘!」君子賢其賢而親其親,小人樂其樂而利其利,此以沒世不忘也。
新字:《詩》云:「瞻彼淇澳,菉竹猗猗。有斐君子,如切如磋,如琢如磨。瑟兮僩兮,赫兮喧兮。有斐君子,終不可諠兮!」「如切如磋」者,道学也;「如琢如磨」者,自修也;「瑟兮僩兮」者,恂慄也;「赫兮喧兮」者,威儀也;「有斐君子,終不可諠兮」者,道盛徳至善,民之不能忘也。《詩》云:「於戯前王不忘!」君子賢其賢而親其親,小人楽其楽而利其利,此以没世不忘也。
書き下し
《詩》に云く、「彼の淇(き)の澳(くま)を瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。斐(ひ)たる君子有り、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如し。瑟(しつ)たり僩(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。斐たる君子有り、終に諠(わす)るべからず」と。「切するが如く磋するが如し」とは、学を道(い)うなり。「琢するが如く磨するが如し」とは、自ら修むるなり。「瑟たり僩たり」とは、恂慄(じゅんりつ)なり。「赫たり喧たり」とは、威儀なり。「斐たる君子有り、終に諠るべからず」とは、盛徳至善、民の忘るること能わざるを道うなり。《詩》に云く、「於戲(ああ)、前王忘れず」と。君子はその賢を賢として其の親を親とし、小人は其の楽を楽しみて其の利を利とす。此を以て世を没(お)うるまで忘れざるなり。
現代語訳
『詩経』にこうある。「あの淇水の曲がり淵を見渡せば、緑の竹が青々と美しく生い茂っている。そこに文雅で立派な君子がいる。骨や象牙を切り刻むように学問に励み、玉や石を彫り磨くように自分を修養している。奥ゆかしくも威厳があり、輝かしくも堂々としている。この文雅で立派な君子を、いつまでも忘れることはできない」と。「切り刻むように」というのは学問をすることである。「彫り磨くように」というのは自らを修養することである。「奥ゆかしくも威厳がある」というのは、心の中で恐れ慎む様子である。「輝かしくも堂々としている」というのは、外見の威儀が備わっていることである。「いつまでも忘れることはできない」というのは、その君子の立派な徳と最高の善が、民衆から決して忘れられないことを言っているのである。また『詩経』に「ああ、昔の優れた王のことは忘れられない」とある。後の為政者は前の王が尊んだ賢者を尊び、親しんだ者を親しみ、一般の民衆は前の王が与えてくれた楽しみを楽しみ、もたらしてくれた利益を恩恵としている。だからこそ、世を去ってからもいつまでも忘れられないのである。
解説
この章句が説くこと
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荀子・大略篇人の文学に於(お)けるや、猶(なほ)玉の琢磨(たくま)に於けるがごときなり。詩に曰く、「切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し」と。学問を謂(い)ふなり。和(か)の璧(へき)は、井里(せいり)の厥(いしころ)なり。玉人(ぎょくじん)之を琢きて、天子の宝と為る。子贛(しこう)・季路(きろ)は故(もと)鄙人(ひじん)なり。文学を被(かうむ)り、礼義を服して、天下の列士と為る。
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『童子問』卷中問ふ、夫の世の学者を観るに、己と議論合はざる者を見れば、必ず学術異なりと謂ひて、復た与に交通せず。如何。曰く、己と議論同じきを悦びて、己と意見異なる者を楽しまざるは、学者の通患なり。学問は切磋琢磨を貴ぶ。己と意見異なる者に従ひて、己を舎て心を平らかにし、切劘講磨するに若くは莫し。所謂人に取るを楽しむ、是れなり。己に益有らざれば、必ず彼に益有り。之を両益と謂ふ。尚ほ己と議論同じき者と楽しみ、毎に自ら講習すれば、則ち終身其の旧見を改むること無くして、新益を得ること無し。独学と何ぞ異ならん。己に益無く、亦彼に益無し。之を両損と謂ふ。昔者明道先生、呉師礼をして王介甫に達せしめて曰く、如し説有らば願はくは往復せん。此れ天下の公理なり、彼我無し。果たして能く明辨せば、介甫に益有らずんば、則ち必ず我に益有らんと。柳子厚も亦曰く、子得る有らずんば、則ち我得んと。古人の心を設くること此の如し。故に能く其の大を成すなり。今の学者は則ち然らず。己を守ること甚だ堅く、善に服すること甚だ浅し。其の学稍々人に優れば、則ち師道を以て自ら居り、復た肯へて人に問はず。其の卒や、必ず自ら己を喪ふに至る。蓋し其の器識浅狭にして、善を好むことを知らざるが故なり。戒めざるべけんや。
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詩経・国風・衛風・淇奥淇奥(きいく)は、武公の徳を美むるなり。文章有り、又能く其の規諫を聴き、礼を以て自ら防ぐ。故に能く入りて周に相たり。美めて是の詩を作るなり。 彼の淇奥(きいく)を瞻(み)れば、緑竹猗猗(いい)たり。匪(ひ)たる有るの君子は、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し。瑟(しつ)たり僩(かん)たり、赫(かく)たり咺(けん)たり。匪たる有るの君子は、終に諼(わす)るべからず。 彼の淇奥を瞻れば、緑竹青青(せいせい)たり。匪たる有るの君子は、充耳(じゅうじ)琇瑩(しゅうえい)、会弁(かいべん)星の如し。瑟たり僩たり、赫たり咺たり。匪たる有るの君子は、終に諼るべからず。 彼の淇奥を瞻れば、緑竹簀(さく)の如し。匪たる有るの君子は、金の如く錫の如く、圭(けい)の如く璧(へき)の如し。寛たり綽(しゃく)たり、重較(ちょうこう)に猗(よ)る。善く戯謔(ぎぎゃく)すれども、虐を為さず。
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